- Bay_yamashiro
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この年、ドラフトの大目玉は大学リーグで数々の金字塔を打ち立てていた岡田彰布選手でした。 投手の目玉は後にファイターズに入団し、新人として史上初のMVPに輝く木田勇投手と、牛島投手でした。 当然、牛島投手の元に連日多くの球団関係者が訪れます。
2015-04-12 21:59:27その中でも最も懇意だったのが中日ドラゴンズでした。地方球団とはいえ、セ・リーグでも例年上位争い、全国放送のあるジャイアンツ戦があるのも魅力的でした。 中日ドラゴンズも1位指名の確約を早々と果たし、牛島投手も乗り気満々。
2015-04-12 22:00:22しかし、他球団も放っておくはずがありません。特に暗黒期真っ只中で投手陣の整備が急務だった南海ホークスが粘り強くアプローチします。 しかし、牛島投手は南海ホークスのスカウトを見るや 『オレは中日ドラゴンズに入るから絶対に指名するなよ?』と凄みをきかせ、スカウトを撤退させました。
2015-04-12 22:01:19望み通り、1980年にドラフト1位でドラゴンズへ入団が決定。 入団発表時にはリーゼントで登場し、『噂』が本当であったことをマスコミと世間の野球ファンにしっかりと示しました。 しかし、このルーキーをドラゴンズの選手が心よく思うはずがなく、早速とある大投手が厳しい指導を行います。
2015-04-12 22:02:29星野仙一 闘士をむき出しに力投し、史上最強のジャイアンツキラーとして君臨していた星野投手は既に晩年だったものの、早速このルーキーの『矯正』に入ります。 牛島投手も自身がファンであったこともあり、さすがにいうことを聞きました。 pic.twitter.com/QLaNNQldwW
2015-04-12 22:03:20意気揚々とプロ一年目のキャンプに臨んだ牛島投手。 しかし、星野投手の球のキレ、『スピードガンの申し子』と呼ばれ160キロ近いストレートを放つ小松辰雄投手らの投球を見て度肝を抜かれます。 彼らとは遥かに体格も劣る牛島投手は自信を失います。
2015-04-12 22:04:17しかし、牛島投手は決して猛練習をするわけでもなく当時の高卒新人としては異例過ぎるマイペース調整を続けます。 これは高校1年から投げ続けてきた自身の身体を労ることを既に覚えており、少ない練習量ながらも確実に成長できる知恵を持ち合わせていたからだそうです。
2015-04-12 22:05:01そして、何よりプロ野球という屈強な男たちが集う場において体格で圧倒的に劣るにもかかわらず、誰に何を言われても自分のペースを貫き続ける『度胸』が既にその頃から養われていたという証拠でしょう。 そんな新人の牛島投手には有名なエピソードが有ります。
2015-04-12 22:05:38その年、ドラゴンズの投手コーチは西鉄ライオンズで通算276勝をあげ、現在でも最強のエースの一人と称される『鉄腕』稲尾和久コーチでした。 稲尾コーチはドラゴンズの投手陣を集め、こう問います。 『9回2死満塁、カウント2ストライク3ボールからどんな球を投げるか?』
2015-04-12 22:06:44星野「そんなの決まっておりますわ!ワシなら内角へストレートをズバンッ!ですわ!ワハハ!」 当然、こんな感じで投手陣は自身の最高の球で打ち取ると応えます。 しかし、稲尾コーチの意図とは違うものでした。 そんな中、この年ドラ1で入った高卒ルーキーはこう応えます。
2015-04-12 22:07:30当時、どんなエースですら頭の上がらなかった稲尾コーチに面と向かって 『わかりません』 これには投手陣も唖然。 『この生意気なルーキーをなんとかしなくてはならない』 そんな空気の中、牛島投手は続けます。
2015-04-12 22:08:13『どのような状況で2-3となったかによって、最後に投げる球も変わってくる。2-3となるまでの経緯がないと、最後の球も決められない。点差によっても投げる球は変わるし、一概に決められるものではない』 牛島投手は持論を展開します。 そしてそれは、稲尾コーチの考えと一致したものでした。
2015-04-12 22:09:13今でこそ『相手投手を打ち取るシミュレーション』はどんな投手でもしているものですが、当時はそんなものはなく、ただ己の力をぶつけ合う、というのがピッチングでした。 しかし、稲尾コーチは現役時代から相手打者を打ち取るシミュレーションを欠かさず、それが大記録へと繋がりました。
2015-04-12 22:09:55そんな球界の常識に流されること無く、18歳にして既にその頭のキレを持っていた細身のルーキーに稲尾投手は度肝を抜かれます。 そして確信します。 『コイツは絶対に大物になる』 と。
2015-04-12 22:10:23確かこのエピソードがモデルになったのが「名門!第三野球部飛翔編」での桑本投手か檜投手の発言だったような覚えが・・・ >RT
2015-04-12 22:11:31まもなく牛島投手は才覚を現し、1年目の後半から先発として起用されます。 しかし、ことごとく先発として出ててきてはKOされ、期待に応えることができません。 一方、中継ぎとして登板すると非常に成績がよく、当時の近藤貞監督は牛島投手を一端は中継ぎとして起用を続けます。
2015-04-12 22:11:20持ち前のマウンド度胸と卓越したインテリジェンスでピンチを凌ぎますが、打者を打ち取る決め球がなく、それは牛島投手にとって死活問題でした。 高校時代はフォークボールで三振を量産しましたが、比較的に手の小さい牛島投手は満足に指の間に挟み込むことが出来ず、変化に乏しい物でした。
2015-04-12 22:12:20試行錯誤をする牛島投手。 そんなある日、突然牛島投手の右手を痛みが襲います。 人差し指と中指が真っ赤にパンパンに腫れ上がり、力も入りません。 靭帯か、骨か… 治療を施し、痛みが引くと牛島投手は自分の手がとんでもない変化をしていることに気が付きます。
2015-04-12 22:12:55なんと、人差し指と中指の関節を『意図的に』に外せるようになり、これまで満足に挟めなかったフォークボールが挟めるようになっていたのです。 これは後年、テレビの放送で明かされ、あまりの指の広がりに世間が驚かされました(検索する際は刺激が強いので注意です!)
2015-04-12 22:13:46