盾と鎧と日本刀

なぜ侍は盾を持たず刀だけで戦うのか、から始まる日本刀の真実の一面。どうぞご覧ください。
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nino-絵仕事できます @ninouchiirazu

お侍が盾を持たずに刀だけでチャンバラしてる理由で未だコレ!といった説明にいきついたことない。武士は馬上で弓か槍使うオフェンスがお仕事で盾を持つのは別ポジションの人がやること、戦国時代が終わって江戸以降は剣術で飯食うから刀一本で強さを示さねばならず、だから盾持ち歩かない…でOK?

2015-03-21 19:49:47
吉本稔@コミケ98・5/2(土)初日・南イ-37a @niseyoshimoto

@ninouchiirazu 平安時代から室町にかけての大鎧の大袖が実は盾代わりになっておりまして、手で持つ必然性がなくなったからと言うのもあります。ただ絵巻物とか見ていると雑兵(郎党)が所持しているのもあります。 pic.twitter.com/3EQDgpd1Cz

2015-03-21 20:12:13
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吉本稔@コミケ98・5/2(土)初日・南イ-37a @niseyoshimoto

@ninouchiirazu あと日本刀が両手持前提と言う武器だというのもあるかもしれません。

2015-03-21 20:13:23
nino-絵仕事できます @ninouchiirazu

@niseyoshimoto 基本的に日本の盾っていうと飛び道具を防ぐ物なんですよね。西洋の騎士みたく、近接戦闘で相手の手武器を真っ向から止める盾っていうのがどうして無いのかなって部分に対する、スパッとした説明が無いなあと。

2015-03-21 20:16:18
nino-絵仕事できます @ninouchiirazu

@niseyoshimoto 江戸以降に戦場にでなくなったお侍さん用に、馬にのって戦うことは無いのだし刀も両手持ちの形状に変化したとかどっかで聞きましたが、ここでも片手刀に盾をもつ選択肢があったにもかかわらず、両手で武器を持つ方向に行ってるんですよね。

2015-03-21 20:18:35
nino-絵仕事できます @ninouchiirazu

@niseyoshimoto そいえば鎧ってその頃のが特に大きいんでしたっけ。子供の頃は西洋のフルアーマーみたくなんで全身覆わないんだろうなんて思っていたけど、あれはあれで関節部分に至るまで装甲の抵抗かかるし物凄く動きづらいんですよね。多分落馬した時点でギブアップじゃないかな…

2015-03-21 20:21:49
吉本稔@コミケ98・5/2(土)初日・南イ-37a @niseyoshimoto

@ninouchiirazu そうですね、平安~鎌倉の頃の大鎧は特に大きいです。平重盛奉納の実物を見たことありますが、想像以上に分厚いんですよね鎧の厚さ。なぜこうなったかと言うと、騎射戦を想定した造りなんです。馬上からの射撃戦がメインの戦闘方法だったこともあり、(続

2015-03-21 20:25:05
吉本稔@コミケ98・5/2(土)初日・南イ-37a @niseyoshimoto

@ninouchiirazu (続き)馬上でいちいち盾持ってると不利になってしまうので大鎧も発達し、「盾が持てないなら盾レベルに鎧を分厚くすればいいじゃない、盾代わりに大きな袖付ければいいじゃない!」と言う事で大鎧は重装備化していきます。 (続

2015-03-21 20:27:57
吉本稔@コミケ98・5/2(土)初日・南イ-37a @niseyoshimoto

@ninouchiirazu (続)そんなわけで馬から降りて戦う必要もなくしかも防御に重点を置いたため重装化してしまいましたが馬が支えてくれるという前提も含めているのでああなりました。しかし元寇以降南北朝の動乱に至り戦術に変化が生じると大鎧も軽量化の道を歩みます。(続

2015-03-21 20:31:18
吉本稔@コミケ98・5/2(土)初日・南イ-37a @niseyoshimoto

@ninouchiirazu 平安末期に動員兵力が数百(保元の乱)から一気に数万(富士川の戦い)に増えてしまいまして、戦闘が馬上戦主体の戦(戦闘専門者同士の先頭)から、動員された有象無象の戦力を使用した規模の大きな戦闘徐々に移り変わっていく過程で大鎧の存在がかなり不利になって(続

2015-03-21 20:34:12
吉本稔@コミケ98・5/2(土)初日・南イ-37a @niseyoshimoto

@ninouchiirazu (続)段々改良が加わり(馬上で使用するので肩に重さがのしかかる→重さを肩だけでなく胴にも負担させるように草摺あたりで腰に縛る造りに→歩き易いよう草摺を小さくして数を増やした)ました。で、盾ですが、手持ちの盾がなかった訳ではないんですが(続

2015-03-21 20:43:50
吉本稔@コミケ98・5/2(土)初日・南イ-37a @niseyoshimoto

@ninouchiirazu (続)手持ちの盾が発展しなかった訳はおそらく小規模単位の集団による機動戦重視だった当時の戦術と、薙刀や槍(南北朝時代~)や長巻などの両手持武器の発達、戦列を組んで前進するような戦法ではなかったことなどもあると思います。

2015-03-21 20:50:34
nino-絵仕事できます @ninouchiirazu

@niseyoshimoto 大規模な集団戦になった結果、個々の役割が尖ってくるから、ただでさえ鎧でガチガチの武士は両手を攻撃に使う方面に特化させた傾向になった感じでしょうか。いつの時代もアウトレンジ最強ですし、リーチのある武器は重く大きいから両手必要ですよね。

2015-03-21 20:57:33
nino-絵仕事できます @ninouchiirazu

@niseyoshimoto 戦国時代以降は何でしょうね、ひとつやふたつは盾使う流派探せば出てきそうなものなんですがひとつも聞いたことない。二刀流ですら極めて稀ですよね。

2015-03-21 20:59:49
nino-絵仕事できます @ninouchiirazu

@niseyoshimoto 剣道流行りだしたのも江戸入ってからでしたっけ。戦国終わったタイミングで剣道が流行りだすって流れがあったとしたら、そこも武士が盾使わない原因かもですね。

2015-03-21 21:02:01
nino-絵仕事できます @ninouchiirazu

@niseyoshimoto 集団戦やってた頃に盾使わないのは馬に乗るから。集団戦しなくなった頃に盾使わないのは今まで使ってない道具を真剣勝負の場でいきなり使いこなすの無理だなーどうしようかなーってタイミングで剣道ってのが流行りだして、ああなおさら盾なんて今更持てないなーみたいな

2015-03-21 21:03:56
吉本稔@コミケ98・5/2(土)初日・南イ-37a @niseyoshimoto

@ninouchiirazu 戦国時代以降は、なんでしょうねえ…たぶん、個人が盾保有での戦闘がそうそうなかった時代があまりにも長すぎたことが原因ではないでしょうか。 あと両手使用の方が日本刀の切断機能をフル活用出来ると言う事なのかもしれません。

2015-03-21 21:04:41
吉本稔@コミケ98・5/2(土)初日・南イ-37a @niseyoshimoto

@ninouchiirazu 武家の風俗は俗に『弓馬の道』と言うくらいですので、アウトレンジ指向はかなり長く続き、戦国時代もその傾向は続くようです。軍功状での負傷率は飛び道具が圧倒的に高いという統計もあるようです。

2015-03-21 21:08:42
nino-絵仕事できます @ninouchiirazu

@niseyoshimoto このテの話すると、日本刀は3回も使えば油で斬れないだの言い出す人結構居るけど、あんな金属の棒で屈強な武士が打ち付けてきたら普通に死にますよね。突けば刺さるし。両手武器っょぃ

2015-03-21 21:10:19
吉本稔@コミケ98・5/2(土)初日・南イ-37a @niseyoshimoto

@ninouchiirazu 長い事これで成功してるのだから今更…と言う事も実際あるのかもしれませんw

2015-03-21 21:11:29
nino-絵仕事できます @ninouchiirazu

@niseyoshimoto 矢が一番死亡率高くて次が石、ってやつですね。戦の準備ともなると真っ先に矢の大量生産させるっていうから、相当の数使うんでしょうね。鉄砲に切り替える判断は難しかったでしょうね…火薬高いし兵の練度上げにくいし連射できないし。鎧貫通する威力は凄いんですけどね

2015-03-21 21:13:03
吉本稔@コミケ98・5/2(土)初日・南イ-37a @niseyoshimoto

@ninouchiirazu 油が乗って切れないの話は根拠がないそうです。斬れる斬れないにしろ鍛えてある金属棒でどつかれれば斬れなくても打ちどころ悪くて死んでしまいますよねw

2015-03-21 21:13:38
nino-絵仕事できます @ninouchiirazu

@niseyoshimoto 検証できませんもんね。アメリカの通販番組でサムライソードのご紹介のとき、吊るした牛肉をオッサンが何度も斬りつけてましたが切れ味は落ちてませんでした。量産のまがい物な上に油でギトギトなのに。

2015-03-21 21:19:01
吉本稔@コミケ98・5/2(土)初日・南イ-37a @niseyoshimoto

@ninouchiirazu 鉄砲は弓より教えるリスクが軽いのもありますが、何せ「でもお高いんでしょう?」案件なので初期は財力に余裕のある勢力が配置に成功している位ですね。根来僧侶が鉄砲傭兵で名を馳せたのも「僧侶だから集団で学習し易い」「財力問題なし」の条件があったからと思います

2015-03-21 21:26:24
吉本稔@コミケ98・5/2(土)初日・南イ-37a @niseyoshimoto

@ninouchiirazu そんなこと言ってるとほぼ同じような技術条件で作成している包丁はどうなんだと言う事ですよw

2015-03-21 21:27:33