真夜中の釣り大会#3
いつの間にか雨雲が月を覆い隠し、山小屋の外は雨になっていた。紅茶の優しい香りが山小屋の中に広がる。雨吸いは事情をレッドだけに話した。その声は雨音にかき消され、消えていった。「俺も雪熊だったし、この山に住む雪熊たちと仲良くやっていた。人間と競争することなく、な」 87
2015-06-22 19:15:55「だが、俺は企画のことを知った。メファルが、寂れていく村に耐えられなくなって観光客を呼ぼうとしたんだ。俺はメファルと何度も相談したが、あいつは聞き入れなかった。小さいころから村で生きてきたメファルのことだ。俺の育てる雪熊よりも村の存続の方を優先するのも無理はない」 88
2015-06-22 19:17:59「もし、この山村が有名になったら、雪熊は安全のために駆除されるかもしれない。企画の規模が小さく、スタッフの数も少ない今が最後のチャンスだった。実際にはそれは杞憂だった。観光客はほとんど来ることはなかった。企画倒れになると思っていたんだ」89
2015-06-22 19:21:05「しかし、どうだ。サクラのことを告げても、お前たちは観光を楽しんでいる。他の人間ならば、つまらない田舎の山村だと失望するだろう。だが、お前たちは……本気で観光をしているんだ。俺は危機感を覚えた。もしかしたら、この山村にひとが……押し寄せるんじゃないかってな」 90
2015-06-22 19:23:32レッドは静かに聞いていた。雨吸いは紅茶を蒸らし、棚からジャムを取りだした。「ジャムを舐めながら紅茶を飲む。うまいぞ。スプーンは人数分あるから大丈夫だ」 レッドはやはり皆に聞こえない声で囁く。「分からんでもないな。それで雪熊が襲ってきたのか?」 91
2015-06-22 19:26:12「若い雪熊なんだ。向こう見ずというか、勇み足を踏んでしまった。もう、雪熊の害が明らかになってしまった。これから先は正面衝突だ。俺はそれを望まない。俺達は新天地を求めてさらに山の奥へと潜る」 雨吸いはどこかさびしそうに言った。過去何度もこういうことがあったのだろう。 92
2015-06-22 19:30:54勝ち目のない戦いを繰り返すと、どうしても戦いを避けるようになる。レッドだって、麓の村で飾られている雪熊の剥製を何度も目にした。「まだ勝ち目はあるぜ。雪熊の害があるなら、観光を潰すことができる。それでも逃げるのか? それでお前たちは満足か?」 レッドは最後に聞いた。 93
2015-06-22 19:34:04「そりゃ未練はあるさ」 雨吸いは静かに呟いた。「俺はずっとお前らを見ていた。お前らの観光は本物だ。そうでなくても、俺達は本物か? そう思ったんだ。故郷を捨てたのは一度や二度ではない。そのたびに失敗を繰り返した。俺達は間違っている……どこかで、レールを戻さなくてはいけない」 94
2015-06-22 19:37:50「俺は雪熊たちを信じている。だが、辛い野生の生活に疲れた雪熊たちは、美味しい野菜や果物の溢れる山村に、どうしても夢を抱いてしまうんだ。その先には破滅しかないというのに! 過去に、人肉の味を覚えてしまった仲間もいた。その結末は……今でも悪夢となって俺を苛む」 95
2015-06-22 19:40:24雨吸いは懺悔するように、苦しみの声を漏らした。もう、紅茶は渋みが出てきてしまっているだろう。それに気付かないほどに、雨吸いは苦しんでいた。「俺達は楽園を探して旅を続ける。それは、ここではなかった……それだけのことだ」 「きっと見つかるよ」レッドは雨吸いを勇気づけた。 96
2015-06-22 19:44:09「気休めありがとう。明日の朝、俺達はこの山を去る。命に別条がなくて、本当に良かった」 雨吸いは懺悔をやめて、紅茶をカップに入れた。そしてそれを皆に振舞った。レッドは窓の外を見た。雨は上がっていた。窓の外には……まるで満天の星空のように、アンコウガエルの灯が瞬いていた。 97
2015-06-22 19:47:18