クリス・マッカンドレスと行くアメリカの旅 ― 『イントゥ・ザ・ワイルド』の道のりと風土
- kosukemiyata
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"big people"(「慢心した人々」とでも訳すべきか)を灼く"hard sun"はアメリカ西部にぴったりな曲だが、農耕に適せず多くの生物にとって過酷な乾燥地帯の環境が「(共同体意識から切断された)社会的地位」の追求にも繋がった、とStegnerは語っている。この点は逆説的。
2015-05-28 00:11:26第7回
Into the Wildの授業。人間を環境の従属物であることから解き放ち、個々の天地創造の可能性を説いたR. W. Emerson、という補助線を引くと、H. D. ThoreauのWaldenの実験生活の背景が見えてくる。『ドクトル・ジバゴ』の「正しい名で呼ぶ」にも繋がるか。
2015-06-03 14:15:20Human natureを性悪説で扱ってきた人々に対し、Emersonは人間精神の超越性を強調したとか。アメリカの自然を個人的探究の素材と位置付けたという彼の初期の思想は、野性そのものの肯定とは異なる。ThoreauのWaldenにも、欲望(例えば肉食)に対する非難が散見される。
2015-06-03 14:37:00今日の授業で扱ったPrimo Leviの山岳短編Bear Meat(英訳全文 newyorker.com/fiction/featur…)も、国は違えど主題において共通するところがある。失敗する自由を持っていること。自分自身の主であり、すなわち世界の主であるという感覚。傲慢さと紙一重ではある。
2015-06-03 16:37:06Bear Meatに登場する二人目の話者は、loveやsuccessなどは強さと自由の感覚に遠く及ばないと語る。これに重なりそうなことを、ThoreauもWaldenの最終章で言っている。Chris McCandlessはその部分をハイライトし、余白にTRUTHと書き込んでいた。
2015-06-03 16:55:29愛よりも、富よりも、名声よりも、真理を。このTRUTHはMcCandlessにとって何だったのか。教室でも学生から様々な意見が出た。Bear Meatの一節の意味ならピッタリのようだが、Krakauer本を読む限り現実の彼との直接的な関係は無さそう。映画で使用されたのも別の箇所。
2015-06-03 17:04:16moneyやfameはともかく、loveよりもtruthを、と訴えるThoreauにChrisが頷くのはどういうことなのか。その場合のloveは人間同士の愛のことでは、と一人の学生。欲望を伴うものでは、との指摘もあった。トルストイの中編「家庭の幸福」などを引き合いに出しつつ討議。
2015-06-03 17:16:14truthの解釈については、何回か前に扱ったE. Vedderの"Long Nights"にも言及。自分が落ちていっていることを夜が教えてくれる、そしてやがて無事に地面に舞い降りる、という構図。そのgroundの実態は辿り着くまでは分からないのだ。「真理」も同じではないだろうか。
2015-06-03 17:35:36この構図と殆ど同じものを、Waldenの"truth"の部分の手前でThoreauは示している。 「旅人の馬が腹帯のところまで沈んだので、彼は少年に言った、『…底は固いと言ったろ?』…『そうですよ、でも深さはその倍以上…』社会にある沼や流砂もこれと同じだ」(真崎義博訳、256頁)
2015-06-03 17:48:47Chrisに関しては、真理に辿り着くことと愛の問題が強く結び付いていると思われる。そこに神(超越的存在)の光が絡んでくるというのが、映画での描かれ方。先週やった"Hard Sun"のハミングバージョンがそこに被せてあることも、かなり明白な演出と言える。Pennによる一つの解釈だ。
2015-06-03 17:57:55第8回
昨日のInto the Wildの授業で学生が言っていた「まっさらな場所」のこと。Emersonが初期に提唱した、「個々人の天地創造」とでも呼ぶべき精神主義と実践の方法。その素材として、アメリカ人には新世界の自然があった(ある、と考えられた)。Thoreauは顕著な体現者の一人。
2015-06-11 04:44:29個々人による「まっさらな場所」の追求は、フロンティアの縄張り争いにも繋がるだろう。19世紀末にかけての「西部」(ThoreauもWalkingの中で特別な方角としている)の飽和と、「北方」への関心の高まり。そうした絶えざる拡張を必要とするアメリカ的メンタリティー(Turner)。
2015-06-11 04:51:43Stegnerの講演にあったように、農耕ベースの暮らしの継続性を考えれば、恒常性・歴史性の期待できる「場所」が西部には少ない。空間の過剰と、移動する人々のための中継地ばかりがある。着地できる場所を見いだせないままグルグルと回り続ける生き方が、一つの国民性を形作ることにさえなった。
2015-06-11 05:04:37アメリカというnationが太平洋岸へと広がると、西部(ロッキーより内陸の地域を含む)で見出されたway of lifeは東へと逆流し、独特のnational characterを生み出した、と言えるだろうか。LeatherstockingやHuck Finn(Stegner)。
2015-06-11 05:21:44授業の題材だったVedderの"Rise"(カントリー風味のポスト・グランジ的ロック)やRoger Millerの"King of the Road"(貧しい流れ者の暮らしを朗らかに歌い上げたカントリーのヒット曲)が表す人物像は、いずれも放浪者というアイコンの血統に連なるものだ。
2015-06-11 05:31:46「まっさらな場所」の幻想が西部の(農耕ベースの定住に適さない)「空間」の中で飽和し、亡霊となって彷徨う。その一つの極致が、カリフォルニアの眩しさの背後にある空洞、目に見えない暗黒ではないだろうか(David Lynch的な世界)。"Rise"の"black holes"とも共振?
2015-06-11 05:43:31新天地、フロンティアの追求に関して忘れてはならないのが、既に前からそこに暮らしていた人々の存在。彼らの知と技術を尊敬の対象としたThoreauが「他のどこか」てはなく「ここ」を広げることに注意を払ったという点は特筆に値する。彼は「まっさらな時間」の人だったのかな、と思う。おはよ。
2015-06-11 06:41:47第9回
今日のInto the Wildの授業は、映画OSTに入っているJerry Hannan作詞・作曲の"Society"から。幾つかの語を並べ替えて概念操作をしているタイプの歌で、劇中では第3章Manhoodの冒頭に使われている(第2章Adolescenceの冒頭は"Rise")。
2015-06-17 16:50:37主題は我々が持っている(そして批判的に省みることもない)"greed"=強欲さ。曲中の声とChris McCandlessを重ねるなら、societyとfamilyとmeの交錯を考えることになる。物質的な豊さを重視する親をモデルに構築された彼の「社会」像と、その一部である彼自身。
2015-06-17 17:06:48劇中、酒場で一緒に"society!"を連呼したWayneが、Chrisの言う"people"に対して"What people?"と訊く。若者が非難する「人々」の実体の曖昧さを指摘し、そういう姿勢は間違っていると諭す場面。Chrisの返答のうち"parents"は相対的にリアル。
2015-06-17 17:17:01"Society"では"society ... I hope you're not lonely without me"という文句が繰り返されるが、社会をyouと呼ぶパーソナルな感覚は実にChris的で、具体的な誰かの存在を想起させる(このことを学生が言ってくれたのは良かった)。
2015-06-17 17:51:03一方、先述した映画の場面のような若者の激しさに比べ、Hannan作の歌の言葉は格段に穏やかだ。強い拒絶が自立の不完全さに由来すると考えるなら、この優しさは青年が「大人になった」こと、Manhoodの獲得を表しているとも言えるだろう。forgivenessやloveへの大きな一歩。
2015-06-17 18:09:23