「天の原ふりさけ見れば春日なる三笠の山に出でし月かも」(阿倍仲麻呂)新解釈について(「国生み」と「前方後円墳」その2)

「天の原ふりさけ見れば春日なる三笠の山に出でし月かも」(阿倍仲麻呂)を「国生み」と「前方後円墳」( http://togetter.com/li/798491 )を踏まえて新解釈してみました。 ※7/11図を追加。
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じねん @jinensai

脳味噌からこぼれないうちに、昨日マッサージチェアで瞑想中に泡沫の如く浮かんだ想念を備忘的にメモしておこう。「天の原 ふりさけ見れば 春日なる 三笠の山に 出でし月かも」(阿倍仲麻呂)について。(続

2015-07-05 21:45:23
じねん @jinensai

承)鍵は「三笠の山」だ。「山=前方後円墳」なことはフォロワーさんにとって「ああまたかよ」な話題だと思うけど、それが「三笠」すなわち3つ近接して笠を伏せた形状をしているとなったら、ピーンとくる方もおられるのではないか。(続

2015-07-05 21:46:17
じねん @jinensai

承)すなわち仁徳・履中・反正の百舌鳥耳原三陵だ。ギザのピラミッドの如く完全に特定できるランドマークだ。遣唐使として阿倍仲麻呂が出帆したであろう住吉の津とは目と鼻の先。海上からも見えたのではないか?(続

2015-07-05 21:49:19
じねん @jinensai

風呂から上がってベンチ探し。某コンビニの憩いコーナーに落ち着く。

2015-07-05 22:30:41
じねん @jinensai

承)定説では三笠山は奈良盆地で、仲麻呂は唐から帰国の際(←実際は難破して唐に逆戻り)に故郷の奈良を想い詠んだとされる。「異国の地で故郷を想う」なるほど国語的には申し分ない。別におかしくはない。しかしインパクトとして弱いのではないか。夕暮れならともかく、山からの月の出は地味だ。(続

2015-07-05 22:41:34
じねん @jinensai

承)次に鍵となるのは「天の原」だ。単純に天空で良いのだろうか。「高天原」が意外に記紀に現れず読み仮名を振られるほど新しい概念だったことを指摘する研究は複数あるが、補助線を引くと従来「天の原」だった可能性がある。百舌鳥耳原三陵付近で該当するのはやはり陸繋島状態の上町台地だろう。(続

2015-07-05 22:53:03
じねん @jinensai

承)丹後半島宮津の天橋立が有名だが股の下から覗くと砂嘴・砂洲はあたかも天空への階に擬せられる情景では無かったか? そして「羽衣」伝説がつきものでもある。仁徳天皇陵(=天の香具山)至近に「羽衣」地名が残存している(←ググれ)のも偶然ではないだろう。(続

2015-07-05 23:03:05
じねん @jinensai

承)他ならぬ仁徳天皇の歌(古事記所収)にも大阪湾上から陸地を返り見て自凝(オノゴロ)島ほかを歌ったものがあるが、陸繋島の「長柄」部分の両側に沿岸流による造陸運動により「東生(成)」・「西生(成)」が発達するとそれはもはやオノゴロ「島」とは呼べない形状になっていたのではないか。(続

2015-07-05 23:10:43
じねん @jinensai

承)かれこれ20年ぐらい前に近畿三都と高野山を二、三年がかりで友人たちでツアーしたことがあるが、大阪城近辺はなだらかな坂を上りきるとモヘンジョ・ダロならぬ「原っぱ」が広がってたのが印象的だ。バス遠足らしき中学生か高校生がのんびりバレーボールに興じていたのを今でも覚えている。(続

2015-07-05 23:19:37
じねん @jinensai

承)すなわち島から陸地化したオノゴロ島が「天の原」であろう。「高天原」は難波から奈良盆地に首都機能を移転した際に区別をつけるためか、ローカル政権が全国政権になって格が上がったことに伴う名称変更ならば、すんなり腑に落ちる。(続

2015-07-05 23:25:01
じねん @jinensai

承)「春日なる」を霞みに係る(今の場合「笠」に係るか)と解釈すると、新釈は以下のようになる。「(かつての都である)「天の原」を(住吉の津から船出して)振り返りつつ眺めれば(古河内湖と大阪湾から立ち昇る)靄に霞む(笠を伏せた状態の)三つの陵から月が出てくる絶景であった」(続

2015-07-05 23:36:46
じねん @jinensai

承)以前つぶやいたように「前方後円墳」が上町台地陸繋部の両側に沿岸流による堆積すなわち「国生み」が行われる神秘を模したモノなのだとしたら、仲麻呂が遣唐使船から見た情景はそのフレームの中に大景としての「国生み」舞台と中景としてそれを擬した百舌鳥耳原三陵を相似形で封じ込めている。(続

2015-07-05 23:46:28
じねん @jinensai

承)これはもはや凡庸な故郷の風景の域を超えているインパクトだ。出帆の際に脳裡に刻まれたこの情景を唐から帰国する際に想い出し、詠じたのだとしたら、この歌の持つ味わいは従来と全く違う趣で迫ってくるのではないか。

2015-07-05 23:53:57
じねん @jinensai

帰ろう…。(ここ飲食持ち込み可能ぽいから、次回からドリンクの持ち込み考えよう。)

2015-07-05 23:56:16
じねん @jinensai

「天の原ふりさけ見れば春日なる三笠の山に出でし月かも」(阿倍仲麻呂)新解釈について(「国生み」と「前方後円墳」その2)( togetter.com/li/843504 ) を図にすると、こうなる。 pic.twitter.com/pt5mOW1akI

2015-07-11 21:28:49
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