元関脇 竹乃節によるACECOMBAT04論 その6

プレイヤー(P)、プレイヤーキャラクター(PC)、そしてノンプレイヤーキャラクター(NPC)の三項構造の観点から見て、シリーズの中でも04が特異であるということについて解説します。
11
元関脇 竹乃節 @take_no_fushi

ゲームにおいては(極端な話)、プレイヤーキャラクターはどこまでも受け身な存在であっても許されると思っている。敵が襲ってくる(から倒す)、王様からクエストを与えられる(からこなす)、民衆にほめそやされる、など、受け身の行動だけでもプレイヤーキャラクターは成立する。

2015-10-08 14:15:39
元関脇 竹乃節 @take_no_fushi

ゲームパートの基本的な進行については、04のプレイヤーキャラクター、メビウス1も全く同様な役割に収まっている。 敵が襲ってくる(から撃墜する)、スカイアイからミッションを与えられる(からこなす)、味方からほめそやされる、など。 「ただし」、だ。このあとに「ただし」がつく。

2015-10-08 14:17:03
元関脇 竹乃節 @take_no_fushi

04の物語において重要なパート、サイドストーリーにおいては、メビウス1はしだいに受け身の存在ではなくなっていく。 黄色の13はメビウス1に(おそらくは)最愛の人の命を奪われる、メビウス1が成し遂げた戦果の末に、戦災孤児との間に築いた「偽りの家族」を破壊される。

2015-10-08 14:18:53
元関脇 竹乃節 @take_no_fushi

「地上の人間」としての黄色の13はただひたすらにメビウス1に破壊されるだけの人物になっていく。だが同時に、戦士としての、パイロットとしての黄色の13は、リボン付きと呼ぶメビウス1との決戦に希望すら見いだしていく。

2015-10-08 14:19:50
元関脇 竹乃節 @take_no_fushi

ゲーム本編のなかでは受け身のままにミッションをこなすメビウス1は、「プレイヤーキャラクターである」こと以上に主人公の要件を満たしていない。 しかし、少なくともサイドストーリーにおいて、メビウス1は「世界や登場人物に影響を与える」という、物語的な意味での主人公となりうるのだ。

2015-10-08 14:23:05
元関脇 竹乃節 @take_no_fushi

「見る存在(=プレイヤーキャラクター)」として用意されたに過ぎないメビウス1は、ゲームパート、そしてサイドストーリーの両面で「見られる存在(=主人公)」へと昇華していく。

2015-10-08 18:52:18
元関脇 竹乃節 @take_no_fushi

AC04の取説の表紙、黄色の13がメビウス1を視界に捉えようと、コクピットから下を覗き込んでいるのがたまらなく好き プレイヤーキャラクターとしての「見る存在」から「見られる存在」への昇華。まさにAC04の特異な視点を体現している。 pic.twitter.com/pFgPJhpd8Y

2015-07-20 17:03:08
拡大
拡大
デッドコピーたこはち @hyla_shinanica

3は所属の勢力を変えられるから、多角的な視点を得られるはずだけど、04の方が視点の提供という点では上な気がするのはそのキュビズム的な構造ゆえなのかな

2015-07-09 01:12:27
元関脇 竹乃節 @take_no_fushi

04にあって3にないのは「敵の無線」かな 民間人の観るようなTVやCMが流されるという点では04単独以上、04Web込みでの04に匹敵する多面性をもっているけど、戦闘中に敵の無線も聞こえるという「視点が交錯する瞬間」をもっていなかったのがその差だと思われる

2015-07-09 01:15:55
元関脇 竹乃節 @take_no_fushi

逆に5は平時のストーリーテリングにおいて、「主人公とその周辺」を越えた視点が提供されなかった おそらく、04のキュビスム的視点がもっている弱点(爽快感を破壊しかねない)を避けるためにあえて削られたんだろうけど

2015-07-09 01:17:56
元関脇 竹乃節 @take_no_fushi

04のもう一つの特徴として、多面的な視点は持っていても、それが登場人物の心理描写にまでは踏み込んでいないというのも挙げるべきであろう

2015-07-09 01:19:55
元関脇 竹乃節 @take_no_fushi

戦闘中の無線が主となっているので気付かれにくいが、04の台詞やら描写はあくまでその人の内面まで見せようとはしていない 無線で聞こえてくるのはその人物が「何をするか」「何を望んでいるか」であって、「どんな思いを持っているか」ではない

2015-07-09 01:21:45
元関脇 竹乃節 @take_no_fushi

戦場から切り離されたはずのサイドストーリーを観れば、その特異性はいっそうはっきりとわかる 片渕須直監督自身が「β運動の岸辺で」で綴っている「ぎりぎりまで具象を削ぎ落として、しかし抽象には踏み込まず、現実の側に留まったように見せて描写する」アゴタ・クリストフの白い文体に倣っている

2015-07-09 01:24:51
Su-8492 @Su8492MKI

少年が大陸戦争への思いを吐露するのも、最終ミッションを終えてからだものなあ……

2015-07-09 01:27:11
元関脇 竹乃節 @take_no_fushi

これ何度か言ってるけど、サイドストーリーで少年の感情が語られるの、最後の最後に出てくる「むなしかった」って一言だけ 両親が死んだ時も、その敵の13を見つけた時も、酒場の娘がレジスタンスだと知った時も、13に銃を向けた時も、感情を表す言葉はなかった

2015-07-09 01:59:04
元関脇 竹乃節 @take_no_fushi

単純にP-PCの関係を合一しようとするゲームのスタイルでは、PCは一方的に観る存在であり、NPCは一方的に観られる存在であった。 しかし、04のキュビスム的視点はその固定観念を乗り越え、観られる存在としてのPC(メビウス1)、観る存在としてのNPCという存在を作り出したのである。

2015-07-09 01:34:14
元関脇 竹乃節 @take_no_fushi

ちなみにWikipediaの「エースコンバット04」の項目、当初はメビウス1の説明に「プレイヤー」とあった。 これはわたくしがこれまで語った04の視点構造からすれば誤りであるのは間違いないので、「プレイヤーキャラクター」と修正した。

2015-07-09 01:36:20
元関脇 竹乃節 @take_no_fushi

ドラマに例えると、P-PCを合一する構造というのは 「ドラマの主人公の位置だけにカメラを持っていて、そこからいろいろ見渡す」話 04は「登場人物みんながカメラを持っていて、主人公も誰かから観られるし、脇役から見た視点も観ることになる」話

2015-07-09 01:39:40
元関脇 竹乃節 @take_no_fushi

ドラマであれば視点がたくさんあるのはそれほどおかしいようには思えないんだけど、ゲームという「操作対象となるPCと、それ以外のNPCがいる」メディアでは困難な形式である

2015-07-09 01:42:14
元関脇 竹乃節 @take_no_fushi

ましてやエースコンバットはPCが一人しかいないので、これまでのゲームの概念、そして3Dフライトシューティングゲームという性質からすれば、むしろカメラはPCの位置だけにあるのが正しいと思われていた

2015-07-09 01:43:37
元関脇 竹乃節 @take_no_fushi

04には神の視点が与えられていると言ったのはわたくしだったか他の方か ただし、ここで言う神様はちょっと変な能力の制限がある 1 誰かに憑依しないと世界を観ることができない 2 憑依している人の感情は観ることができない

2015-07-09 01:47:58
元関脇 竹乃節 @take_no_fushi

そして何より、 3 実力行使はメビウス1という一人の人物の手を持ってしかできない 4 実力行使の方法は「破壊」だけである

2015-07-09 01:54:32
元関脇 竹乃節 @take_no_fushi

「プレイヤーキャラクターが知り得ぬ情報すらプレイヤーが見てしまう」という視点の構築において、04はエースコンバット初にしてもっとも高い完成度を誇っている

2015-07-09 02:00:47
元関脇 竹乃節 @take_no_fushi

AC04のキュビズム的視点の提供においてもう一つ記述せねばならないのが、「徹底した心象光景の排除」である。

2016-09-03 23:08:59
元関脇 竹乃節 @take_no_fushi

他のゲームにはありがちな「キャラクターが一堂に会するイラスト」というものが、実はAC04には存在しない。 もともと登場人物が非常に少ないというのもあるが、人物に限らず、戦闘機の集合絵すらAC04には出現しない。

2016-09-03 23:09:05