「創」2015年3月号 小林よしのり×香山リカ対談における読者からの小林氏の誤謬への批判

ざっと、まとめてみました。 追加あれば お声掛け下さい。
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丹菊逸治 @itangiku

『創』3月号ようやく入手。香山リカは頑張ってるな。小林よしのりはやっぱりだめだ。「和人との混血を重ねていけば、もう何百分の一しかアイヌの血は残らない」なんていってるが、そもそもまだそんなに「混血」してないよ。「何百分の一」てのは無理だよ。むちゃくちゃだ。

2015-02-09 23:46:47
丹菊逸治 @itangiku

.@itangiku 小林よしのりがアイヌ民族を「ない」と結論している大きな根拠は「アイヌ語を話していない」ということのようだけれど、それも無茶。アイヌランド人やバスク人も大半がいないことになってしまう。少数言語の話者の減少はもちろん問題だけど、それと民族の消滅とは話が別だ。

2015-02-09 23:50:54
丹菊逸治 @itangiku

.@itangiku 小林よしのりはアイヌを「熊襲」や「隼人」などの古代の存在と並べてるけど、それも無茶だ。そんな昔の話をしてるんじゃない。アイヌのコミュニティは今でも残っている。それに小林が重視する言語についていえば、明治生まれのアイヌはだいたいがアイヌ語を話していたんだぞ。

2015-02-09 23:55:11
丹菊逸治 @itangiku

.@itangiku 小林よしのりが引用する知里真志保の「生活の凡ゆる部門に亘って『コタンの生活』は完全に滅びたと云ってよい」という文章はまあ「明治維新で江戸時代の文化が滅んだ」みたいな話。知里の同時代のアイヌの多くはアイヌ語が話せたしね。彼の文章は誇張。

2015-02-10 00:00:05
丹菊逸治 @itangiku

.@itangiku 小林よしのりは知里真志保の「アイヌ民譚集」のあとがきを「一次史料」か「二次史料」として扱っているが、じゃあそもそもちゃんと史料批判してるのか?ただ引用して「こう書いてある」というだけで「一次」だの「二次」だの素人丸出しじゃないか。全然駄目。

2015-02-10 00:04:37
丹菊逸治 @itangiku

.@itangiku 小林よしのりは知里真志保『アイヌ民譚集』後記をちゃんと読め!そこにはまず「私の郷里-北海道胆振国幌別郡幌別村-だけに就いて云ふならば」と書かれている。しかも彼が育った登別は「アイヌの家が二三軒しか無く」という状態で、彼自身がアイヌ共同体の中心にはいなかった。

2015-02-10 00:10:10
丹菊逸治 @itangiku

.@itangiku そもそも知里真志保『アイヌ民譚集』後記の文章から「誰もアイヌ語を話していなかった」と考えるのは無理だ。そこには「或婆さんは英語すらも読み書くほどの物凄さである」などとあるだけで、当時のアイヌがアイヌ語を話せなかったとはどこにも書かれていないのだ。

2015-02-10 00:13:51
丹菊逸治 @itangiku

.@itangiku 小林よしのりは「戸籍を遡っていくとなったら、わしだって隼人かもしれない」と言っている。自分たちの共同体が、他の共同体と異なり戸籍から「隼人の子孫」だと判明すれば、別民族を主張することももちろん可能だ(共同体があればの話だが)。出来るものならやってみろ。

2015-02-10 00:17:27
丹菊逸治 @itangiku

.@itangiku それに小林よしのりは、香山リカが「100分の1」なんて全然言ってないのに「なんでそこで、血が100分の1になろうと自分はアイヌ民族だと言い張るの?」などと突然言い出す。これはよくあるいんちきレトリック。実際にはいきなり「100分の1」になんぞならない。

2015-02-10 00:22:04
丹菊逸治 @itangiku

.@itangiku 小林よしのりがいきなり「100分の1」を持ち出すのはいんちきである。血は重要だが、それは「連続性を保証する方法の一つ」であるからだ。そういう意味では血は半分以下に薄くなんぞならないのだ。100分の1にはならないのだ。永遠に「全」か「半分」なのだ。

2015-02-10 00:25:20
丹菊逸治 @itangiku

.@itangiku 「そういう意味」つまり「連続性の保証」としてでなければもちろん100分の1になることもある。アメリカの先住民族の中には「血の濃さ」を基準にしている場合もある。だが、その場合でも「血の濃さ」は人種的基準ではない。コミュニティの範囲を決める基準に用いているだけ。

2015-02-10 00:27:55
丹菊逸治 @itangiku

.@itangiku だから小林よしのりの「血の基準」に騙されそうになる人々もいるだろうが、そこはちゃんと考えて欲しい。彼がいきなり「100分の1」だの「何百分の一」だの言っているのは正しくない。事実に反している。それは誇張でごまかすためなのだ。

2015-02-10 00:29:40
丹菊逸治 @itangiku

.@itangiku 「2分の1ならその民族の一員だが、100分の1ならその民族の成員ではない」とだけ考えるのは人種主義である。コミュニティの一員として存在してきたのであれば、何分の一でもよいのだ。

2015-02-10 00:31:30
丹菊逸治 @itangiku

.@itangiku 小林よしのりは、「血」ではないところでもボロボロだ。アイヌというアイデンティティを持つなら「勝手にやればよろしい。ただこちらは認めない」と言い切っている。これは駄目だろう。話にならない。

2015-02-10 00:36:53
丹菊逸治 @itangiku

.@itangiku アイヌという民族集団についても実態認識に誤りがある。「もともとを言えば関東以北は全部蝦夷だから」という話がいきなり出てくる。そんな雑な話をしてるのか。そんな雑な話をもとにアイヌ民族が「ない」だのなんだの言っているのか。

2015-02-10 00:39:23
丹菊逸治 @itangiku

.@itangiku すでに他の方のツイでも指摘されているが、アイヌ語については全く知識がないようだ。それで「アイヌ語はもう話されていない」など適当なことを抜かしているのか。呆れた。

2015-02-10 00:41:47
丹菊逸治 @itangiku

.@itangiku 「一口にアイヌ語と言っても、北海道の中でどれだけ統一されたアイヌ語というものがあるのか、それすらわからない。」とは呆れた物言いだ。その程度のことは言語学者は把握している。言語学者が今挑んでいるのはもっと別の、先のことだぞ。

2015-02-10 00:43:29
丹菊逸治 @itangiku

.@itangiku 「テープを買って、アイヌ語でしゃべったり歌ったりしているのを聞いたけど、破裂音が入るような変ったしゃべり方だよね。とてもじゃないけど今あれを使って一般的な会話ができるっていうところまでにいかないでしょ。」だと!ふざけるな!

2015-02-10 00:45:11
丹菊逸治 @itangiku

.@itangiku 小林よしのりの「差別」観にも問題があるようだ。彼は「わしは同胞を差別するなと言ってるんだよ。それを差別する人間は批判するよ、わしは。」と言う。同胞じゃなければ差別してもいいとでもいうのか。「他者を差別してはならない」が民族差別をなくす第一歩だろう。

2015-02-10 00:49:14
丹菊逸治 @itangiku

.@itangiku それ以外でも「少数派がアイデンティティを主張すると差別を生み、無意味な軋轢を生む」という主張を展開している。これはものすごく古典的な同化政策の正当化だ。いまどきこれかよ。

2015-02-10 00:51:56
丹菊逸治 @itangiku

.@itangiku 最後の部分は「アイヌ民族じゃなくてアイヌ系という呼び名が私はいいと思う」と言ってるだけだ。理由はどうやら民族だと認めると「国民を分断」することになると考えているからのようだ。何を馬鹿な。

2015-02-10 00:57:03
丹菊逸治 @itangiku

.@itangiku すでに指摘されているが、『創』三月号の対談は「香山リカの勝ち」だな。

2015-02-10 01:00:11
丹菊逸治 @itangiku

先住民族について「血」が基準になりうるのは形質そのものが重要だからではもちろんない。「血の濃さ」が共同体そのものと重なりあっている可能性が高いからにすぎない。

2015-02-10 14:22:38
丹菊逸治 @itangiku

.@itangiku 先住民族でいわゆる「混血」が問題になるのは「両親の出身民族が異なるために、家庭内で子供のアイデンティティが不安定になることがある」からだ。それは共同体を不安定にしかねない。だが、やがて個人のアイデンティティは何らかの形で安定するから共同体も安定している。

2015-02-10 15:00:00
丹菊逸治 @itangiku

.@itangiku ある先住民族が全員「混血」したとしてもマジョリティとの区別がなくなるわけではないし共同体も消滅しない。しかも大抵はマジョリティ内部の方言集団同士よりも言語・文化の差異は大きい。「混血」を続けても言語や文化など目につく差異が小さくなるだけで共同体は消滅しない。

2015-02-10 15:04:59
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