塩谷賢 #哲学表現基礎論 第12回「言語表現における意味の意味」

塩谷賢 #哲学表現基礎論 第12回「言語表現における意味の意味」の簡単なまとめです。
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塩谷賢ゼミ(非公認) @shiotani_bot

【シラバス】#哲学表現基礎論 第7回 動態性と表現 第8回 感情・心理と表現 第9回 表現とコミュニケーション 第10回 形式的表現 第11回 表現とシステム 第12回 言語表現と解釈 ←今回 第13回 批評・法・経済 第14回 意味と概念 第15回 学習した内容の点検と確認

2015-07-02 12:59:44
塩谷賢ゼミ(非公認) @shiotani_bot

システムをどう考えるか。ハードウェア、ソフトウェア、生じている現象の3つから考える。システムとはこの現象のことのはずなのだが、その現象を可能にする安定したもの(枠)であるところのハードウェア、ソフトウェアをシステムと思いがちである。 #哲学表現基礎論

2015-07-02 13:05:27
塩谷賢ゼミ(非公認) @shiotani_bot

システム、つまり関連する諸現象を私たちは眺めわたしたいのだが、それはできない。そこで、①システムの部分を見る、②システムの効果を見るということを私たちはする。しかし①は動的な関係を捉えにくい/創発がわかりにくい。②はdirectな記述ではない。限界がある。 #哲学表現基礎論

2015-07-02 13:08:58
塩谷賢ゼミ(非公認) @shiotani_bot

限界があるにしても、不定性を取り込んだ形のシミュレーションはできる。 しかし、①と②の限界を忘れて、①と②だけでシステムを把握できると思ってしまうことがある。シミュレーションがうまくいかなくなるのはそういうとき。 #哲学表現基礎論

2015-07-02 13:12:54
塩谷賢ゼミ(非公認) @shiotani_bot

前回、シミュレーションについては以下のようなまとめ方をした。  Syntagm(連結: 顕在)  Paradigm(変換: 潜在) Syntagmをa、ParadigmをTとおく  T(a)=b(aを変換するとbとなる)  a(T)(aでTを対象化する) #哲学表現基礎論

2015-07-02 13:17:09
塩谷賢ゼミ(非公認) @shiotani_bot

control(=変換, T)は機能なので、物のように表せない。次のように表す。      c←―T|a............b    変換の継続 対象の構成      b←―a|T............c テストの実行の継続  対象化 ※ | は適用。 #哲学表現基礎論

2015-07-02 13:20:07
塩谷賢ゼミ(非公認) @shiotani_bot

さて、適用とはどこで行われるか。外的関係(延長)と内的関係(代入)において。代入については、代入するものと代入されるものが、どちらも同じという仮定がある。“地”が同じであるという仮定がある。しかし、何が“地”なのかは“図”がないとわからない。 #哲学表現基礎論

2015-07-02 13:26:33
塩谷賢ゼミ(非公認) @shiotani_bot

“図”と“地”については、controlできる単位、controlできない外部が問題となる。うまいっているシミュレーションにおいて、この問題がどう“うまく”処理されているか〔※この言い方で良いか不明〕を準-安定化されたものとして提示するのがオートポイエーシス。 #哲学表現基礎論

2015-07-02 13:32:37
塩谷賢ゼミ(非公認) @shiotani_bot

オートポイエーシス、創発する変化していくシステムのなかで私たちがよく使うもの、言語システムを考えていく。 #哲学表現基礎論

2015-07-02 13:35:57
塩谷賢ゼミ(非公認) @shiotani_bot

言語表現と言ったときに、言語表現の“意味”とは何かを考える。言語論的転回(kotobank.jp/word/%E8%A8%80…)以降、意味というのは言語と密接なかかわりがあることがわかった。しかしそもそも意味とは何か?私たちはなぜ意味という言葉から始めてしまったのか? #哲学表現基礎論

2015-07-02 13:42:59
塩谷賢ゼミ(非公認) @shiotani_bot

フレーゲなら、意味(Bedeutung)とは文の場合、真偽値であり、意義(Sinn)とは文の与えられ方だとする。ここでは意味をこう定義づける。意味とは、コミュニケーションにおいて共有されるべきもの、賛成/反対の態度をとるものであると。 #哲学表現基礎論

2015-07-02 13:49:18
塩谷賢ゼミ(非公認) @shiotani_bot

コミュニケーションで共有されるものがあるということは、発信‐伝達‐受信のあいだで共有されるものがあるということである。 画面/画像の話をすれば、コミュニケーションで共有されるものがあるとは、画像(画面において不定であるところの)の接合ができるということである。 #哲学表現基礎論

2015-07-02 13:55:16
塩谷賢ゼミ(非公認) @shiotani_bot

画像の不安定性に枠を与えるのが画面であり、それは画像の「内在的保存形象」とも呼べるものだ。そして意味とは、画面=内在的保存形象の水準にあたるものである。なぜか私たちはそれを作りたがってしまう。なぜか後の利用で外部とやりとりするときにはそちらの方が都合が良いから。 #哲学表現基礎論

2015-07-02 14:01:59
塩谷賢ゼミ(非公認) @shiotani_bot

例えば、この講義を後で思い出すときに、思い出されるのは物理的な状況ではない。聴いたオペラを思い出すときに、思い出しているのはドイツ語の歌なのだけれど、内容は舞台袖の字幕で思い出してしまう。 #哲学表現基礎論

2015-07-02 14:05:07
塩谷賢ゼミ(非公認) @shiotani_bot

画像と画面は「=」ではない。しかし、あたかも「=」であるように考える(いつでもどこでも言語化できるように)から、意味が重要になってくる。いつでもどこでも言語化したいのは、適用の値。そのために行うのが、例えば定義づけであり、説明であり、(感情,失敗の)弁解である。 #哲学表現基礎論

2015-07-02 14:10:22
塩谷賢ゼミ(非公認) @shiotani_bot

いつでもどこでも言語化できるといっても、もちろんそれは部分的なものにすぎない。なぜそれが使えているのか。例えば、ポール・グライスは意味を文字通りの意味と、話者の意図にもとづく意味に分ける。会話の含み(impricature)で、人はその場その場で動かされる。 #哲学表現基礎論

2015-07-02 14:18:10
塩谷賢ゼミ(非公認) @shiotani_bot

含みについて説明するときにグライスが持ち出すのが、協調原理(に人は従うという仮定)と、会話の格率(質,量,様態,関係)。これは、画面から画像を決めるときの手続きとして考えることができる。 #哲学表現基礎論

2015-07-02 14:22:23
塩谷賢ゼミ(非公認) @shiotani_bot

言語システムの別の捉え方として、知の考古学とメディオロジーをあげられる。フーコーは「主体=介入」において、介入を、言語システムと他のシステムとの交差として考える。画像は無視してよい。画面がどのように組織化されているかに着目せよ。このルーツには構造主義がある。 #哲学表現基礎論

2015-07-02 14:26:52
塩谷賢ゼミ(非公認) @shiotani_bot

メディオロジー(テレビ,メディア)は、画像があることは仮定するけれど、それが同一であることは考えない。フーコーが画面の組織化から“知”の歴史的構造(変換にたいして不動なもの)を探ろうとした。メディオロジーは、画像が多様ななかでの画面の組織化の効果を考える。 #哲学表現基礎論

2015-07-02 14:36:22
塩谷賢ゼミ(非公認) @shiotani_bot

意味=内在的保存形象のとりかたをどのようにとるかによっては、真理条件意味論など、さまざまなバリエーションが出てくる。これは、もともと機能であるはずの意味を、もののように扱ってしまうことによる。次回はそれが政治とどのように蒸す語着くか。 #哲学表現基礎論

2015-07-02 14:42:42