江戸のグルメ

太田記念美術館にて2012年3月1日~3月24日に開催された「江戸っ子味めぐり」展の際に執筆したツイートをまとめました。 現在作品は展示していないため、ご観覧できません。また展覧会図録も作成しておりません。
アート 食文化史 江戸時代
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太田記念美術館 @ukiyoeota
【江戸っ子味めぐり・見どころの作品】歌川国貞(三代歌川豊国)「十二月の内 卯月 初時鳥」。江戸っ子は初ものをありがたがりましたが、とくに初鰹は人気でした。鰹をさばく女性の顔にも笑みが浮かんでいます。当時の台所の様子もわかる一図。 pic.twitter.com/sqIDh72dHx
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【江戸っ子味めぐり・見どころの作品】月岡芳年「風俗三十二相  むまさう 嘉永年間女郎之風俗」。海老の天ぷらを食べる遊女。「むまさう」は「うまそう」の意。江戸時代、天ぷらは屋台などで気軽に食べられる料理として江戸っ子に人気でした。 pic.twitter.com/dcO96ZQIgl
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【江戸っ子味めぐり・見どころの作品】溪斎英泉「江戸八景 日本橋の晴嵐」。食の中心地でもあった日本橋。魚介や野菜、酒樽を運ぶ人々でごった返しています。江戸に集まる豊富な食材が、江戸の食文化の発展を支えていました。 pic.twitter.com/3GOY3UF3e4
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【江戸っ子味めぐり・見どころの作品】歌川広重「東都名所高輪廿六夜待遊興之図」(部分)。 当時の屋台の様子がわかる作品。握り寿司は屋台で食べるちょっとした外食として人気でした。握られた寿司がずらりと店頭に並んでいます。 pic.twitter.com/vlse5L9OYs
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【江戸っ子味めぐり・見どころの作品】歌川国貞(三代歌川豊国)「十二月之内 師走 餅つき」。 年末15日頃から正月用の餅つきが賑やかに行われました。「八百屋町杵の音」とまで言われるほど、餅つきは年末の風物詩でした。 pic.twitter.com/BTpkHnLy9v
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【江戸っ子味めぐり・見どころ紹介】様々なものを順位付けするのが好きだった江戸の人々。人気の料亭やおかずなど、食に関するランキング(番付)も多く作っています。本展では都立中央図書館加賀文庫ご所蔵の資料http://t.co/vxUZDP0h73をパネル展示にてご紹介しております。
太田記念美術館 @ukiyoeota
【江戸っ子味めぐり・見どころの作品】歌川国貞(三代歌川豊国)「見立源氏はなの宴」(部分)。桜見での料理に握り寿司が見えます。当時の握り寿司は今より2~3倍の大きさがあったとも言われています。楊枝もささっており食べやすそうです。 pic.twitter.com/Jkdiu5v6nH
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【江戸っ子味めぐり・見どころの作品】四代歌川国政「新板猫のそばや」。擬人化された猫達がユーモラスに繰り広げる蕎麦屋の様子。明治初期の作品ですが、幕末の蕎麦屋の様子を推測させます。もり蕎麦もかけ蕎麦も、美味しそうです。 pic.twitter.com/bxfMdTAl1C
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太田記念美術館 @ukiyoeota
【江戸っ子味めぐり・見どころの作品】歌川国貞(三代歌川豊国)「十二月ノ内 水無月 土用干」(部分)。一口サイズのサイコロ状に切られたスイカ。暑い夏のおやつには最適ですね。当時のスイカは今ほど甘くなかったようで、砂糖を付けて食べました。 pic.twitter.com/yCBM0DGKN2
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【江戸っ子味めぐり・見どころの作品】歌川国貞(三代歌川豊国)「十二月の内 小春 初雪」(部分)。寒くなると市中の随所に焼き芋屋が出現しました。廉価な栄養食でもあり、歩きながらかじるカジュアルな軽食として人気だったようです。 pic.twitter.com/u8ltarPfBQ
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太田記念美術館 @ukiyoeota
【江戸っ子味めぐり・見どころの作品】歌川広重「東海道五十三次之内 府中 あべ川遠景」。ご当地名物は江戸っ子も大好き。 府中宿(静岡市)付近で人気だったのが、現在も同地の名物「安倍川餅」。画中の旅人も美味しそうに食べています。 pic.twitter.com/0JuN6Ji02r
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コメント

保下 多良央 @Bacalhau5 2015年6月16日
「むまさう」って(・∀・)イイ!!
桝田道也@pixivFANBOX支援者募集中 @mitimasu 2015年6月16日
当時の握り寿司が今の2~3倍なら、絵の車エビも通常の2~3倍のサイズってことになる。そんな特大の車エビはめったにいない。イセエビは江戸前にいないし殻が固くて絵のような寿司にはできない。そもそも部分を抜き出さず全体で見れば、それほど大きくないのがわかる。
桝田道也@pixivFANBOX支援者募集中 @mitimasu 2015年6月16日
釈迦に説法だけど国芳の「縞揃女弁慶 安宅の松」(1844)を見れば寿司が今と変わらない大きさになのがわかる。寿司の誕生が1827として、たった17年で大きさが半分以下になったとするより、そもそも2倍説が誰かの勘違いと考える方が自然。
Yoshiteru Kawai @yoshikun2009 2015年6月16日
この手の江戸時代生活ネタで三都以外の情報が極端に発信されないのはなぜなのかな?
未知神明(みちがみ・あきら) @ontheroadx 2015年6月16日
戦前の寿司は今より大きかった、という記述もありましたが、「2~3倍」というのはどうなんだろうなあ。
腐ってもエビ @kusattemoevill 2015年6月16日
yoshikun2009 時代を象徴する食事となると三都挙げれば十分なのと、絵として残ってる数が段違い(特に江戸)だからでは? 農民の食事で革命的な変化はないですし。まあ、江戸文化=町人文化みたいなところはあるので
タツコマはネコ科猛獣に襲われてしまった @TATukoma1987 2015年6月16日
茶碗でご飯食べるようになったのって幕末だっけ?
夕サ力八ルヒコ @HAL1966_ 2015年6月17日
いいなぁー!! 「美味い」というより「粋な」って食。 それが悪いとは言いません、いや食いてぇなぁ〜!
A.C.✨NCC1710hh2 @AerospaceCadet 2015年6月17日
焼き芋は絵から察するにと言うか設備がそのままなんだけど石焼じゃなく厚めにスライスして鉄の鍋で蒸し焼きにするタイプだな。オレの知ってる所だと冬季限定で京都の新京極で営業してる。
重-オモ- @__oMo__ 2015年6月17日
当時の握り寿司が今の2~3倍というのはこの絵の寿司のことではなく、当時の握り寿司はそうだったという説もあるという紹介かも?
こざくらちひろ @C_Kozakura 2015年6月17日
今でもおにぎりに寿司ネタを載せたような、通常のシャリの2~3倍はありそうな大きなシャリのお寿司を食べてる地域が漁師町の一部にはありますよ。ガテン系であれ丁稚奉公であれ、「おかずはなくともまずは白米」という人が多かったせいで、江戸では脚気が多かったそうで。
TENNOたまに謎狩 @XH834 2015年6月17日
mitimasu この2-3倍と言うのは重さのことで大きさではなかったりする。重さ3倍の場合大きさ(長さ)は1.4-1.5倍くらいになる。車海老は大型のエビ(体長15㎝)なので大丈夫
TENNOたまに謎狩 @XH834 2015年6月17日
寿司の分量の一貫は重量の単位でして一人前100文指し(360g)だったのです。本来の一貫の1/10ですね。今は握り2つ(40g)で一貫と呼んでます。んで当時は握り一つで40g、握り9つで一貫(一人前)というわけです
にゃん @cat_wing 2015年6月17日
クローズアップするとおもろいもんやなぁ
Yoshiteru Kawai @yoshikun2009 2015年6月17日
kusattemoevill 江戸時代は現代よりはるかに食文化の地域差が激しかったのですが。情報も各地の文献に残っています。
イズミトモキ @izumitomoki 2015年6月17日
「新板猫のそばや」かわいい!さいころスイカはシャービックっぽい。
お猿さん@轟驫麤 @mamachari3_Jpn 2015年6月17日
「むまさう」→「んまさう」→「うまそう」???ちがうかorz
腐ってもエビ @kusattemoevill 2015年6月17日
yoshikun2009 各地に残ってるのは各地方が発信してるので、気になるなら調べればいい、ということで紹介しないのかと。地方食として残ってるものもありますしね
BUFF @geishawaltz 2015年6月17日
この一方で江戸などの庶民はほとんど白米しか食べなくて、その結果脚気になって「江戸わずらい」なんて呼ばれていたそうだけど。こういうの庶民は何日に一度くらい食べられたのかしら。
未知神明(みちがみ・あきら) @ontheroadx 2015年6月17日
商人の家は夜中に飯を炊いて朝に冷や飯を食べ、職人の家は朝に飯を炊いて昼と夜に冷や飯を食べました。
橘屋@月東O-01a @M_Tachibana 2015年6月17日
昭和20-30年代のニュース映像で、弁当にソフトボールの3号位はありそうな大きなおにぎり(海苔も巻いてない)を囓っている様子があったのを思い出しました。
TENNOたまに謎狩 @XH834 2015年6月17日
geishawaltz 祝い事なんかの時に。あとは決まった日に食べるものがあったり。江戸は職人の街で手軽に食べられる間食として屋台や棒手振りで売られていたり。天ぷらや蕎麦もこの手のものですね。だから懐に多少の余裕のある人達は結構食べてたりする
水野修平 @mizunosyuhei 2015年6月17日
仮に天保期に寿司が小さくなったとすれば、1838年に始まり3年後に本格化した天保の改革における贅沢禁止令による影響の可能性もゼロではないと思います。
sronin @sronin 2015年6月18日
「江戸っ子妹めぐり」に空目。
永沢壱朗 @Nichilaw 2015年6月20日
鮨が青い。この頃は、刺身はほとんどなくて、漬けたり締めたり蒸したりがほとんどだったって聞いたことあるけど、実際はどうだったんだろ。
16TONS@最近ゲームやってねえ @moonintears16t 2015年6月20日
元々スシもテンプラもファストフードだったのにどうしてこうなった。明治時代の闇は深い(いや、今の状態もこれでいいっちゃいいんだけど)。だがスシが元々ファストフードなら平安時代のニンジャがカラテを回復するのはよくわかる(彼は狂っていた)
シャイニングメタボ改九拾八式 @macoairhead 2015年6月20日
江戸時代のほうが食に対してエンターテイメントを追及してる気がするなぁ。
佐倉和音🥴 @O_Flow 2015年6月20日
刺身は日本橋などの河岸から近い所で美味しく食べられたでしょうね。寿司のタネは多くはコメントにもありますがヅケ(醤油)、酢締め、蒸しなどの加工がされていたそうです。現在でも加工されているタネを出すお店はあります。
佐倉和音🥴 @O_Flow 2015年6月20日
あと飯の酢がきついという特徴もあり、これも防腐剤としての酢の役割を生かしたもの。「笹巻けぬき寿司」などにその名残が。個人的には刺身などの生の海産物は今とは違い結構ご馳走だったと考えます。
smw @Shi_MeiWo 2015年6月21日
寿司の大きさについてだけど、当時は労働者が屋台で手早く食事を終えられるように、1~2個で満腹になるようにしていたそうな(「世界一受けたい授業」情報)。再現映像を見たが、一個が現在のコンビニおにぎりくらいの量だった。
佐倉和音🥴 @O_Flow 2015年6月22日
清水の親分が「江戸っ子なら寿司食いねぇ!」といったかどうかは定かではないですが、実際に言っていたとすれば握り寿司ではなく押し寿司だったのではないか?とどこかで読んだ覚えがあります。
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