なぜヘイトスピーチを許してはいけないのか(あるユダヤ研究会での出来事より)
「100年後、ドームの最初の改革提案からわずか20年後、そしてごく限られた人びとに最初のためらいがちな同化の試みがはじまってから10年ないし15年ののち、グラッテンアウアーの『反ユダヤ人論』〔1803年〕が、完全な近代版を思わせる反ユダヤ主義議論をうちだして、時の話題をさらった」
2015-03-23 02:42:27「それも教養の乏しい庶民ばかりか、プロイセンの首都の知的エリートたち…の関心をかきたて、〈キリスト教徒ドイツ人食卓会〉〔当時の錚々たる貴族とロマン主義者を集めた結社〕に集う愛国者全員が、反ユダヤ主義者になったのである」
2015-03-23 02:44:56「1869年、完全な市民的解放がドイツで施行された年、ヴィルヘルム・マルの『ゲルマン民族にたいするユダヤ民族の勝利』の初版が出る。1870年代には、ユダヤ人問題はもはや議論の種ではなく、それを核としてひとつの政治運動がそのまわりに結晶してゆく…「Antisemitismus」」
2015-03-23 02:49:12「1933年には、130年以上にわたる運動のあらゆる提案がーーあらゆる夢想といってもいいだろう――実現された。ただひとつ、ユダヤ人問題の解決策としてその間ずっと提案されてきたユダヤ人皆殺しを除いては」
2015-03-23 02:50:35「かつてわれわれをドイツとヨーロッパの歴史へ引き入れ、いまではそこから追い出しにかかっているという展開は、かつてもいまもユダヤ人の歴史ではなく他民族の歴史であるというかぎりでは、おのずからーーしかし今日のわれわれには否応なしに――反ユダヤ主義の歴史として立ちあらわれるのだ」
2015-03-23 03:01:22「さらに、この破局がほかならぬドイツで起きたことも、ほかならぬドイツ・ファシズムが世界観においても綱領においても基本的には反ユダヤ主義を中心に据えたことも、ほかならぬその指導層が古い反ユダヤ主義政党やグループのはしくれから出てきたことも、もちろん偶然ではない」
2015-03-23 03:05:32「それにまたこの破局は、国民の不満の捌け口にするためにスケープゴートが必要だったのだという古くからの「安全弁説」だの、新聞・出版・劇場・自由業などの悪評たかい「ユダヤ化」に原因があるとする説だのでは、断じて説明がつかない」
2015-03-23 03:07:08「反ユダヤ主義の源はユダヤ人にあるとするのは、反ユダヤ主義者のばかげた悪知恵であって、彼らは多数の人間を犠牲に供するあらゆる蛮行にも、殺人、略奪、放火を煽る山なす文書にも、この単純な悪魔的教義でもってすれば申し開きが立つと信じている」
2015-03-23 03:10:24