訳あって「エゼキエル書」の34章の訳をWikisourceで確認したのだが、見て卒倒しかけた。34章16節の「滅ぼす」に当たる箇所に、な、な、なんと「監督する」などと訳されてるではないか! 「滅ぼす」を「監督する」?あり得ないでしょ…。ja.wikisource.org/wiki/%E3%82%A8…
2015-02-20 22:49:28.@royterek これは文語訳と新共同訳、新改訳で「滅ぼす」、口語訳で「監督する」なので、wikisourceの典拠である口語訳だけが「監督する」ですね。原文はroyterekさんの専門分野なのですが70人訳はτὸ ἰσχυρὸν φυλάξω「強きものを監視し」。
2015-02-21 20:27:19@royterek King Jamesは I will destroy the fat and the strongで、やっぱり70人訳が気になりますね。
2015-02-21 20:40:18ヘブライ語の動詞はהִשְמִיד(hismid)で「殲滅する」(annihilate)の意。ד(daled)をר(resh)と間違えた模様。שמר(shamar)なら「守る」の意。@MasahiroKitano:70人訳はτὸ ἰσχυρὸν φυλάξω「強きものを監視し」。
2015-02-21 23:15:45ちなみに、聖書の英訳文を簡単に比較できるサイトがありますが、当該箇所の結果はこちら(biblehub.com/ezekiel/34-16.…)。19の訳のうち、Douay-Rheims Bible(英国カトリックの訳)のみが"preserve"と訳しています。 @MasahiroKitano
2015-02-21 23:18:50しかし、70人訳で文字通り正反対の誤訳をしていたとはにわかには信じがたいものがあります。というのも、文字が判読し難かったとしても、文脈から「守る」は発想としてあり得なかったはずなので。@MasahiroKitano:70人訳はτὸ ἰσχυρὸν φυλάξω「強きものを監視し」
2015-02-21 23:21:53あと、仮に私の仮説が正しかった場合でも、שמר(shamar)は、Douay-Rheims Bibleで"preserve"と訳されているように、「守る」「維持する」「保持する」という意味であって、「監督する」や「監視する」という意味にはなりません。@MasahiroKitano
2015-02-21 23:28:31ということは、例の「口語訳」というのは(これの背景自体よく知らないのですが)、70人訳聖書→Douay-Rheims Bible経由で訳された可能性はありそうですね。しかし、文脈から神が「肥えたものと強きもの」を「守る」のはさすがに考えにくいので、無理やり意訳したのではないかと。
2015-02-21 23:33:10もちろん、意訳としてなら許容範囲なのかもしれませんが…。いずれにしても、ニュアンスはשמר(shamar)とは大分異なります。これは基本guardの意なので。@royterek:「守る」「維持する」「保持する」という意味であって、「監督する」や「監視する」という意味にはなりません
2015-02-21 23:37:53Catholic Community Forumのスレッド(catholicforum.com/forums/showthr…)で同じ問題が取り上げられていますね。先の英国系カトリック聖書以外に、ラテン語やスペイン語訳では、70人訳に由来すると思われる"preserve"を採用する傾向が見られる模様。
2015-02-21 23:58:28まず、日本で最も流布しているであろう『新共同訳聖書』で問題の個所(エゼキエル34:16)はこう訳されています:「わたしは失われたものを尋ね求め、追われたものを連れ戻し、傷ついたものを包み、弱ったものを強くする。しかし、肥えたものと強いものを滅ぼす。わたしは公平をもって彼らを養う」
2015-02-22 00:02:32しかし、英国カトリックの"Douay-Rheims Bible"の他、16世紀にカトリック教会により公式の聖書として認可された"Latin Vulgate Bible"(Vulgate textとは「一般的テクスト」の意)やスペイン語訳聖書では、「滅ぼす」を「守る」に訳している!
2015-02-22 00:07:47しかも、ここ(catholicforum.com/forums/showthr…)でBruceなる人が言うには、ラテン語聖書を継承したカトリック圏の聖書は、「強きものを滅ぼす」の代わりに「強きものを守る」と訳している部分を、直後の「わたしは公平をもって彼らを養う」に直接結びつける形で訳しているのだと!
2015-02-22 00:16:35Bruceさん曰く:「この二つ(のセンテンス)は、ラテン語の「…と」に当たる"et"によって結び付けられている一方で、Douay-Rheims聖書(英国カトリック系)は(二つの間に)コロンを挿入しているが、現代スペイン語訳聖書では、一つの文章が終わり、別の文章が新たに始まる」
2015-02-22 00:27:50その後、Fernandoという人が、カトリック教会のプレスが1907年の声明で、ローマ教皇ピウス10世がラテン語訳聖書の改訂版の準備を決意した(その必要性はレオ13世の時代から認識されてきた)と伝えたという事実を指摘。で、その後の修正でこの箇所は「滅ぼす」に直されたのではないか。
2015-02-22 00:38:59以上のことが本当だとすると、これはもしかすると大スクープかもしれません。つまり、カトリック教会は、20世紀初頭まで、「神は弱きを助け、強きを滅ぼす」という聖書に典型的な終末論思想を逆転させて、「神は弱きも強きも助け、とりわけ後者は公平をもって養う」と露骨に自己正当化してるわけで。
2015-02-22 00:47:34しかし、カトリック世界によるこのような(どう考えてもおかしい)テクスト解釈の根拠が、元を辿ればヘレニズム時代のギリシャ語を話すユダヤ教徒によって翻訳された「七十人訳」に遡るというのは、なんとも皮肉である。
2015-02-22 00:54:08「七十人訳」聖書は、プトレマイオス王に「依頼」されたという説があるが、これは伝説の類に過ぎないように思われる。実際には、この時代にヘレニズム化してヘブライ語の読めなくなったギリシャ語話者のユダヤ教徒(今風にいえば居住国家や周辺文化に同化したユダヤ人)の「要請」であったと言われる。
2015-02-22 00:57:03「七十人訳」のwikiをざっと眺めたが(専門外なので基本的なことしか知らない)、翻訳の過程で、「イスラエルの民」等のフレーズを訳さなかったりと「脱ユダヤ化」の傾向がかなり見られるようだ。となると、問題の個所も、そのような傾向の一環でなされた(かなり強引な)「解釈」だったのだろう。
2015-02-22 01:02:44そもそもヘブライ語聖書(「旧約聖書」)は、キリスト教がキリスト教の聖典の一部としても継承した結果、キリスト教世界では、タルムードとは対照的に、焚書されるようなことが一切なくなった。しかし、キリスト教国教化以前の古代世界では、権力者にとっては過激で危険な書以外の何ものでもなかった。
2015-02-22 01:11:06したがって、当時の社会や権力者にとっては明らかに過激で危険だった一神教の思想を記した聖書を、世界で初めてユダヤ人以外の言葉であるギリシャ語に翻訳するともなれば、翻訳者がそうした一神教に特有の「過激さや危険性」を極力薄める必要を感じたのも無理はない。
2015-02-22 01:32:34ちなみに、ここで話題にしている「エゼキエル書」34章は、「旧約聖書」において、「神は弱きを救い、強きを滅ぼす」という終末論的思考が最も色濃く反映されたテクストの一つである。文字通り「太った、強き」側にある権力者側が、こういった記述に特段の脅威を感じるのも、全く理の当然なのである。
2015-02-22 01:37:50古典の場合「原文」が何というのは簡単には言えないので、「間違い」というより原典の読みが異なるという方が正確ではないでしょうかね。 文語訳が欽定訳からの重訳なのに対し口語訳は最初の(?)原典批判に基づく訳で、七十人訳と同一の読みをしたのかもしれません。 @royterek
2015-02-22 02:39:28