その日、男の要請を受けて三体の長距離侵攻用ガルーダ型得度兵器が調査のために飛び立った。運命は静かに動き出し、聖鳥は嵐の訪れを告げる。徳の流れは、人を何処へ導くというのか。それを知る者は、まだ、居ない。 20
2015-07-07 23:29:27さて、話はガンジー一行の方へと戻るのだが。 説明するシャリオン、文句を付けるガンジー、フォローを入れるクーカイ、その横で暇を持て余しているガラシャ。彼等のその後数日間は、概ねこの4パターンの繰り返しという酷く退屈なものだった。ちなみに、退屈であるのには幾つかの理由がある。 21
2015-07-09 20:09:281つの小さな理由は、ガンジーとクーカイの教育レベルをシャリオンが見誤っていたこと。徳インフラが壊滅した後の小さな共同体で受けられる教育レベルには、必然的に限度があった。これは仕方のないことだ。だが、もう1つの大きな理由は……シャリオンが、酷く説明下手だということだった。 22
2015-07-09 20:12:19実際のところ、彼女は徳科学の多くの領域に関して正確な知識を持っていたが、その説明下手……もっと言えば『わかっている人間にしかわからない説明』しかできないせいで、理解していると見做されたことは無かったのだ。 23
2015-07-09 20:15:53その上、重要なガンジー達の興味を惹く情報……つまり徳技術者の生き残りが何人居るだとか、人里までの具体的な道筋といったようなことを、彼女は取引材料にするために隠そうとした。その結果、残された説明は素人が作ったクロスワード・パズルを解くような有り様だった。つまりは拷問である。 24
2015-07-09 20:18:53読者の方に拷問を科す訳には行かないので語り口は変えるが、彼女の話した内容の一部は、例えば徳カリプス前の社会についてであった。徳カリプス以前の社会は、それがダイナマイトの山の上に作られているのを別にすれば、概ね完璧で幸福な社会だった。 25
2015-07-09 20:27:24勿論ダイナマイトというのは比喩表現で、実際にはパンク寸前の徳の山の上だった。ちなみにこの作品のジャンルは徳パンクだが、それとこれとはあまり関係がない。とにかく大部分の人が徳を積めば幸福になれると信じて徳を積んでいたし、そうでない人も幸福に暮らすことができた。26
2015-07-09 20:29:15何故徳を信じない人間が幸福に暮らすことができたかといえば、大部分の人間が「見知らぬ人間」を助けることで徳が積まれると信じていたからだ。徳を理解できなくても、物質と精神が充足されてしまえば、大抵の人間は満足してしまうものである。27
2015-07-09 20:33:01例えば、徳カリプス前の世界で真剣に『蟻になりたい』と願う人が居れば、多くの人が来世で蟻になれるよう手助けをしてくれただろう(徳カリプス手前の時期には輪廻転生が多くの地域で信じられていた)。もし、その人が真剣でなかったとしても、それはその人以外にはわからないことだ。 28
2015-07-09 20:35:27こんな具合に、徳エネルギー革命を果たした世界は上手く回っていたのである。だいたいの人間が徳を積み、そうでない人間もちょぼちょぼ徳を積んで、豊かな徳の恩恵を受けていた。そうして、世代を重ねるごとに徳格差は開いていった。 29
2015-07-09 20:40:41これがもし経済的な格差なら、誰かが不満を持っていただろう。だが、徳を沢山持っている人間は徳が高かったので、誰も文句を言えなかった。そして徳が高い人間は、文句を言うという行動をそもそもしないのだ。ジェンガめいて『積まれすぎた』徳はそのまま放置され、皆が徳を積み続けたのだ。30
2015-07-09 20:41:35変化があったのは、数日後。切っ掛けは、ガラシャがいい加減退屈を我慢できなくなったことだった。「……たいくつ」彼女は、年の割には退屈には耐えられる方だった。街にいた頃、信じてもいなかった『徳』に関するアレコレに付き合うことが、彼女の忍耐を鍛えてきたのである。だが、限度はあった。31
2015-07-10 13:39:36三人が寝ている間に、彼女は行動を起こそうとした。実際には、シャリオンの『機械の側』は起きていたのだが、それは些細なことだった。ガラシャは風呂も着替えもろくに無い状態で旅を続けるのに苛立ってもいた。だから、それを行動で……つまりはイタズラで晴らそうとしたのだ。32
2015-07-10 13:45:38彼女は徐にマジックを取り出し、助手席に座るクーカイのバンダナに手をかけた。えもいわれぬ背徳感と外観が彼女の背筋を駆け抜ける。彼が目を覚ます様子はない。ガラシャは目を輝かせながら、慎重にバンダナを取り去る。毛の一本もない、輝くキャンパスが露になる。33
2015-07-10 13:50:09ガラシャは興奮を抑えながら、ペンで『徳』の文字を書き込んでいく。この輝くキャンパスの全面を思う様使えたら、どんなに快いだろう。だが、これはバレる悪戯なのだ。叱られるリスクも考えねばならない。(一文字だけ……一文字だけ)自制を働かせながら、一角一角を慎重に刻む。34
2015-07-10 13:55:16退屈だった学校での写経の時間も、全てはこの時のために。だが……残るは「心」部分になるまで筆を進めた時。「むーう……」クーカイが声を上げた。「!?」至近距離まで顔を寄せていたガラシャは反射的に後ろへ跳ぶ。 35
2015-07-10 14:01:26「それは……ガンジーにはわからないと思うぞ……」だが、そう口にしたきり、クーカイは目を覚ます気配はない。「……ねごと?」ドキドキする心臓の鼓動を感じながら……彼女は、彼女の作品を完成させ、それを慎重にバンダナで覆った。36
2015-07-10 14:06:52