マミーさんによる十字軍解説

ウェブ漫画白の魔術師作者 @999999999mamy さんによる第一次・第二次十字軍の読み物的に学ぶ解説。第三次十字軍も行われたらここに追記します!
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第二次十字軍

@88888888mamy

41. さて冒頭で教会の改革派について少し触れたと思います。教会が一番えらいと考える人達で十字軍発祥もこの派の教皇ウルバン二世によってなされたものです。この頃は発端の修道院の名前をとってクリュニー派などとも呼ばれていました。

2015-02-14 10:49:36
@88888888mamy

42. クリュニー派の勢いは凄まじかった。しかしかなり過激な宗教派閥なクリュニー派でしたが、それすらも生ぬるいと考える人々が出てきます。シトー派と呼ばれる原理主義者達です。この原理主義者の一人にベルナールという修道僧がいました。

2015-02-14 10:51:15
@88888888mamy

43. この人は非常に雄弁でした。そしてエデッサ伯国が滅亡した事件とイェルサレム女王メリゼンダからの救援要請を受け、第二次十字軍を結成するためにフランスに向かいました。

2015-02-14 10:54:32
@88888888mamy

44. フランスの王ルイ七世と奥さんのエレオノールはベルナールに大きな貸しがありました(これは後ほど)。特に奥さんのエレオノールは女性だけの部隊を組織して一緒に従軍するくらい信仰深い女系でした。

2015-02-14 12:33:27
@88888888mamy

44. ちなみにこのエレオノールはアキテーヌ、ポワティエなど後に「アンジュー帝国」と呼ばれる広大な領土を持つ人で、夫よりも力がありました。後にこの女傑エレオノールはルイと離婚しイングランド王と再婚します。そして生まれたのが後のリチャード王獅子心王です。

2015-02-14 12:37:25
@88888888mamy

45.ともあれ、こうしてフランス王を中心にフランス諸侯が十字軍に次々と参加することになります。次にベルナールは神聖ローマ帝国のコンラッド三世の元に向かい説得を試みます。しかしコンラッド三世はルイ七世やエレオノールほど信仰深くありません。

2015-02-14 12:40:28
@88888888mamy

46. この時コンラッド三世はまだ正式な皇帝ではありませんでした。ローマ教皇から戴冠されないと正式な君主とは認められないからです。ベルナールは成功報酬としてこの戴冠をチラつかせコンラッド三世を動かしたのです。

2015-02-14 12:41:57
@88888888mamy

47. 翌年、コンラッド三世に率いられたドイツ軍が聖地に出立。騎兵二千を指揮していた甥のはフリードリッヒ、後の「赤髭王フリードリッヒ・バルバロッサ」です。ドイツ皇帝に一月遅れる形でフランス軍も出立します。この時エレオノール率いる女性部隊をビザンチン人は「アマゾネス」と呼びました。

2015-02-14 12:45:16
@88888888mamy

48. 第一次十字軍と同じ道を通って第二次軍勢はコンスタンティノープルに到着します。時のビザンチン皇帝マヌエルはアレクシオス帝の時と同じ方法で彼らに接しました。しかもこの時マヌエルは秘密裏にトルコ側と和平条約を結んでいました。

2015-02-14 12:49:01
@88888888mamy

49. それでも同じキリスト教徒なので皇帝はコンラッドとルイに「中央アジアを踏破するのは危険だから海沿いを行くほうがいいよ(´・ω・`)」とこっそり忠告するのだが元々信頼されてないので無視されてしまいました。結果は散々、ドイツ軍歩兵は騎兵を残して全滅します。

2015-02-14 12:50:25
@88888888mamy

50. 仕方なく両軍は海沿いを進みます。しかしトルコ軍のゲリラ攻撃に悩まされ、ついに海路でアンティオキア公国に向かうはめになりました。(コンラッドは負傷してコンスタンティノープルで寝たきり)

2015-02-14 12:53:02
@88888888mamy

51. アンティオキアに到着したルイ夫妻を出迎えたのがボエモンド二世の死後血統が途絶えたので代わりに統治していたレーモンでした。このレーモンはフランス人でしかもエレオノールの叔父にあたる人物です。

2015-02-14 12:55:23
@88888888mamy

52. レーモンはアレッポを攻めるのに力を貸してくれとルイに頼みました。しかしルイの目的はあくまで聖地防衛。早くイェルサレムに向かいたかったルイはその頼みを拒絶します。しかしこれがきっかけで奥さんのエレオノールとの関係にヒビが入ってしまうのでした。

2015-02-14 12:56:43
@88888888mamy

53. こうしてイェルサレムに全諸侯が集まります。出迎えたのは女王メリゼンダと幼王ボードワン三世でした。会議の結果、攻撃目標はダマスカスと決まりました。しかし時期は真夏…

2015-02-14 12:58:58
@88888888mamy

54. 一方イスラム側。ザンギーは奴隷の男につまらないいざこざで殺されてしまい、代わりに息子のヌールッディーンが後継者となっていました。ヌールッディーンもまたダマスカスを虎視眈々と狙っておりました。

2015-02-14 13:00:43
@88888888mamy

55.さて十字軍はダマスカスを目指して進軍します。しかし水が無いので前線基地をミザーヤバルに築くこととなります。しかしイスラム側のゲリラ攻撃が激しく、ダマスカスに近づくことすら出来ませんでした。そこにヌールッディーンが援軍として大軍勢を引き連れてやって来たのでした。

2015-02-14 13:04:22
@88888888mamy

56. ヌールッディーン率いるアレッポ軍が接近してくると聞くやいなや、十字軍は即座に撤退を開始します。第二次十字軍は戦闘が始まってわずか四日で逃げ帰ってしまったのです。その直後にコンラッド三世はいつの間にか仲良くなったビザンチン皇帝の元に立ち寄りながら帰国していきました。

2015-02-14 13:07:13
@88888888mamy

58. ルイ夫妻もコンラッドに続いてさっさとパレスチナを離れます。道中プーリアにシチリアに立ち寄りルッジェロ王とビザンチン皇帝ディスで意気投合したといいます。しかしこの不名誉な聖戦がきっかけでこの夫妻は離婚してしまいます。

2015-02-14 13:09:57
@88888888mamy

59. エレオノールがノルマンディー公アンリ(後のヘンリー二世)と再婚したためフランス領は極端に小さくなりました。これが後の「百年戦争」の原因となるのですがそれはまた別のお話…

2015-02-14 13:11:39
@88888888mamy

60. ちなみにこのルイ七世の息子フィリップが尊厳王として知られる「フィリップ・オーギュスト」、第三十字軍の三王の一人です。

2015-02-14 13:14:04
@88888888mamy

61.ちなみに発起人であるベルナールは第二次十字軍失敗についてこうコメントしてます。 「ま、神に嫌われる人が行ったんだから失敗しても仕方ないよね( ・`ω・´)☆」 以上、第一次十字軍遠征から第二次十字軍の簡単なまとめでした。

2015-02-14 13:16:22
@88888888mamy

第三十字軍、気が向いたらやるかも。まとまりがなくて誤情報満載の悪文を読んでくださりありがとうございました。人物名の表記ゆれは参考資料で違うから統一すんの面倒だったからです。

2015-02-14 13:17:56