丹生谷貴志ツイートまとめ(2015年2月)
このマルロー理解の図式は粗雑ではあるが、しかしいわゆるマルロー研究家=崇拝者が「美術批評家以降」のマルローに「統合的-多元民族主義」のイデオローグの先鋒を読み取って私淑を隠さなかったのは事実であるだろう。マルローの名を出すのに警戒が必要である所以・・・
2015-02-01 00:03:16「マルローという人には片時も遊びでは応じられないようなところがある」というようなことを或る人が言う。意外なことに(?)川端康成・・・まあ、川端さんに対してもいつもビッグワードでしか話さないマルローにいささかうんざりしたのかもしれない。
2015-02-01 00:12:49ドゥルーズというと何故かG・ハリスンの「ビー・アウェア・オブ・ダークネス」を思い出すのは、アルトー論を準備していた宇野邦一さんに彼が「無に気をつけなさい」とだけ言ったという話を思い出すというだけのことだが・・・ピンチョンの『V.』の謎の郷Vheissuのエピソードを読みながら・・
2015-02-01 00:23:03白土三平は千尺の谷に架かった四寸幅の板の上を歩道を歩くように平然と歩くことができる者を忍者と言う、と描いていたような記憶がある。小学校の時の記憶。なるほどと納得したような記憶がある・・・しかし(?)、忍者タートルズは喧しすぎるしNARUTOは秘法と友達が多すぎる・・・
2015-02-01 00:35:43「リチャード・パワーズが自分はこの小説を何故書くことになったのかという裏話を織り交ぜて小説を書くのは何故か、それをメタ・フィクションだと思えというのか?」というようなことを或る人が書いていて大笑いする。ほんとにそうだ。彼の小説はみんな少なくとも三分の一にすべきだと思うことがある。
2015-02-01 00:49:45必要があって谷崎潤一郎について書かねばならず、めちゃくちゃ苦労した割にはいつもながらかなりいい加減な見通しの文章、谷崎ファンが読めば憤笑モノでしょうが、書き終わると何故か以前より谷崎さんが好きになって、結果これから全作を頭っから読み直そうかなんて思ったりするのは反省が足りないのか
2015-02-02 00:56:30・・・正確にはフランス語でどう言ったのか知りませんが、ドゥルーズが何かで珍しく激怒して、「他人の血と死で遊ぶな」だったか「他人の血と死を利用して思考するな」だったか、そんな風に怒鳴ったインタヴューか何かを記憶しています。ヌーヴェルフィロゾフの連中に対してだったでしょうか・・・
2015-02-02 01:05:02花田清輝はマルローの小説を駄作・愚策と言いそれはおそらく中国革命前夜の階級問題を全く理解せず孤独のメロドラマとしてしか描いていないという意味だろう。その通りだと思う。しかしまあ駄作は傑作という概念の反対で、逆に花田さんが傑作という概念を未だ保持していたことの方が不思議な気がする
2015-02-03 01:46:23「彼はニヤリと自嘲的に笑い、口をへの字に閉じた」「彼女はコウモリのように瞬間的に両手を広げて攻撃をよけた」式の文面に慣れないとサスペンス小説が読めないのかと思うと嫌になってしまい、結局読まず嫌いで過ごしてきてしまう・・・。この文体はどこから来たのか。新聞記者あがりの文章とか?
2015-02-05 02:31:49そういや川合貞吉の本は面白いが、実体験を書いているのに彼の文章もどこかアクション小説の紋切り型文体の気配がある。もっとも彼はすこし前の世代だが。ジャーナリストのノンフィクションの文章癖なのか・・・
2015-02-05 02:38:34あ、誤解なきように。ジャーナリスト系のサスペンスが文学的に低い(!)と言いたいのじゃなくてその逆、その妙な文学くささが落ち着かないということ。本来文学なんてのを蒸発させてしかるべきものがそれにやんわりとでも染まる理由がどこにあるのかと思うわけです。
2015-02-05 15:59:20・・・むろん、僕には「陳腐」と感じられてしまう独特の「文学文体」を独特の調子=属性と感じ取ることでサスペンスの読書がその速度を得るのだろうとは想像がつくのですが、例えば広河隆一さんの『破断層』とか、やはりその素人臭い文学臭文章がなければ・・・と残念に思ってしまうのです。
2015-02-06 11:16:56ゴダール新作は未見。方々「通」の情報を見せられ過ぎて。3D以前に、真っ暗な映画館で上映してくれるのかしらと気になる。題名は「言葉と共にある神へ」とも訳せる洒落でしょうしアヌイの「アンチゴーヌ」の引用は占領下のパリで上演された劇だしヴォークトの仏訳はボリス・ヴィアンで・・とか余計な
2015-02-06 11:55:02完全に集中力が滅し、ついに『柳生十兵衛死す』などを寝入り端に読む・・時は慶安2年・・・って、慶安は1648年から52年で、バロック期、まあデカルトが消えスピノザの時期、ルーダンの憑依事件の二三十年後か、と余計な平行を想像しながら・・・そうか観世は二代で血筋が消えて金春に流れ・・・
2015-02-07 02:45:54どうでもいいことだが、マルローの最後の美術書はあくまでも彼なりにだがフーコーの『言葉と物』辺りを少し意識していたようだ。仲介者(?)はクロード・モーリャック。モーリャックは人柄か最後までフーコーの友人であったらしく死の一ヶ月前か『性の歴史』新刊を抱えたフーコーに街で会っている。
2015-02-07 02:56:20「芸術」という訳語定着をネット検索。この語は『後漢書』にすでにあるがArtの訳語としての近代語として最初に使ったのは中江兆民、あるいは西周であり・・・云々。しかしその記事を書いた、名前は言わないことにしておく「美学者」の知的な紋切り型。本人の顔を知っているだけに、何とも・・・
2015-02-08 08:29:39・・・波多野精一の宗教哲学? あるページに書かれた「壊滅」という単語の形だけが残り、僕にはその単語の「形」が波多野精一の「哲学」の中核に置かれることになります。あくまでも、ページ文字列のなかに置かれたその単語の形、という意味で・・・
2015-02-08 08:37:11妙に相性の悪い小説家があり山田風太郎さんが最たるもの、何しろ読もうとすると必ず緊急の仕事が入って中断され、その間に肝心の本を見失ってしまう。勢いで読むべき本には辛い。『魔界転生』など毎度最初の島原の乱あたりで中断させられ、この20年、未だ読了していない。今ようやく全2巻見つけた。
2015-02-08 23:00:29山田さんの「ような」小説でも僕の読書速度は嫌になる程遅い。真面目な話、軽度の読書障害があるんじゃないかと本気で思っていて、乗り物内で読めないのは端的に乗り物酔い症だが普段でも、ソリが合わない本はもとより、好きなものでも一定速度を超えると文字の意味がバラバラになってしまうのだ・・・
2015-02-08 23:14:29「書かれている以外のことは断固読み取らぬこと」これがフーコー的方法の譲れぬ原則であるとして、ことは細微を極める。「鴨川の河原はしいんとしている」という短文でさえここに書かれていることの限定は困難を極める。例えばフーコーとデリダの有名な「論争」はその極における菌糸状の亀裂だった・・
2015-02-08 23:53:32バイエのデカルト伝やデカルト自身の行文からもデカルトが或る狂気に近づいた時期があるという解釈は成り立ちますが、17世紀において自身の状態をあのような言い方で口にし書くことは一種の決まり文句であったとも言い得るので、それをそのままデカルトの孤独の荒野の表出であったと断言はできない。
2015-02-09 00:34:07