神道いろは・神と仏、礼儀と「畏み」

巫女・神職の着物から、ぷちブームな御朱印、神社参拝・お守り所持の礼儀、神道の基本精神「畏れ・かしこみ」についてまで、素朴な疑問にQ&Aです!
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寝殿造の様式を再現した「えさし藤原の郷」復元伽羅御所

リンク Wikipedia 寝殿造 寝殿造(しんでんづくり)とは、平安時代から中世にかけての上層住宅の建築様式である。 かつては東西に立派な対、南に大きな池を持つ左右対称の豪華の屋敷と考えられていたが、それは江戸時代の故実家の想像に過ぎず、その実態は階層により、時代により甚だ変化のあるものと見られている。 寝殿造は中世に様々な技術の進歩や社会生活の変化の影響を受け、室町時代末から桃山時代に書院造へと変化し、現在の和風住宅の源流でもある。 一昔前まで寝殿造のイメージは、寝殿の東西には寝殿を縦にしたような大きな対があり、南には舟が浮かべられる立

↓「正一位稲荷大明神」の幟は江戸以来の町角風物詩

リンク Wikipedia 神階 神階(しんかい)または神位(しんい)は、日本において神道の神に授けられた位階。 神階とは、人臣に授けられた位階を神にも授けたものである。より正確には、位階は人にも神にも区別なく授けられたもので、そのうち神に授けられたものが神階と呼ばれている。仕組みは人臣に対する位階と同じで、文位(狭義の位階)・武位(勲位・勲等)・品位の3種がある。 神社ごとに定められる社格に対し、神階は神に与えられるものである。人に対する位階はそれによって就ける官職が異なったり位田が支給されたりなどの特典を伴うものであったのと同じように
Aadag社長 @syachio99

@yamatokoyomi @presen_tan てか今のこよみちゃんの説明でかな〜り平安時代と神社に興味が湧きましたよ^^ 確かに神社で官位みかけたことあるなあ〜

2014-11-20 00:10:54
和こよみ*旧暦たん/賀茂こよみ⛩️日本文化史V @yamatokoyomi

あと、神社の門には「随神」(ずいじん)っていう武官束帯に弓を持った門番のご神像がありますが、これはいまでいう皇宮警察官にあたる近衛府の随身(ずいじん)がモデルだったりとか… @syachio99 @presen_tan

2014-11-20 00:13:28
リンク コトバンク 随身門(ズイジンモン)とは - コトバンク デジタル大辞泉 - 随身門の用語解説 - 随身1の姿の守護神像を左右に安置した神社の門。この二神は閽神(かどもりのかみ)あるいは看督長(かどおさ)といわれ、俗に矢大臣・左大臣と称される。
リンク Wikipedia 随身 随身(ずいじん)とは、平安時代以降、貴族の外出時に警護のために随従した近衛府の官人。令外官。 随身とは、左右近衛府の舎人、すなわち将曹・府生・番長・近衛などで、上皇・法皇、摂政・関白をはじめ、近衛府の大将・中将・少将や、衛府・兵衛の長官や次官などに付き従い、その警護する者をいった。当初は衛府の高官の警護という、衛府の官人として本来の職務だったが、時代が下ると特に摂関に対しては特別の勅許をもって「聴される」一種の優遇と化して行き、この例が他の貴族階級にまで広がり発展していった。また摂関の随身にはさらに別勅を
リンク www.iz2.or.jp 公家武官夏束帯・平安時代・和様の創製 日本服飾史 資料・風俗博物館〜よみがえる源氏物語の世界〜 源氏物語、当時の貴族の風俗や生活を知るため、その舞台となった六條院『春の御殿(はるのおとど)』を1/4スケールで展示しています。書物や絵巻物でしか味わえなかった源氏物語が立体になり、中には光源氏や紫上などの登場人物が配され、リアルに源氏物語の世界を体感できる風俗博物館

↓ちょっと変わり種

和こよみ*旧暦たん/賀茂こよみ⛩️日本文化史V @yamatokoyomi

参道入口の随神門は、神社建築に多い楼門(一階の上は高欄だけ)じゃなくて仏閣風の二層門(一階の上に屋根がある)、そして近衛武官風の束帯姿じゃなくて、仁王さまみたいないかめしい甲冑姿の随神さまが太刀と弓を構えて鉄壁防御Σ(*・_・*) pic.twitter.com/MuzPUq8Dmb

2014-10-26 17:20:36
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和こよみ*旧暦たん/賀茂こよみ⛩️日本文化史V @yamatokoyomi

奥行きが四間もある大きな神門には、古墳時代の服装の随神さま pic.twitter.com/kiQyKVi4xT

2020-02-02 14:06:52
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和こよみ*旧暦たん/賀茂こよみ⛩️日本文化史V @yamatokoyomi

あっ、それはありますね!そもそも内裏って宮中祭祀を行う神社的な役割もありますしね…あと朝廷の神祇官には国家公務巫女もいたようですね! RT @hinowakamiya @syachio99 @presen_tan 采女っていう女官は、巫女的な存在とも言われているよ。

2014-11-20 00:16:43
リンク Wikipedia 采女 采女(うねめ)とは、日本の朝廷において、天皇や皇后に近侍し、食事など、身の回りの雑事を専門に行う女官のこと。平安時代以降は廃れ、特別な行事の時のみの官職となった。 発祥ははっきりしないが、『日本書紀』によると、既に飛鳥時代には地方の豪族がその娘を天皇家に献上する習慣があった。一種の人質であり、豪族が服属したことを示したものと考える説が有力である。しかし、延喜17年(917年)の太政官符に、出雲国造が「神宮采女」と称して妾を蓄えることを禁止しつつも神道祭祀に必要な場合には1名に限り認める内容のものがあること
リンク Wikipedia 采女装束 采女装束(うねめしょうぞく)とは、全国の豪族から選抜されて天皇・皇后の給仕係などとして、上古の宮中に勤めた女官である采女の衣装。 なお、近代では大嘗祭や新嘗祭などに、配膳などの役を命ぜられた女官が着用している。男子装束の小忌衣(おみごろも)が大嘗祭だけの使用になったのに対し、采女の装束は例年も古式を継承するものが使用されて現在にいたっている。 神事の際には御供物を数多く運ぶ役割などを担ったため、丈が短く活動的にできている。ちなみに時代祭での小野小町は平安時代初期の采女の装束を身に着けている。 活動的なこと
リンク Wikipedia 宮中祭祀 宮中祭祀(きゅうちゅうさいし)は、天皇が国家と国民の安寧と繁栄を祈ることを目的におこなう祭祀。皇居宮中三殿で行われる祭祀には、天皇が自ら祭典を斎行し、御告文を奏上する大祭と、掌典長(掌典職)らが祭典を行い、天皇が拝礼する小祭がある。 中世の順徳天皇は、『禁秘抄』で「禁中作法先神事」と述べたように、天皇は肇国以来「神事」を最優先としている。四方拝などは江戸時代以前から歴代の天皇に引き継がれた行事である。 江戸時代中・後期には水戸学に基づいた尊王論の高まりがあり、新嘗祭など祭祀の再興が盛んになった。 今日行わ
リンク Wikipedia 神祇官 神祇官(じんぎかん、かみづかさ、かんづかさ) 「神祇」とは、「神」は天津神である「天神」を、「祇」は国津神である「地祇」を表し、その名の通り祭祀を司る。 古代の律令制での神祇官は、朝廷の祭祀を司る官であり、諸国の官社を総轄した。現存する令集解より復元された養老令の職員令には太政官に先んじて筆頭に記載されるため、太政官よりも上位であり、相並んで独立した一官であった。諸官の最上位とされた日本独自の制度である。四等官は、長官は神祇伯、次官は神祇副(大副・少副)、判官は神祇祐(大祐・少祐)、主典は神祇史(大史・少
リンク Wikipedia 八神殿 八神殿(はっしんでん)は、天皇守護の8神を祀る神殿。 古代から中世の間には神祇官西院に、その宮中八神殿が衰退したのち江戸時代には吉田神社境内・白川家邸内にそれぞれ設けられた。現在は皇居の神殿(宮中三殿の1つ)に合祀されている。 祀られる神は次の8神。『延喜式』と『古語拾遺』で表記は異なるが、同じ神を指す。 平安時代の宮中(平安京大内裏)では、神祇官西院において「御巫(みかんなぎ)」と称される女性神職、具体的には大御巫2人(のち3人)・座摩巫1人・御門巫1人・生島巫1人により重要な神々が奉斎されていた。八神
リンク コトバンク 御巫(ミカンナギ)とは - コトバンク デジタル大辞泉 - 御巫の用語解説 - 1 律令制で、神祇官に属し、神事に奉仕した女官。2 明治4年(1871)神祇省に置かれ、祭典に従事した女性の職。
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