カタカナ語「ナラティブ」についての整理(とりあえずの決定版)
@manjimal_sakaki あ失礼ました。小野さんのは「ストーリー」をプロットのほうでつかってますね。勝手に逆で理解してました。たしかにこれは見たことないやつですね。
2015-06-01 18:09:40@zmzizm 小野氏(というか、野口氏)の主張はむしろ、松永さんの主張と逆になっていますよね。
2015-06-01 18:13:04@manjimal_sakaki 一貫性を持たせる行為、その素材(出来事群)、その産物(一貫性をもった出来事群)の区別に焦点がある場合に、その産物が(ジュネット的にはぼんやりした意味で)「物語」と呼べるものであり、また同時にその行為も「物語(り)」と呼べるというのは同意です。
2015-06-01 18:23:10@manjimal_sakaki そこでその語り行為のほうを「ナラティブ」と呼ぶことは、たしかにとくにへんなかんじではないですね。英語の「narrative」でもそういうつかいかたはよくある印象です。
2015-06-01 18:26:59@manjimal_sakaki 物語の「可変性」あるいは構成的な性格を強調しつつ、かつ「ナラティブ」と「ストーリー」という言葉を対比して(前者にのみ構成的性格をもたせて)つかう言葉づかいが広まっている印象があるのが日本語特有ということかもしれません。
2015-06-01 18:33:08@manjimal_sakaki 語り行為とその産物の構成的性格に焦点がある場合、そこで「ストーリー」と呼ばれるもの(それをどういう意味でつかうのであれ)もそういう性格を持つはずなので。
2015-06-01 18:34:53@manjimal_sakaki ナラティブセラピーやライフストーリー論では、たしかに「物語」や「ストーリー」も構成的なものとしてつかわれているので、とくに独特というかんじではないかもしれません(「ナラティブ/ストーリー」という対比がでてくる場合はやはり違和感がありますが)。
2015-06-01 18:36:47@zmzizm 日本語での用法全体について言えるかどうかはわかりませんが、少なくとも、現在のビデオゲームをめぐる語りの一部においては(例えばTwitter上のゲームのナラティブをめぐる語りの一部において)、そうなっているように思います。
2015-06-01 18:46:55@manjimal_sakaki ビデオゲームについてつかわれている「ナラティブ」は、すでになんとなくあるそういう言葉づかいにひっぱられたんだろうなあという印象が最初からあるんですよね。印象でしかないのですが、そういう用法のソースをたどって確認したりしてもあまり益ない気はします。
2015-06-01 19:03:03@zmzizm どうも有り難うございます。私も大まかに考えていたことを、整理することが出来ました(桜井氏の言う語られた産物が何を意味しているか、等)。
2015-06-01 19:15:51その後……英語文献における「narrative」と「story」の区別の事例
野口(2009)が「物語」でも「語り」でもなく「ナラティヴ」をつかうことをなんか正当化しようとしてるがまったく納得できない説明で本投げたところ
2015-06-04 14:35:17しかしnarrative+plot=storyっていうのはCzarniawska(2004)がなんかそれっぽいことをいっててそしてそれはヘイドン・ホワイトの議論に由来してるらしいところまではわかったところ
2015-06-04 14:58:32「出来事を羅列しただけの年代記はプロパーな歴史ではない」という内容のWhiteの引用がされてるけど、Whiteは少なくともその箇所では年代記をnarrativeとは呼んでない(むしろ歴史のほうを"narratologically governedな説明"と呼んでいる)
2015-06-04 15:28:49Czarniawskaはそれを「年代記はnarrativeだが(hi)story未満」と言いかえたうえで、narrativeがstoryになるにはemplotされる必要があるとかいってるのでこの人がお手つきなのかもしれない
2015-06-04 15:34:44@zmzizm ホワイトは「歴史における物語性の価値」(ミッチェル『物語について』日本語訳、1987)という論文で、年代記を、不完全な「物語」(=「物語として首尾よく自己完結できぬまま終わるという特徴」を持つもの)と位置づけているようですね。原文はわからないのですが。
2015-06-04 23:42:57@zmzizm 「年代記」は不完全な「物語」であるが故に、「厳密な意味での歴史」ではなく、「厳密な意味での歴史」であるためには完全な「物語」である必要がある(=完全な形でemplotされる必要がある?)、というのが、ホワイトの言おうとしていることであるように思います。
2015-06-05 00:08:12@manjimal_sakaki 情報ありがとうございます。"The Value of Narrativity in the Representation of Reality"の原文よみました。Whiteは歴史記述の三区分をだいたい以下のように特徴づけてるように読めました。
2015-06-05 07:26:49@manjimal_sakaki 年表:物語性をもたない、年代記:物語性を不完全に持つ(あるいは物語性を志向するが失敗している)、歴史プロパー:物語性を持つ。ここで「物語性」はおおむね①出来事に因果関係をもたせる、②完結性をもつ、③中心的主題をもつ、くらいで特徴づけられています。
2015-06-05 07:31:11@manjimal_sakaki でおっしゃるとおり、年代記はさも物語のように書かれてはいるが、時系列順にのっぺりと書かれるという点や完結性を持たないという点でわれわれが期待する意味での物語=歴史プロパーではない(あるいは「物語の形式」をもたない)というのがWhiteの話です。
2015-06-05 07:35:19@manjimal_sakaki で言葉づかいの話に移ると、因果的な関係づけや結末をもつという性格が一部「plot」という言葉で説明されているのはたしかなんですが、「narrative」と「story」を対置しているところはみつからなかったです。
2015-06-05 07:41:12@manjimal_sakaki たとえば"narrativity"と"form of story"は交換可能な用語としてつかわれているようにみえます。また、年代記が適切ないみでnarrativeであるとも言っていないです。
2015-06-05 07:45:58@manjimal_sakaki なので、Czarniawska(2004)のまとめは"narrative"という語を広くとっている点と"narrative"と"story"を対置しているという点で(少なくともWhiteの解釈としては)不適切だろうと思います。
2015-06-05 07:47:05