ドイツの歩兵操典(1888,1906)と日露後の日本の歩兵操典の関係

日露戦争後の日本の歩兵操典の「火力主義」は散兵の火力が横隊無照準射撃に優れるとしたドイツの歩兵操典の言葉を使ったものという指摘に驚いたのでまとめました
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幕末歩兵と前装銃と後装銃と

Bunzo @Kominebunzo

幕末日本には南北戦争終結で余剰となった中古兵器が大量に流れ込んだと言われるけれども実態はそうでもない。後装のドライゼ銃も入れば最新のシャスポー銃も入る。沢山ある銃の名称に埋もれて目立たないけれどもシャスポー銃はプロイセン軍が「あれにはかなわん」と音を上げた「名銃」でありますよ。

2015-06-03 21:30:05
Bunzo @Kominebunzo

幕末に装填の速いミニエー弾を用いる前装式ライフル銃を輸入したが、新装備に対応した操典の導入が遅れたので、戦術的な変化は無かった、と言われることがあるけれども、遅れたもなにも幕末に世界の何処を探せばライフル銃時代に対応した歩兵操典があるのか。どこにも無いと思うよ~。

2015-06-03 21:40:21
Bunzo @Kominebunzo

前装式ライフル銃のミニエー銃が後装式ライフル銃に劣るかといえば、これまたそうでもない。後装式銃で連射すると歩兵は携行弾薬をすぐに使い果たしてしまうと、まるで戦前の帝国陸軍かベトナム戦時の米軍のごとく本気で心配された。後装銃の連射戦法が体系化されるには少し時間が必要だった。

2015-06-03 21:56:39
Bunzo @Kominebunzo

銃の口径を小さくしたら、歩兵が弾薬を沢山携行できるんじゃないか。ならば何発持てるのか。持つとどれだけ動きは制限されるのか。小口径化したら殺傷力はどれだけ低下するのか。こうした事を1800年代半ばの英軍は真面目に研究している。歩兵と小銃にまつわる話はこの繰り返しだ。

2015-06-03 22:18:08

ドイツ歩兵操典と日本の歩兵操典

Bunzo @Kominebunzo

「兵を心の無い機械にしてはならない。教育を施して、考えを廻らし自身で行動できる散兵に育てなければならない。」 これは1906年歩兵操典改正に際してドイツ参謀本部の改正要点解説の中にある言葉。 散兵と旧時代の軽歩兵との違いを端的に述べていて面白い。

2015-06-04 09:42:29
Bunzo @Kominebunzo

「心の無い機械」にならないように教育すると言ってもドイツの歩兵が社会科学系の読書や詩作に熱心だった訳がなく自分で目標を選んで撃ち、目の前の地形に合わせて姿勢を決めることが「心」だった。現代の戦争アクション物に出て来る、いちいち命令しなくても戦い続けるヒーローは兵隊落第の無法者だ。

2015-06-04 10:01:31
Bunzo @Kominebunzo

「練兵場で架空の地形を想定して訓練するな。練兵場は実戦で遭遇した『まるで練兵場のような地形』としてそのまま使え」 このクドいばかりのリアリズムも1988年、1906年歩兵操典の特徴。原則はこうだが実戦は違うので臨機応変にやれ、と繰り返す。

2015-06-04 10:11:20
Bunzo @Kominebunzo

1888年操典は散兵戦術操典として画期的な内容で、その小改良版が1906年操典。1888年操典と概ね同じと参謀本部自ら解説する「俺達、いい操典を作っちゃったよなあ」感は各所から立ち昇る。 「日露戦争の戦訓を参考にちょっとリアルに直したからこれで頼むぞ」と言うのが1906年操典。

2015-06-04 10:21:52
あずLOVE@晴れの国で戦史研究! @nakachandaisuki

@Kominebunzo あらー、私が論文で書いてるところをうまく解説されてじぇらしいです(笑)日露戦争前の火力戦中心から、1906年改訂で火力プラス白兵戦となりました。私は相当、日露戦争の体験(陣地戦や要塞攻略戦)がこたえたのでは、と考えています。

2015-06-04 10:30:29
Bunzo @Kominebunzo

@nakachandaisuki 論文を書いていらっしゃるなら、日露戦争前の日本の操典から何となく読み取れるような気がする火力主義は、20世紀的な火力主義ではなくナポレオン時代の横隊無照準射撃より後装銃装備の散兵線の方が火力に優れる、という意味ですからご注意あれ。

2015-06-04 10:38:59
Bunzo @Kominebunzo

帝国陸軍の歩兵操典は日露戦争前はドイツの1888年操典を参考に編纂され、日露戦争後には日露戦争を観戦したドイツ陸軍の見解とドイツ陸軍の操典改正を再び大いに参考にして編纂されたもの。日露戦争で学んで独自の境地に達したかに考えるのは間違いだ。悪く言えばどちらもコピーなのだから。

2015-06-04 10:45:27
Bunzo @Kominebunzo

日露戦争後もドイツ操典を参考にしていた事がわかれば日露戦争後の操典で出て来る白兵礼賛的な内容についての評価も変わる。あれは「病み始めた陸軍」を示すのではなくコピーしたドイツ操典にそう書いてあるからそうなったに過ぎない。この辺を間違えた論考はたくさんある。

2015-06-04 10:51:41
Ideyoshi @Ideyoshi

@Kominebunzo 散兵戦術ってアレっしょ、「わたしがこうやったら散兵してくださいね」ってアレでしょ

2015-06-04 10:55:37
Bunzo @Kominebunzo

@Ideyoshi その通り!号令万能ではなく手信号重視も新操典の特徴です。よくベンキョーしてますねー。

2015-06-04 11:09:24
Bunzo @Kominebunzo

ほぼ同じ考えの操典なのに日露戦争まえの操典に「散兵の火力を以って」と書かれていると「健全な火力主義だ」と内容を精査せずに火力でも何でも無いものが評価され、本家ドイツの操典に「もう過去のもの」として方陣の記述があるだけで「旧式な操典だ」と侮られる。 どっちも似たような操典なのに。

2015-06-04 14:17:34
Bunzo @Kominebunzo

ナポレオン時代に遡る密集隊次の単位だったのが大隊。大隊教練は1888年操典で大幅に縮小され1906年操典で全廃されてしまう。「大隊が密集隊次で戦ったのは遥か昔のこと」と宣言された。実際には1888年操典交付後暫くして大隊教練は途絶えていたらしい。1906年操典の言葉はその確認。

2015-06-04 16:59:59