- treeofevil
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エピローグ――『醜悪』
くらい、と一人の子が声をあげる。 声帯がないその喉からは、何の音も出なかったけれど。 さむい、と別の子が声をあげる。 他人の温もり感じる為の腕を、子は持ち合わせていなかったけれど。 さみしい、と大勢の子が声をあげる。 彼らはその声の数だけいたけれど、確かに独りであったから。
2015-02-02 19:23:25『―――だって、死んでるのは、』 独りきりになってしまった屋敷の中、鳥に向かって言いかけた言葉の続きを、【醜悪】はぼんやりと思い出していた。 黒一色の世界の中、彼らの一部を担っていた醜悪な巨魁はもういない。土塊の如く崩れ落ちて、元の姿へと還ってしまった。
2015-02-02 19:23:39辛うじて形を保っているのは【醜悪】という存在の核とも言える白髪の子だけで、その子を囲む様に、かつて巨躯を形成していた幼子達の声が音もなく響く。 『くらい』『さむい』『さみしい』『さみしい』 子の耳はその瞳と同じくガラクタ同然の飾りであったし、その代わりとなっていた双頭も今はない。
2015-02-02 19:23:56そもそも声の主である彼らだって今は殆ど魂の様なもので、彼らの音無き声を『聞こえる』と表現するのは正確には不適切ではあるのだが、敢えてそう表現するなら、聞こえて来た声は凡そこういった類の恨み言であった。 『ここは違う』『ここは違うよ』
2015-02-02 19:24:12『くらいけど』『同じだけど』『僕らがいた場所じゃない』 嘆く声達に耳を傾けながら、子はそっと瞼を閉じる。目を閉じようが閉じまいが見えて来る景色は変わらず、子にとってそれはとても懐かしいものの様に感じた。何故そう感じたのか、記憶の無い子供にはやはり分からなかったのだけど。
2015-02-02 19:24:24『やりたいことが、たくさんあったんだ』 声帯を失った喉を震わせて、二の腕から先の無い腕をそっと暗闇に伸ばす。 腕の代わりをしていたあの異形の手も、巨躯と共に消えてしまった。その腕ではもう、何も掴むことは出来やしない。
2015-02-02 19:24:34『俺もやりたくて、おまえらもやりたくて、僕らみんなが叶えたかった事、いっぱいあった』 それは、何故だったのだろう。問う声に、周りの声達も答えられずに口ごもる。気が付いたらあの醜い姿で、気が付いたらあの不思議な屋敷にいた。
2015-02-02 19:24:52普通なら訳がわからず混乱するあの状況の中で、自分達が初めに抱いた感情は確かに『歓喜』と呼べるべきものだった。 『チャンスだと思った。今度こそ、叶えられるって思った。だからきっと、俺らは自分で臨んであそこに居たんだ。叶えるために、僕らはあそこに、あの姿で居る必要があったんだと思う』
2015-02-02 19:25:04名がほしい。見てほしい。呼んでほしい。触ってほしい。認めてほしい。 自分以外の誰かに、触れて、感じて、思って、それで【醜悪】は満足だった。失った感覚が時折邪魔をしたけれど、振り返ってみれば、それは既に十二分に果たされていた。
2015-02-02 19:25:16ならば、このまま消えるのもきっと道理にそった事だろう。子等に唯一不満があるとすれば、それらを与えてくれた彼らに自分達が何も返せなかった事くらいだろうか。 沈む様に、飲まれる様に、【醜悪】の意識は段々と薄れていく。
2015-02-02 19:25:30『楽しかった?』 周りで響く声の一つが、そっと耳打ちするように子に囁きかける。 内緒話をするような声色のそれに、小さく笑いをもらして。 子もまた、同じく囁き返すように答えた。 『楽しかったよ』
2015-02-02 19:26:04聞こえない筈の耳が、ふとどこか懐かしい歌声を拾ったような様な気がしたが、やはり気のせいだろうか。 『―――しんでるのは、ぼくらのほうだ。うまれても、いなかったけれど』 ぽつりともれた、あの鳥に言う筈だった、言葉の続き。
2015-02-02 19:26:16音もなく、ただ自身の胸に響いていくだけのそれが何を意味するのか、記憶を欠いたままの頭では考える事すら叶わないけれど。 『だから、このはなしは、きっとこれでよかったんたんだ』 自分達の我が儘は、もう随分ときいてもらったから。
2015-02-02 19:26:53【内緒の話】
エピローグ――『醜悪』
END
エピローグ――『残酷』
ほぼ全ての生物達は己を変えて生き延びる。唯一ヒトという生物だけが環境を変えて生きてきた。荒れ地を耕し種を蒔き、柔肌の上に布を巻く。弱く醜い部分を隠してヒトは人として生きる。そのために道具がいる。社会がいる他者がいる。受け入れられない部分を押し隠すことで、人は人間として生きている。
2015-02-02 23:32:44それは誰もが持っていて、だからこそ隠されていた。けれどそれは押し込められて震えるものをそのままにしてはおけなかった。縛る鎖を外し、肌に触れる衣を取り払い、赤く腫れた傷口にそっと手を触れ温めた。血の通ったその部位は痛みと痺れを伴うのを知っていてなお、止めることはなかった。
2015-02-02 23:32:54それが幸だと考えて、けれど不幸だったことに、それの周りには隠し方のまだ巧くない者が多くいた。それは彼等に情を傾け、受け入れ、甘やかし、覆っていた拙い鎧を大胆に丁寧に剥がしていった。その意志を以って振舞うおとなに、殻も盾も自覚しない幼い彼等が適うはずもない。
2015-02-02 23:33:02そうして彼等がすっかり無防備になった頃、決まってそれは手を離すのだ。否、正確ではない。受け流す術も堪え忍ぶ術も取り去ってしまったまま、彼等が望んで離れて行くのだ。 ならばそれの罪は、手放す先の厳しさを解った上で備えを損なうことだろうか。
2015-02-02 23:35:15仲間等が残酷だと首を振る繰り返しを、それはとうとう最期まで理解しなかった。 唯一の救いでありまたどうしようもないことに、隠さず偽らないことが幸せであると、それは心の底から信じていたのだ。
2015-02-02 23:38:05そうして生まれ死んだ邪悪は最期まで知らぬままだった。そうして溶けゆく胎の中で初めて己の罪を見る。知る。 其れを解してしまった以上、それはもう残酷ですら在れなくなった。 光ベクトルのない場所の中、ただ呼び続ける声が残るだけ。
2015-02-02 23:44:05【残酷なひとの話】
エピローグ――『残酷』
END
エピローグ――『貪欲』
命はいつだって軽くて、世界はいつだって遠かった。 紫苑が最初に映した世界には、自己とよく似た存在ばかりが集められていた。何処からか遣って来ては増えていき、何処かへと連れて行かれて減っていく。判断基準は決して明確なものではなく、一段高い場所から睥睨する者たちの一存でしかなかった。
2015-02-01 15:21:12