死ぬのがこわくなくなる話 その1 「DNA・ミーム」

渡辺浩弐さん(@kozysan)のTwitter連載『死ぬのがこわくなくなる話』のまとめ。その10で完結します。 まとめのまとめ: http://togetter.com/li/821514 『死ぬのがこわくなくなる話』は書籍化もされています。本ならではの見せ方がされており、おすすめです。 続きを読む
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渡辺浩弐 @kozysan

個体を尊重するミームと種を尊重するDNAとは、これまで共存してきた。人は死がこわいあまりに懸命に生き延びる。そのうちに生殖し、DNAは次の世代に乗り移る。個体としては不本意ではあるが死がやってくる。その時には次の、リニューアルをもって環境に適応しもっと強い個体が、機能している。

2011-08-18 03:24:53
渡辺浩弐 @kozysan

しかし、自由主義、民主主義が台頭した、つまり全ての人々が種や民族ではなく自分という個人を意識するようになった近世以降、DNAとミームは、「死」という概念において齟齬を起こし始めた。

2011-08-18 03:25:14
渡辺浩弐 @kozysan

DNAの意図をはるかに超えてしまうほどに、人は、個体は、自己愛を拡大させた。そして種の保存という観点からはまったく意味のないレベルまでの長生きをもくろむようになったのだ。

2011-08-18 03:25:32
渡辺浩弐 @kozysan

老化した体で、自己の生殖はもちろん他者の生殖や保存にも役に立たない、それどころか邪魔になるほどの状態でもなお生き延びることにこだわりはじめたということだ。

2011-08-18 03:25:49
渡辺浩弐 @kozysan

本来、老いたものは弱り、駆逐される。それで、新しい個体の余地が生まれるのだ。

2011-08-18 03:26:03
渡辺浩弐 @kozysan

種よりも、それどころか地球上の全生物よりも自分が大事だ。自分だけは死にたくない。そういう考えすら、出てきた。いや、現代、霊長目ヒト科の社会において、特に文明の進化した地域においては既に、そう考えている個体の方が多数派かもしれない。

2011-08-18 03:26:27
渡辺浩弐 @kozysan

長くなりましたが読み続けて頂けていると幸いです。ニコニコやゲームが好きでフォローしてくださってる方、ごめんなさい。

2011-08-18 03:30:29
渡辺浩弐 @kozysan

けれどあなたがもしとても若くても(小学生でも)「自分って、なぜ"自分"なんだろう」ということを一度でも考えたことがある人なら、ぜひ乗船ください。まもなく試みが、明らかになります     では今日はこのへんで。

2011-08-18 03:31:07
渡辺浩弐 @kozysan

今日はあまりにも連投しすぎたのでいったん引っ込みますね。昔の文章にコメント頂いてもきちんと拝見いたしますし、また話の流れから、以前頂いていたコメントに唐突に返信することもあります。ではまた!

2011-08-18 03:35:49

渡辺浩弐 @kozysan

さて、かよポに頭おかしくなったん?といぶかしがられたりもしている(笑)「死ぬのがこわくなくなる話」の、続きです。第7回目。もう1週間たったってことですね!

2011-08-19 01:54:13
渡辺浩弐 @kozysan

あ、そういえばゲーム・キッズの読者の方々からのコメントが相次ぎ、うれしいです。PCランドとゲームのじかんと同じように、ゲーム・キッズと死ぬこ話は照合しています。もちろん後ろ向きになるのではなく、ここから先に、一緒に進みたいです。

2011-08-19 01:57:06
渡辺浩弐 @kozysan

では始めます。こないだの太田さん@FAUST_editor_Jのコメントに関連しますが、「子供をなぜかわいいと感じるか」ということを、ちょっと皆さん、自分自身に聞いてみたりしつつ以下、お読みください。

2011-08-19 01:59:33
渡辺浩弐 @kozysan

生命はなぜわざわざ死ぬ運命を選んだのか。死にたくないあなたは、恨めしく思っている。とにかく死にたくない、なんとか死なないでいたいというあなたの願望は、もはやDNAの当初の戦略を大きく逸脱しているものだ。

2011-08-19 01:59:47
渡辺浩弐 @kozysan

かつては個体よりも種が優先されていた。人間も本来はあがきながらも最終的には死を受け入れ、次の世代に存在を託していた。かつては、種ないし民族ないしコミュニティないし家族の存続が個人の生存に優先したのだ。いや、今でも地球上の多くの地域においてその意識は残っている。

2011-08-19 02:00:03
渡辺浩弐 @kozysan

あなたが自爆テロをする異国の若者の気持ちを理解できないのは、別文化別文明に暮らしているからである。個人よりも集団の存続が是とされる世界では、ダイナマイトを体に巻いて敵地に突入する時も、悲愴感はないのかもしれない。

2011-08-19 02:00:18
渡辺浩弐 @kozysan

この国でも、つい100年ほど前までは個人一人一人がその自意識を家族や家系、一族というところまで広げて、無限を信じることができた文化もあった。

2011-08-19 02:00:45
渡辺浩弐 @kozysan

例えば一族=DNAの名誉と繁栄を守るために「切腹」という自殺の方法が肯定された。例えば民族=DNAのために個体を滅するカミカゼ特攻隊は美談とされた。

2011-08-19 02:01:03
渡辺浩弐 @kozysan

個人がこれほど尊重されるようになってからの歴史はまだ浅い。自分が死ねば世界は終わりだと考える。それが普通のことになったのはつい最近のことなのだ。

2011-08-19 02:01:18
渡辺浩弐 @kozysan

それ以前には、子供を作ればそれで自分の命は延長されたことになるという認識もあった。そういう社会では死はそれほど怖れられてはいなかった。むしろ子孫が絶えてしまうことについての心配が、ひどく大きかった。

2011-08-19 02:01:43
渡辺浩弐 @kozysan

今日はこのへんで。 基本、できるだけ短くまとめていきますね。たまにどうしても長くなることがあるけど、ご容赦を。

2011-08-19 02:06:45
pitoco @pitocorea

@kozysan リアルタイムでないけど毎日読んでます!思考停止させていた部分に切り込んでくる感じで、これからはもっと考えていけたらと思います。「種」とは違うかもですが、国より地域より家族より「自分中心」に考えがちな自分がいると、昨日のkozysanの文章を読んで気づきました。

2011-08-19 00:19:16
渡辺浩弐 @kozysan

@pitocorea ありがとうございます。毎日読んでもらいたいので毎日書いています。思考停止しているのではなく、きっとあなたも潜在意識でよく考えていることなのだと思います。

2011-08-19 02:11:33
zom@ぬい撮りとRadioTalk @zomzom1974

@kozysan 完全に符号するかわかりませんが(僕自身が浅学なので)ポストモダン以降の「個の意識」ってことになるのでしょうか?最初は19世紀以降のプロテスタントと資本主義以降かと思ったのですが、この頃だとまだ国家や家や企業といった集団下での個ですよね。

2011-08-19 02:12:57
渡辺浩弐 @kozysan

@zomzom1974 そのあたりの定義を微妙に曖昧にしてしまっていることにお気づきと思います。定義することが、システムに対する批評になってしまうからです。そういうことをできるだけ避けて、できるだけ真理だけを取り扱いたく。つーかまぁ楽に読んでくださいませ。

2011-08-19 02:20:33
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