マミーさんによる十字軍解説

ウェブ漫画白の魔術師作者 @999999999mamy さんによる第一次・第二次十字軍の読み物的に学ぶ解説。第三次十字軍も行われたらここに追記します!
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@88888888mamy

22. 同じ頃初代国王ゴドフロアが病気で死に、エデッサ伯ボードワンがボードワン一世として二代目イェルサレム王になっていました。彼から「アンティオキアを代わりにおさめてよ!三年たってもボエモンが帰ってこなかったらアンティオキア公にしてあげるからガラリヤをちょうだい!」と言われます。

2015-02-13 16:41:23
@88888888mamy

23.「流石に叔父上死んでるやろ」と思ったタンクレードは意気揚々とアンティオキア公国に向かいます。しかし一年ほどで叔父ボエモンドは無事帰還してきました。こうして彼は領土を持たない人なってしましました(´・ω・`)

2015-02-13 16:42:54
@88888888mamy

24. やがてボードワン一世も病気で死にます。そこでエデッサ伯になっていた従兄弟のボードワン(ややこしい)が三代目イェルサレム王ボードワン三世として即位します。この頃になるとイスラム側の反撃も強くなってきて援軍が必要となり、ボエモンドは欧州に一旦戻ります。

2015-02-13 16:44:38
@88888888mamy

25. 欧州では聖地奪還の英雄として迎えられ新規十字軍の計画も順調に進みました。ですがこの時期彼はビザンチンとつまらないいざこざを起こしてしまい、それが大スキャンダルとなって名声を地に落としてしまいました。失意のままアンティオキア公ボエモンドは故郷プーリアで亡くなります

2015-02-13 16:46:19
@88888888mamy

26.叔父の死後タンクレードは叔父の息子を呼び寄せてアンティオキア公にします。そして摂政として彼を支えて国を治め、その後亡くなりました。最後まで叔父を裏切らなかったということですね。

2015-02-13 16:50:56
@88888888mamy

27. この頃、イェルサレムで有名な騎士団が二つ誕生しました。テンプル騎士団とホスピタル騎士団です。

2015-02-13 16:51:44
@88888888mamy

28. テンプル騎士団は旧ユダヤ教の会堂に本部を置いたため「神殿騎士団」と呼ばれ、ホスピタル騎士団は医療に従事したため「病院騎士団」とも呼ばれます。ホスピタル騎士団はまたの名を聖ヨハネ騎士団といい、後にロードス島、そして最後はマルタ島に渡りマルタ騎士団となります。

2015-02-13 16:53:26
@88888888mamy

29.病院騎士団は十字軍以前からイェルサレムに存在しましたが、最初は非武装の集団でした。聖地奪還後はどっちの騎士団も武器を持って戦うようになります。テンプル騎士団は非常に過激でイスラム教徒を見たら「即!斬!」などという規則を設けていました。

2015-02-13 16:55:30
@88888888mamy

30. さて、当時中東では城塞という概念があまりありませんでした。一方、欧州では要塞は防衛拠点として重要な役割を果たしていました。兵力が圧倒的に少なかったイェルサレム王国は各地に多くの城塞を築きました。クララ・ド・シヴァリェなどがそれです。

2015-02-13 16:57:25
@88888888mamy

あ、ちなみに貧民十字軍を率いてた隠者ピエール、こいつちゃっかり生き残って諸侯の軍勢と共にイェルサレムに行ってます。

2015-02-13 17:09:39
@88888888mamy

あとサン・ジルはアンティオキア公になるために金貨を大量に他の諸侯に送るんだけど味方になってもらえない。でもライバル視してたボエモンには負けたくないと思って意地張ってたら部下が「人肉事件」起こして事件の起こった街をあわてて燃やしてしまうおちゃめさんなんだよ!

2015-02-13 17:11:49
@88888888mamy

でもサン・ジルは五万という諸侯の中でも一番多くの軍勢を引き連れてたんだよ…(震え声) なお現地に到着した時には(r

2015-02-13 17:13:08
@88888888mamy

サン・ジルは諸侯の中でも一番信仰心があって、何が何でもイェルサレム王になりたかったけど他のみんなが野心の一番無いゴドフロアを押すからふてくされて…かわいい。

2015-02-13 17:14:32
@88888888mamy

昨日の続き.31.さて話は少しボエモンドの死後に前後しますが、十字軍同士での戦闘が勃発します。しかもイスラム教徒の都市であるモスルとアレッポとの間に起きた内紛に首を突っ込んだからです。

2015-02-14 10:17:42
@88888888mamy

21. この頃のエデッサ伯はジョスランという騎士でした。ボードワンと共に捕虜になっていた男でしたが身代金とモスルに味方するという条件で釈放されていたのです。

2015-02-14 10:19:01
@88888888mamy

22. モスルの太守ジャワリはエデッサ伯国を味方に引き込めたと思ったので長年のライバルであるアレッポ攻略を開始します。焦ったアレッポ領主リドワンはタンクレディを味方に引き込みます。この時のタンクレディはボードワンと仲が悪かったからです。

2015-02-14 10:22:20
@88888888mamy

余談ですけどこのリドワンはダマスカス領主ドゥカークと兄弟なんですけどすごく仲が悪くて代わりにタンクレディに頼るしか無かったという理由もあります。

2015-02-14 10:23:07
@88888888mamy

23. 両軍はメンビューで会戦。キリスト教徒+イスラム教徒連合VSキリスト教徒+イスラム教徒連合という奇妙な戦闘がこうして始まる。軍配は猛将タンクレディとリドワン率いるアレッポ軍の勝利でした。しかしこの戦闘で両軍合わせて2千のキリスト教徒が戦死しました。これは莫大な数字です。

2015-02-14 10:26:42
@88888888mamy

24. もちろん王は激怒して二人を強制的に和解させます。ですが王国の防衛力低下は避けられません。頼みの綱にしていたヴェネツィア海軍もハンガリーの侵略で全軍引き上げていたので海の方にも気を配らなくてはなりませんでした。

2015-02-14 10:31:01
@88888888mamy

35.兵力が枯渇しつつあった以上、イェルサレム王国は守りに徹する事になります。四代目のイェルサレム王はフランスから来たアンジュー伯フルクでした。奥さんはボードワン二世の娘メリゼンダでした。

2015-02-14 10:35:17
@88888888mamy

36. しかしフルク王はあまり優秀ではなく、十字軍国家はどんどん弱体化していきました。 さらに運が悪いことに、この時期イスラム側にある一人の男が登場します。彼の名はイマード・ウッディーン・ザンギーといいます。

2015-02-14 10:37:28
@88888888mamy

37. ザンギーは非常に強く、有名な城塞の一つモンフェランを奪われてしまいました。さらにフルクはアンティオキア公国をビザンチン帝国に委ね属国化を許してしまいます。欧州からの支援も得られずフルクは狩りの途中で落馬して死んでしまいます。

2015-02-14 10:40:22
@88888888mamy

38. フルクの跡を継いだのは幼い息子と奥さんのメリゼンダでした。気の強い奥さんだったため摂政ではなく自らを女王と名乗ったほどです。しかしこれがマイナスに働きました。イスラム側は女性を軽視する傾向があるのでこれがザンギーを戦う気にさせてしまったのです。

2015-02-14 10:42:15
@88888888mamy

39. こうしてザンギーに目をつけられたのがエデッサ伯国でした。アルメニア人などと共闘してエデッサ伯国は奮戦しましたが1144年、エデッサ伯国は陥落しました。住民はイスラム教徒でも殺されあるいは奴隷として売られ、都市は徹底的に破壊されました。

2015-02-14 10:45:00
@88888888mamy

40. エデッサ伯国滅亡。このニュースは瞬く間に欧州に伝わり人々を驚愕させました。何故なら神が守ってくれると信じていた十字軍国家が異教徒の手によって滅ぼされたからです。この出来事は人々のみならず宗教界にも大きな変化をもたらします。

2015-02-14 10:47:04