マミーさんによる十字軍解説
第一次十字軍
1.事の発端。ビザンチン帝国がセルジュークトルコ系イスラム勢力に押されコンスタンティノープルにまで迫られる。皇帝はローマに援軍を求める。でも当時キリスト教は東西に分かれててローマの教会や教皇はそれを無視し続ける。
2015-02-13 15:58:312. その頃カトリック教会で革新派が台頭を始める。革新派ってのは要は「教会が一番えらいから俗世の君主は従ってね。じゃないと破門しちゃうぞ☆」という勢力。クリュニー修道院が主勢力で、当時のローマ教皇グレゴリウス七世でした。
2015-02-13 16:01:083. グレゴリウス七世と神聖ローマ皇帝のハインリッヒ四世が権威を巡って争いました。グレゴリウス七世はハインリッヒ四世を破門します。ハインリッヒ四世は雪の中ではだしで立ち尽くし許しを求めます。世に云う「カノッサの屈辱」事件です。
2015-02-13 16:03:204.一見グレゴリウス七世が勝ったかのように見えます。しかし若いハインリッヒはこの時のことを恨み、後に軍事力をもってグレゴリウスをローマから追いやります。グレゴリウス七世は復権できないまま死にます。それを傍らで見ていたのがウルバン二世でした。
2015-02-13 16:05:045.ウルバン二世は改革派でしたが冷静な人物でした。軍事力では勝てないので、他の方法でハインリッヒと争うことを決めます。そこで利用されたのがオリエントからの救援のメッセージでした。
2015-02-13 16:06:326. キリスト教では生まれながにして皆罪を背負っています。善人であろうと日々の小さな悪い行いが積み重なり死後裁かれることになります。それを許してもらうために当時の人々は教会に行っていたのです。
2015-02-13 16:08:117. ウルバン二世はこれを利用しました。彼は民衆の前で「聖地イェルサレムを奪還すればすべての罪が許されます」と演説しました。これによって貴族から農民、犯罪者に至るまで多くの人間が武器を持ってパレスチナに向かいます。この呼びかけをクレルモン公会議といいます。
2015-02-13 16:10:168. 最初に旅だったのが隠者ピエールという僧に率いられた貧しい民衆達でした。彼らは道すがら略奪しながら進んだだめ道中の国々に悪印象を残しました。彼らは中東入した後、即効でトルコ軍に撃破され壊滅します。これを「貧民十字軍」といいます。
2015-02-13 16:12:229. その後諸侯の多くが兵を引き連れて中東に向かいます。トゥールズ伯サン・ジル、ノルマンディー公ロベール、フランス王弟ユーグ伯、ロレーヌ公ゴトフロア、プーリア公ボエモンド等です。
2015-02-13 16:15:2010. 当時のビザンチン皇帝のアレクシオスは十字軍を利用して旧帝国領土を取り戻そうと考えました。「おいらに忠誠を誓わないと船を貸さないぞ☆」と脅したため諸侯に嫌われます。以後、アレクシオスは度々十字軍に空気を読まない邪魔をしていくことになります。
2015-02-13 16:18:2611.なんやかんやでアジアに入った十字軍はトルコ軍を撃破しながら海沿いを進みます。やがて大都市アンティオキアに到着します。彼らは一年以上の包囲戦の後、このアンティオキアを占領します。ここで一つ問題がおこります。
2015-02-13 16:20:0612. アンティオキアは公国となったわけですが誰がアンティオキア公になるか、で諸侯はもめました。特にトゥールズ伯サン・ジルは年長で威張り屋だったのでアンティオキア公になりたがりました。しかし空気が読めない人だったので、結局プーリア公ボエモンドが初代アンティオキア公になりました。
2015-02-13 16:21:4712. 同じ頃遠征軍のボードワンの別働隊がエデッサを攻略し、エデッサ伯国を建国します。これによって十字軍は背後を気にする必要がなくなりました。
2015-02-13 16:22:4813. イェルサレムへの道中、ダマスカス太守のドゥカークと何度も戦いながらもトリポリなどの沿岸都市を通過しながら十字軍はついにイェルサレムに到着します。
2015-02-13 16:24:1214. 当時のイェルサレムはエジプトのファーティマ朝が派遣した長官が治めていました。街を包囲した十字軍は当初木材が無かったため、攻めあぐねました。しかしジェノバやピサの支援やボエモンドの甥のタンクレードが木材を調達しついに攻城櫓を三つ完成させました。
2015-02-13 16:26:2815. 攻城櫓が完成したことで、ついにイェルサレムは陥落しました。城内に残っていたムスリムやユダヤ教徒は皆殺しにされました。こうして第一次十字軍は出発から五年足らずで目標を達成したのです。1099年のことでした。
2015-02-13 16:28:1916. 聖地奪還の報せはすぐに欧州にも伝わりました。ウルバン二世と教会の権威は最高潮に高まりました。ハインリッヒ四世は以後目立った動きが出来ず寂しくこの世を去ります。こうしてカトリック教会が頂点の時代がやってきました。
2015-02-13 16:30:1717. 一方、聖地では義務を果たした諸侯が次々と国に戻って行きました。残ったのはロレーヌ公ゴドフロア、プーリア公もといアンティオキア公ボエモンドと甥のタンクレード、エデッサ伯ボードワンとその従兄弟のボードワン(ややこしい)、そしてうだつ上がらないトゥールズ伯サン・ジルでした。
2015-02-13 16:32:0518. イェルサレムの支配者を誰にするかと会議が開かれました。ここで待ってましたと言わんばかりにサン・ジルが立候補。でもスルーされ、結局ゴドフロアがイェルサレム王に選ばれました。でも彼は王なんて畏れ多いから最後まで「墓守/守護者」と王は名乗りませんでした。
2015-02-13 16:34:2219. 一方機嫌を悪くしたサン・ジルは欧州に帰ろうとします。でもふとここで自分も領土が欲しくなりました。なので中立都市のトリポリを攻略することにしました。ですが流石に歳だったためトリポリ伯になる前にこの世を去ります。トリポリ伯国は息子のレーモンが継ぎました。
2015-02-13 16:36:1921. しかし領土拡張は進みました。猛将タンクレードはたった二十四騎のみでガラリヤ地方を制覇します。こうしてガラリヤ公国が誕生するはずでした。しかしここで事件が起きます。叔父のボエモンドがトルコ軍に捕まり行方不明になってしまったのです。
2015-02-13 16:39:10