第二幕 「彼女へ贈る歌」 その1

大正の帝都を舞台にしたSSbot、その最新話を更新いたしました。 纏めてお読みの方はぜひご活用くださいませ
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あきつ天龍帝都奇譚 @akitsutenryu

【予告】 束の間の平穏を享受していたあきと天龍のもとへ、一通の招待状が舞い込んだ。 招待主は銀座のカフェ。 夜会の誘いゆえ乗り気でないあきであったが、天龍の説得に応じ、渋々赴くことになる。 しかし、そこで再びあの人物と遭遇し…。 次回「#彼女へ贈る歌」6/12より開幕いたします。

2015-06-07 20:58:37
あきつ天龍帝都奇譚 @akitsutenryu

……梅雨の近づきも見えてきた五月の帝都。 青山霊園の一角に歌声が響いていた。

2015-06-12 22:35:27
あきつ天龍帝都奇譚 @akitsutenryu

それはひどく物悲しい女性の歌声だった。 彼女は目の前で眠る魂を鎮めるように、溢れる感情を抑え、静かに歌を捧げていた。 その場にいるのは彼女ひとりではない。 白い喪服を着た背の高い青年、黒い喪服の女性二人、落ち着いた色合いの着物に身を包む少女も黙祷し、囲むように立っている。

2015-06-12 22:42:34
あきつ天龍帝都奇譚 @akitsutenryu

今日は他にここを訪れる人もおらず、ただ静かに、墓地に歌声が響き渡っていた。 彼女が歌っているのは鎮魂歌だった。

2015-06-12 22:44:24
あきつ天龍帝都奇譚 @akitsutenryu

そして歌い終えた彼女は、ただ黙って空を見上げた。 一筋の涙が頰を伝って地面へと落ち、そのまま消えていく。 ふっ、と息を吐き出し、後ろを振り返りこう言った。

2015-06-12 22:49:55
あきつ天龍帝都奇譚 @akitsutenryu

「皆さん、今日はありがとうございました。 これで、あの人もきっと、天国に……」 「大井殿……」 そう言って礼を告げて深々と頭を下げる彼女、大井であったが、その目からはまだ雫が溢れている。 必死にそれを抑えようと手で拭っているが、止まる気配は微塵もない。

2015-06-12 22:54:54
あきつ天龍帝都奇譚 @akitsutenryu

「なぁ、これからどうすんだ。 行くあてとかはあんのか」 「そう、ですね……。 神戸の方の知り合いを頼っていこうと思います」 「そうか。 その、上手く言えねぇけど、元気でやれよ」 「ええ、ありがとう。 天田さん」

2015-06-12 22:57:04
あきつ天龍帝都奇譚 @akitsutenryu

「寂しくなりますね……」 「そんな顔しないで、吹雪さん。 きっとまた、会えるわ」 「その、お墓の手入れは任せてください。 いつ帰ってきてもいいように、綺麗にしておきます」 「オレも尽力しよう」 「二人とも、本当にありがとう……」

2015-06-12 23:02:47
あきつ天龍帝都奇譚 @akitsutenryu

「……そろそろ時間ね。 ではまた、ごきげんよう」 「お達者で、大井殿」 「津洲さんも、いえ、龍城さんだったかしら。 貴方もね」 大井は一礼すると、その場を後にした。 その後ろ姿に、もう未練は無かった。

2015-06-12 23:06:15
あきつ天龍帝都奇譚 @akitsutenryu

「……自分たちも帰りましょう」 津洲あきのその言葉に、皆が黙って首を縦に振った。 季節は五月末。 今にも雨が降ってきそうな曇天の日だった。

2015-06-12 23:08:02
あきつ天龍帝都奇譚 @akitsutenryu

……さて、ここで時を数週間ほど巻き戻して見ることにしよう。 ある事件の真相と共に。

2015-06-13 00:59:21
あきつ天龍帝都奇譚 @akitsutenryu

「……ええ、ではお母様にもよろしくお伝えください。 いえ、自分は何もしてないでありますよ。 ええ、ええ……。 では、これで」 帝都東京は日本橋。 その片隅にある屋敷の中で、若い娘がある人物と電話で話をしていた。

2015-06-12 23:15:50
あきつ天龍帝都奇譚 @akitsutenryu

「ふぅ……これで本当に一段落、でありますね」 受話器を元のところに戻して一息ついた彼女の名は津洲あき(つしま あき)。 齢はまだ十八と若いながら、この館の主人を務めている者である。

2015-06-12 23:18:54
あきつ天龍帝都奇譚 @akitsutenryu

「ふぁあ……で、吹雪ちゃんなんて言ってた? その口ぶりからすりゃあ喜んでたみたいだが」 そう言ってあきに声をかけたのは天田お龍(あまだ おりょう)である。 彼女はこの応接室兼書斎のソファにもたれかかり、とても暇そうに欠伸をした。

2015-06-12 23:34:12
あきつ天龍帝都奇譚 @akitsutenryu

「ありがとうございます、と何度も言っていでありますよ、天龍殿。 今度、眉月殿と銀座の方まで出かけるそうであります」 「そうか、あきつ丸の行いは良かったんだな。 一時はどうなるかと思ったが……」 二人は互いのことを"あきつ丸"、"天龍"と呼び合っている。 何か訳があるらしい。

2015-06-12 23:47:58
あきつ天龍帝都奇譚 @akitsutenryu

しかし二人がその事情について話すことは無い。 互いに薄々気づいてはいたが、それは二人の間においては公然の秘密。 そのことに触れないよう、日々を過ごしていた。

2015-06-12 23:50:11
あきつ天龍帝都奇譚 @akitsutenryu

時に今は五月。 帝都も新緑の香が芳しい季節となっていた。 三月の始めに受けたある小さな依頼を二人は終え、また日常に戻っているのだ。

2015-06-13 00:01:02
あきつ天龍帝都奇譚 @akitsutenryu

「で、あきつ丸。 この手紙の件はどうすんだ?」 「……思い出したくないことを」 天龍は机の上に置かれていた封筒を指で挟んで持ち上げた。 それを見たあきの表情は渋い。

2015-06-13 00:05:36
あきつ天龍帝都奇譚 @akitsutenryu

手紙はあき宛てに届いた、あるカフェからの招待状である。 それだけなら問題無かったのだが、書かれていたこちらの宛名が不味かった。

2015-06-13 00:22:49
あきつ天龍帝都奇譚 @akitsutenryu

"龍城子爵とそのご令嬢へ カフェリリィズ"

2015-06-13 00:23:47
あきつ天龍帝都奇譚 @akitsutenryu

二人の間にある公然の秘密、その片方を認識せざるを得なくなったからだ。

2015-06-13 00:24:22
あきつ天龍帝都奇譚 @akitsutenryu

「で、行くのか、行かないのか」 「それは……」 「宛名のことは気にしちゃいねぇ。 別にあきつ丸が何者だろうか、俺は知ったこっちゃねぇよ」 「しかし、これは夜会の招待状であります。 抵抗はあるでありますよ……」 「今さらなに言ってやがる。 その格好で行けばいいじゃねぇか」

2015-06-13 00:29:06