今度の講演Ⅱ

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It happens sometimes @ElementaryGard

おさらいから。国産テレビアニメ「番組」(CMアニメや紙芝居アニメ番組ならすでにたくさんあった)が昭和38年つまり東京五輪の前年に始まったのは、手塚治虫という天才にして猛馬力で子どもじみた野心満々の漫画家がディズニーのように作りこんだアニメを志したものの東映で挫折して[続く]

2015-05-07 14:11:12
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その反動で今度はリミテッド技法に走り、その延長でテレビアニメに乗り出したのがきっかけでした。

2015-05-07 14:11:57
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これまで何度も述べたように、手塚はディズニーに心酔し、まんがの収入で金をためてスタジオを作って自分でも本格アニメーションを作るつもりでした。 pic.twitter.com/i23np9J22Y

2015-05-07 14:15:28
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しかしながら何百人もの社員を養い、おのおのの個性を踏み潰して一本の作品を生み出すなんて、作家・手塚には耐えられないことでした。

2015-05-07 14:16:49
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それで少数精鋭のスタジオ運営に路線を変更し、虫プロダクションを作った。togetter.com/li/622604

2015-05-07 14:17:48
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少数精鋭でも社員は社員。漫画家としての収入で社員を養うやり方が果たして会社と呼べるのか?手塚の収入に頼らず企業としてしっかり利潤をあげる路線を社員は訴えた。

2015-05-07 14:19:34
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テレビアニメしかなかろう、と。

2015-05-07 14:19:47
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アメリカへの輸出と、今でいうキャラクター商品化で赤字を埋める戦略は、実は守りの発想でした。大儲けできると手塚もそのスタッフも思っていなかった。放映前のインタビューでは大きいことを述べていたけれど。

2015-05-07 14:21:23
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キャラクター商品化について、アメリカで発明された「キャラクターは特許と同じ」理論をしっかり消化して日本の法制にそって回しだしたのはTBS。これも何度も話したとおりです。

2015-05-07 14:23:31
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国内ではキャラクター商品でがっぽり稼ぎ、国外ではアメリカ輸出でドルを稼ぐ…このやり方は手塚の『アトム』ではなく後続のTBSによって確立したのです。いいですか『アトム』じゃありませんその後続者によってです。

2015-05-07 14:25:10
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津堅信之は『アニメ作家としての手塚治虫』のなかで「せっかく手塚が開拓したビジネスモデルを、後続者が踏みにじってしまった」と論じていますが、これは間違い。「後続者が開拓して、手塚は取り残されていった」が正解。

2015-05-07 14:26:47
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国産第一号ではあったけれど発明者ではなかったーーーここ、一見すると矛盾ですが事実だからしかたがない。

2015-05-07 14:27:58
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国産テレビアニメ番組の黎明期にSFものが多かったのは、『アトム』がアメリカに売れたのを意識して同工の企画が練られたからです。ちょうど宇宙ブームの頃でした。アポロ計画(「60年代のうちに月に人間を送りこんでみせる!」とケネディ大統領がぶち上げた)の時代。

2015-05-07 15:12:42
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それが読めないまま、時代劇路線で企画を立ててしまったのが東映の『狼少年ケン』。ドル稼ぎを目論みながら、企画力がなくてこの後も『風の忍者フジ丸』なんて、間違っても売れなさそうなものを作ってしまった。

2015-05-07 15:15:39
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もっとも『フジ丸』ではキャラクター商品で稼ぐやり方に目ざめ、利潤独占のために原作・白土三平の名前を削ってしまった。このあたりのことは前に述べたとおりです。

2015-05-07 15:16:50
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その次にようやくSFものを企画。東映はSFわかんないから、漫画家の吉田竜夫チームを招いて企画を練った。いろいろあってその企画は吉田チームのものとなり、東映側は穴埋めに『パトロールホッパ宇宙っ子ジュン』を企画・制作。 pic.twitter.com/rvdQRkTcnE

2015-05-07 15:19:29
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これも結局アメリカには売れなかった。ちなみにこの企画、最初期には赤瀬川原平が噛んでいます。東映OBから当時の企画書を見せてもらったことがあります。星新一の短編みたいな文明風刺色の強い内容でした。

2015-05-07 15:21:28
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手塚が『西遊記』の企画に参加して挫折して虫プロを作ってリミテッド路線に走ったという話をしました。あのとき手塚は石森章太郎にも声をかけていて、短期間ですが石森も東映アニメに出入りしていました。

2015-05-07 15:23:30
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その縁で東映アニメと、例のトキワ荘グループと縁ができました。東映アニメは自力でSF企画を立てられなくて、それでトキワ荘グループ(というかスタジオゼロ)に声をかけた。

2015-05-07 15:24:46
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そして企画されたのがこれ。1966年。アメコミの戦隊ものを換骨奪胎。 pic.twitter.com/5H3jpjOjce

2015-05-07 15:25:58
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これもアメリカには売れなかった。売る努力をしていたかどうかもわからない。

2015-05-07 15:26:58
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売りこんでも相手にされなかったと思います。アメリカの放送コードはもともと厳しくて、66年頃にはもっと厳しくなっていました。『アトム』でさえ放映キャンセル回が出ていたぐらいだから。

2015-05-07 15:28:49
It happens sometimes @ElementaryGard

東映は東映アニメを16倍に増資してテレビアニメのアメリカ輸出を目論んだのですが。この計画は結局うまくいかなかったのです。

2015-05-07 15:30:01
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アメリカの下請け制作どまり。

2015-05-07 15:30:24