『20世紀末・日本の美術―それぞれの作家の視点から』刊行記念トーク「21世紀は来たのか?」

編集中 2015-04-18
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Alata Hasegawa @rob_art

@kengo_withoutme ただ、オブジェについては新鮮だったのでつい気になってしまいました。わざわざご回答くださりありがとうございます。

2015-04-15 23:50:39
( i _ k ) @izr_kshr

@kengo_withoutme 「オブジェ」といえばハイレッドセンター(中西夏之)からの走泥社(八木一夫)その後のオブジェ展でしょうね〜。

2015-04-15 23:52:05
中村ケンゴ kengo Nakamura @kengo_withoutme

@izr_kshr そうそう、基本、八木一夫なんだけど、一般的に使われるようになったのは西武セゾン文化的なものの広がりとともにの印象があって…たしかに、昔から使われていたけれど、単純に自分が美大生になって出会った新しい言葉ということだけのことなのかもしれない。

2015-04-15 23:59:04
中村ケンゴ kengo Nakamura @kengo_withoutme

@rob_art なるほど。ひとつ考えられるのは美大の中でも「現代美術」クラスタというのは限られた人たちで、その中だけで流通していたために、毎年供給される新しく生まれた「現代美術」クラスタ美大生(予備校生)が、それらの言葉を毎度新鮮に感じて、というサイクルがあったのかも。

2015-04-16 00:03:16
Alata Hasegawa @rob_art

@kengo_withoutme @izr_kshr 我田引水で恐縮ですが、僕のその辺の認識はこんな感じです... aube.kyoto-art.ac.jp/test/wp-conten…

2015-04-16 00:06:43
中村ケンゴ kengo Nakamura @kengo_withoutme

@rob_art ろばとさんの方が詳しいのだろうと思ってましたが、やはり、ちゃんとまとめていたのですね。「毎年供給される新しく生まれた「現代美術」クラスタ美大生がそれらの言葉を毎度新鮮に感じるというサイクル」説が正しそうです。@izr_kshr

2015-04-16 00:13:15
Alata Hasegawa @rob_art

@kengo_withoutme @izr_kshr 仮にその説に説得力があるとして、でもそれがなぜある一定の期間続き、終わったのかという点についてはまだよくわからないことがいくつもあります...同じ時代を生きた人たちは決して輪切りにできるわけではないので

2015-04-16 00:15:06
中村ケンゴ kengo Nakamura @kengo_withoutme

@rob_art それこそ「インストール」されきったからなのでしょうか。週末、 楠見清さんにも聞いてみよう。 @izr_kshr

2015-04-16 00:20:36
Alata Hasegawa @rob_art

@kengo_withoutme @izr_kshr ぜひご教示いただけますと幸いです。生意気にすみません。。

2015-04-16 00:21:24
中村ケンゴ kengo Nakamura @kengo_withoutme

@rob_art いえいえ、とんでもない。これらの言葉を新鮮に感じていたのは、当時自分が新しい「現代美術」クラスタ美大生になっただけのことかもしれない、といううがわかっただけでも。@izr_kshr

2015-04-16 00:23:59
中村ケンゴ kengo Nakamura @kengo_withoutme

ありがとうございます。たしかにそうですよね。だた、それらの言葉を使う美大の実技の先生はまだ少なかったのではないかと思います。RT@sakagishi 、'82年にはもうインスタレーション、パフォーマンス、平面、立体、美術家、造形作家、などは意識的な言葉遣いでしたね。

2015-04-16 00:29:36
中村ケンゴ kengo Nakamura @kengo_withoutme

90年代後半になって、保守的な美大の教授たちも、それらの言葉を使うようになったとき、「インストールされきった」のかもしれません。それによって「流行」が終了したのかも。 @sakagishi @rob_art

2015-04-16 00:34:42
中村ケンゴ kengo Nakamura @kengo_withoutme

うわ。でも僕が入学した90年の多摩美はそこまでシミュレーショニズムが来ていたので、もうそっちに行ってました。あと油絵専攻じゃなかったのでよくわからないところも多々あります…RT @sakagishi 大雑把に言えばもの派の呪縛からどう切り放たれるのか、というテーマが、きっかけは

2015-04-16 00:38:56
中村ケンゴ kengo Nakamura @kengo_withoutme

@sakagishi 映像も大丈夫だったのですか。さすが多摩美(笑)パフォーマンスはダメなのですね。やはり「造形」しなさいと。芸大はどうだったのでしょうかね。

2015-04-16 00:44:16
中村ケンゴ kengo Nakamura @kengo_withoutme

@sakagishi なるほど。ただ僕はバブル時代は学生で、お金になる現場を体験していないので、感覚的にわからないところがあります。多くの作家が「空間デザイナー」として仕事をしていたことは知っていますが。思い出した、「空間デザイナー」(笑)@izr_kshr @rob_art

2015-04-16 00:51:08
中村ケンゴ kengo Nakamura @kengo_withoutme

@sakagishi そういう意味で日本画専攻にいた僕は、当時の「現代美術」クラスタ学生たちとの接触ってあまりなかったのです。美術手帖情報の方が強かったですね。学生時代の孤独を思い出す… @izr_kshr @rob_art

2015-04-16 00:58:57
中村ケンゴ kengo Nakamura @kengo_withoutme

@oichiro1 日比野さんがダンボールの作品を応募して大賞を獲ったのは、同じパルコ主催の「日本グラフィック展」。中学生のときに大阪に来た作品を見ました。「オブジェTOKYO展」はその派生。

2015-04-16 01:13:25
中村ケンゴ kengo Nakamura @kengo_withoutme

@oichiro1 美大に行くような人は、誰しも子どもの頃はお絵描き少年(少女)だったので、両親が新聞か何かで見た情報をおしえてくれたのだと思います。企画していたのは榎本了壱氏です。

2015-04-16 01:24:52
中村ケンゴ kengo Nakamura @kengo_withoutme

それにしてもろばとさんの質問に対する自分のこたえ、個人的な体験とその印象というものは本当に思い込みに過ぎないことも多々あるのだなと、わかったつもりでいても、あらめて感じました。自分の編著の危うさも再度認識。

2015-04-16 01:34:58
中村ケンゴ kengo Nakamura @kengo_withoutme

@oichiro1 「オブジェ」に関しての僕の答えはホントに個人的な印象論を出ないものだったので、ほとんど使えないものでしたね…

2015-04-16 01:39:59
中村ケンゴ kengo Nakamura @kengo_withoutme

@oichiro1 たしかにそうかもね。「シュール」も流行ったなあ、しかしこういう適当なことしか言えないね(苦笑)。まあ、研究者じゃないんだししょうがないけど。

2015-04-16 01:48:15
中村ケンゴ kengo Nakamura @kengo_withoutme

お答えいただき恐縮です。僕が当時「オブジェ」という言葉に感じていたのはそのことでしょうね。RT @kenji_kajiya 美術の文脈を離れて「室内の置物」等も指すようになったのは80年代以降ではないでしょうか。@oichiro1

2015-04-16 03:16:27
中村ケンゴ kengo Nakamura @kengo_withoutme

楠見さんとも話していたのですが、インターネットの件で、「芸術道場BBS」を取り上げるのを忘れておりました…。RT @atashika_ymyh 【本日お救いした文物】

2015-04-16 12:49:29
永瀬恭一(一人組立)11月20日ART TRACE GALLERYでトーク @nagasek

さて、土曜日はいよいよ「20世紀末・日本の美術」刊行イベントですが、僕が同書で紹介した作家の展覧会が多数開催中です。→第二部で紹介した益永梢子さんの個展。4月26日まで。「Abstract Butter at HAGISO」hagiso.jp/art/2015_04_ma…

2015-04-17 11:23:29
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