状況論、抵抗論、遊戯論

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Ishihata Ai @IshihataAi

坂口「ルールを変えずに徹底的に編集して誤解して…それで社会を変えることができるのではないか。それを在野でやるべきではないか」 #7ch #synapse

2010-12-26 17:58:15
Ishihata Ai @IshihataAi

ここでも「流用」と「ブリコラージュ」に通じる話題が。というか、私がそういう関心で、そういうメガネを通して物事を見てるから、なんでもつながっているように見えるのかな。 #7ch #synapse

2010-12-26 18:10:54
Ishihata Ai @IshihataAi

研究者として現場に関わる意義について考える。エンパワメントとはなにもお墨付きを与えることだけじゃない。現場の人々の信念や行動の意味を解釈、整理して言葉でアウトプットすることで、もやもやに形を与えることや、そのきっかけを提供することもエンパワメントで、私はそういう関わり方をしたい。

2010-12-27 01:23:27
Ishihata Ai @IshihataAi

短いスパンでこちらの観察と考察を現場に返し続けること、それを素材に現場の人と振り返りをして次のアクションを一緒に考えること。そういうことができる関係性と場を作ること。RT @kai_hybrid 具体化、見える化する方法 RT 研究者として現場に関わる意義。エンパワメント

2010-12-27 01:49:26
Ishihata Ai @IshihataAi

Miller-kippの遊戯論について勉強したい。原典はドイツ語っぽくて、読めない。和訳本または適切な解説書を探している。

2010-12-27 03:31:13
Ishihata Ai @IshihataAi

新しい遊戯論の確立と、教育哲学史における文脈および実社会における文脈へのグラウンディングを目指す。問いは教育哲学的だが、方法は文献研究オンリーではなくフィールドワークによるデータを使う。という立ち位置か私は。ようやく分かってきた。遅すぎるけど。

2010-12-27 03:46:05
Ishihata Ai @IshihataAi

これは学術的な立ち位置の話ね。実践的な立ち位置は?

2010-12-27 03:46:45
Ishihata Ai @IshihataAi

完全な実践者ではないんだよね。実践のそばにありつつ一歩引いて、実践者をさっき書いたような意味でエンパワメントしたい。ようやく分かってきた。これまた遅すぎるけど。

2010-12-27 03:53:13
Ishihata Ai @IshihataAi

ミラーキップを理解するためには、カントとシラーを放っておくことはできないようだ。

2010-12-27 04:08:47
Ishihata Ai @IshihataAi

啓蒙主義的遊戯論、ロマン主義的遊戯論。へぇ…こういうふうに整理されるとわかりやすい。何百年も前のどこか遠い国の哲学者の書いたものを延々と読んでいる研究者の存在意義が分かったよ。

2010-12-27 04:38:20
Ishihata Ai @IshihataAi

遊戯vs学習とみて、遊戯における自由の発露の条件を学習環境に適用することによって、遊ばせることによって学ばせようというのが啓蒙主義的遊戯論か。Edutainmentみたいなことか。

2010-12-27 04:42:07
Ishihata Ai @IshihataAi

対して、学習(人間形成的な意味での)は遊戯に本質的に備わっているというのがロマン主義的遊戯論。幼稚園っぽいなと思ったらフレーベルもここに括られるらしい。

2010-12-27 04:43:50
Ishihata Ai @IshihataAi

シラーの「人間は彼が遊戯するところにおいてのみ完全に人間である」なんていうのはまさにロマン主義。道徳あるいは倫理(ここの区別は重要だが今は保留)の醸成みたいなことを射程に入れて言ってる。

2010-12-27 04:48:55
Ishihata Ai @IshihataAi

以降あまり整理されていない感あり。ここから自分でやってくか。表現(ストレートであれ、抑圧の代償としての屈折したものであれ)としての遊戯。社会への参与(表象やルールの共同構築)としての遊戯。

2010-12-27 04:57:05
Ishihata Ai @IshihataAi

個人の表現というレベルを超えて社会構造の発露としての遊戯。

2010-12-27 04:57:40
Ishihata Ai @IshihataAi

表現としての遊戯のカテゴリに臨床系の大物女史(とその一派)が位置づけられると思うがあまり触れたくない人たち。偏見かもしれないけれど病的なイメージを持っている。

2010-12-27 05:01:55
Ishihata Ai @IshihataAi

遊びがセラピーなのであるという発想は、ロマン主義的遊戯論を教育版からセラピー版に焼き直したものだと思う。だから、アンナ・フロイトやウィニコットの遊戯療法はロマン主義の系譜に括ってしまってよいと思う。というのは乱暴かな。まぁ今のところの仮説ですよ。

2010-12-27 05:09:52
Ishihata Ai @IshihataAi

でもアンナ・フロイトとウィニコットは表現系でもあるかな。私の苦手なメラニー・クラインは完全な表現系だと思う。

2010-12-27 05:11:46
Ishihata Ai @IshihataAi

遊戯論に戻ろう。社会参与系はシンボリック相互作用論。

2010-12-27 05:36:33
Ishihata Ai @IshihataAi

ガーヴェイも社会参与系。

2010-12-27 05:38:22
Ishihata Ai @IshihataAi

分析装置としてシンボリック相互作用論を使おうと思ってたけど、ということは、そこからどういう概念やモデルを立ち上げるにせよ、社会参与系の色がつくってことか。まぁ、それに関しては、私の哲学的スタンスとの齟齬は特にない。

2010-12-27 05:41:26
Ishihata Ai @IshihataAi

Hodge(1998)のdis-identificationは、多重成員性の調停において認知的主体を想定することが正統的周辺参加論の公約(関係性から離れた主体を想定しないこと)に違反するために考案された概念なのだが、それによって公約違反がどう解消されるのかがさっぱりわからない。

2010-12-29 23:29:41
Ishihata Ai @IshihataAi

Hodgesにおけるperipheralityはコミュニティにおける役割の位置取りが周辺的(例えば新参者)であることを意味し、matginalityはそもそもコミュニティにおける位置取り云々の交渉から疎外されていることを意味するらしい。

2010-12-29 23:40:07
Ishihata Ai @IshihataAi

交渉から疎外されているというのは、それが独立した共同体における成員性の話だからではないのかしら。「交渉から疎外されている」ということの意味することが理解できない。

2010-12-29 23:43:10
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