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計画の破綻が、組合活動の激化につながった。宮崎駿がいた頃です。『太陽の王子ホルスの大冒険』(1968年)は組合主導の企画でした。会社ではなく組合主導。これって敗戦直後の東宝と似てますね。企画検討会には会社の重役と組合幹部は同名出席するというやり方in東宝。
2015-05-07 15:32:53なぜ敗戦後の東宝がここまで理想主義に走ったのかについては、ここで論じました。togetter.com/li/742676
2015-05-07 15:35:351960年の三井三池炭鉱闘争とか、今述べたアメリカ輸出計画の破綻とか、いろんなものが要因として考えられます。アメリカという世界帝国の影が、若き宮崎駿の労働運動の背後に見え隠れします。
2015-05-07 15:37:47アメリカ輸出なんて知らないよな企画もありました。東映ではありません。ピープロです。『ゴジラ』の特撮監督・円谷英二の弟子筋で漫画家に転身したうしおそうじのスタジオ。ここが『ゼロ戦はやと』を制作。どう考えてもアメリカには売れそうにない番組。
2015-05-07 15:39:33『アトム』放映開始の翌年。放映も同じくフジテレビ。フジにすれば『アトム』や『鉄人28号』のほかにもう一本アニメ番組が手に入るのならありがたいし、うしお先生は盟友の手塚がアニメに乗り出したことで何か火が付いたのです。採算度外視。
2015-05-07 15:41:15『アトム』がきっかけでいろいろ始まってしまったわけです。 ①ドルを稼ごう ➁俺は漫画家だけど手塚くんみたいにアニメ作りたい この二つが追従番組があいついだ理由です。
2015-05-07 15:43:11うしおそうじは②でした。トキワ荘グループ(スタジオゼロで検索せよ)もそうですね。なかには①と②の両方を夢見た方もいます。先に少し触れた吉田竜夫がそうでした。
2015-05-07 15:44:52タツノコプロを旗揚げした。東映アニメと企画して決裂した案をその後自分たちで実現した。『宇宙エース』。これは実際アメリカで購入検討されたそうです。詳しくは拙訳『アニメが「ANIME」になるまで 鉄腕アトム、アメリカを行く』をどうぞ。 pic.twitter.com/WqPDByVRXa
2015-05-07 15:47:33『鉄腕アトム』を強く意識しているのがわかる。吉田は手塚とは漫画家仲間で仲良しだったし。
2015-05-07 15:48:07アメリカには売れなかったのですが、第二作は売れた。日本では放映開始当初はスポンサーがつかず、作るだけ赤字という有様でしたがそれでも作り続けた。アメリカに売れる!と踏んでいたのです。
2015-05-07 15:49:48数年前にウォシャウスキー兄弟によってハリウッド映画化もされた、アメリカでは伝説のテレビアニメ『マッハGOGOGO』はこうして生まれたのです。 pic.twitter.com/H2HOPGbqZy
2015-05-07 15:51:18これも売りこみはKフジタ。『エイトマン』『鉄人28号』もこの方です。私、二回インタビューさせていただきました。今は故人です。
2015-05-07 15:52:35①ドルを稼ごう これは企画がまずかったり放送コードの問題があったり、そもそもアメリカ放送局側がある最高裁判決の余波で日本製アニメを買わなくなったりで、60年代のうちに破綻してしまいました。
2015-05-07 15:56:00➁俺は漫画家だけど手塚くんみたいにアニメ作りたい これも長くは続かなかった。トキワ荘グループはアニメから撤退してもとの漫画家に戻ったし、うしおそうじは後に破産してしまった。
2015-05-07 15:57:00③キャラクター商品で稼ごう TBSのように戦略的にこの路線を進めたところもあれば、そろばん勘定が苦手だった東映アニメのように優柔不断な企業もありましたが。
2015-05-07 15:58:48TBS側は、これをいわゆる無国籍風にアニメ化することを考えたようです。パイロットフィルムが残っています。fujikokei.exblog.jp/11975186/
2015-05-07 16:04:57「そんなんじゃアメリカに売れないからうち(TBS)はこの企画に乗れない」「結構。制作費の不足はうちら(小学館、不二家、博報堂)で補うからあんたらは放映枠だけ用意してちょ」
2015-05-07 16:07:21結果は大当たり。小学館にはキャラクター商品化の申し出が押し寄せ、担当者がとうとうダウン。これがきっかけで設立されたのが小学館プロダクション。数十年後にポケモンの世界進出でも大奮闘。
2015-05-07 16:08:51