- L_O_Nihilum
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日本における市民の現代美術に対する関心や理解度は、欧州先進国と比べて25年以上遅れていると思う。その原因のひとつとして、現代美術の現場にこのようなナンセンスな公務員のシステムが存在していることで、その結果「現代美術が現代美術として扱われない」ことが多々あるという非常に残念な事実。
2015-07-26 07:35:11会田誠氏(会田家)の作品「檄」内にある「役人風情が無限の可能性を持った人の心に介入すんな」という言葉、まさしく今回の騒動にぴったり当てはまると思う。公的権力を持つ人間が、自分を公僕でなく「管理者」だと錯覚し、大義名分を掲げながら「無限の可能性を持った人の心に」土足で介入している。
2015-07-26 13:19:56話題になっている会田誠さんの「檄」の中には、「大学から哲学追い出すどころか中学から道徳追いだし哲学教えろ」の一文が入っているそうですね。まさに開智じゃん(笑)(開智は道徳を追い出してはいないけど、道徳の時間に間借りして一部を哲学に使わせてもらっているのだから。)
2015-07-26 15:47:18おそらくあの誰のもの展、各キュレーターが自身で抱えてる問題域より広い問題領域が全体のテーマになってる。展示作者がそれぞれの問題の正体の手前にいる。言い換えれば、それら展示作者の誰もが、見てくる人を、「目の前で」、無限の問いへと手招きしている。 #ここ場所
2015-07-30 20:43:58#ここ場所 この言い方は、あたかも各インスタレーション及びその作者がその問題に自覚的じゃないとか、問いが足りないってことじゃあ全然なくて、むしろそれら複雑化した問いが、どうしたらより多くの人にどれだけ生成してもらえるか、っていうふうに考えながら展示を作っていった感じがする。
2015-07-30 20:46:09問いが多いことは大切だが、その問いがより内発的でなければ、それが有意義な問いとは言えない。かといってその「例題」を大量に明文化して書き連ねたことで、観た人が問いを生成するかって言ったら、そんなわけがないわけです。読む地点で疲れて生成してくれなくなるわよね普通。#ここ場所
2015-07-30 20:48:39んだから、なるべく書くべき疑問文は最小限にしながら、それぞれの展示が持つ問いが、順路のとなり同士で相対したり、並列関連したりって形で、テーマを通底させつつ立体的に強度を破裂させる必要があって、それをこの展覧会は十分すぎるほどやってたと思うわけです。#ここ場所
2015-07-30 20:51:31そのおかげで、ちょっと毒づきながらも、作品個々が持つテーマから、表から裏から反証したり繰り返せたし、自分の中にいくつもの評価軸を作る事が出来ました。これは2回見に行っても全然いい展覧会です。哲学可能性に開けています。ぶっちゃけ作品の問いかける速さに追付きませんでした。 #ここ場所
2015-07-30 20:54:21なんだろう、「肉体的全年齢対象、精神年齢はR-18」って感じがしました(笑)。精神が17以下だと面喰います。問いのエロチシズムとカニバリズムを楽しめ!! #ここ場所
2015-07-30 20:55:58子供にしかわからない「ヘナチョコ」をゲージツカがやると「実験的」って言われる そこに「風立ちぬ」的な「呪われた夢」と「ピラミッド」をしっかり見いだせ!
2015-07-30 20:59:18それはともかく。 会田先生の奥さまのお話がマジで読みたい。 アートという業界を1ストーリーでイマージュさせる、新感覚教材。 めめめ他とあわせてマジ欲しい。てかめめめ観れなかった悔しい。
2015-07-30 21:01:24あと、館内解説文は声に出して読んでいいみたい。 寧ろ読んであげるとなんかスタッフ喜んでくれるからお勧め。#ここ場所
2015-07-30 21:04:18で、ちょこっとだけ分かった事は、こういった内発的追求を言葉にして現れるものがハイコンテクストでもある、って事。ここにはハイコンの2義性があると思うけれど、その話はまた後日。
2015-07-30 21:11:06楯の会(三島)事件 「檄」全文 - 『構造工学の薦め』 〜「秋迎え 向日葵色を 還しけり」 - Yahoo!ブログ blogs.yahoo.co.jp/srfch485/42382… 40年以上前、日本が大きな物語を追いかけていたころの《檄》。
2015-07-30 21:21:25さてま。「ここ場所」の論評じみたことというか、論評というよりは疑問点の洗い出しをしたかったが、ネタバレはしたくないというジレンマ。
2015-07-31 11:25:40論評、というのは全然できないけど、既にネットに流れている「檄文」について、疑問点の変化や整理くらいなら、まあある程度、か。
2015-07-31 11:28:17「擁護するわけではないが、藝術とはプラットフォームの戦いだ。そこには思想としてのリアルが描かれるし、テーマ化されている。だから《檄文》のような作品が展示されることは美術館としてありえるし、中立を理由に政治性を指摘して「撤去」はおかしい」(続く)
2015-07-31 11:31:46「しかるに、この檄文に書かれたことの一部は、ネットでの普通人(って言ったらいいのかな?)や、日常生活のなかでの普通の人が抱える心中のリアルをテーマに描いている。それがネットに流出して叩きネタになっていることは、作者自身までそれを見越したマッチ・ポンプではないか」
2015-07-31 11:32:57で、そのあと下見がてらに実地調査?というか、MO+(都現代美のことです。)に向かったわけですよ。いやあ地下鉄の使い方相変わらず下手ですなあ私。考えてみたら南千住から乗り換えですぐ行けた。それがわざわざ六本木に行ってから出戻るとかアホですかわたくしは。
2015-07-31 11:35:30まあそんなこんなで見に行ったわけですよ、展覧会のほうを。 確認って目的もありました。撤去される前に作品とその周囲を確かめておきたいから。 撤去されているかどうか、およびその作品の周囲になにが展示されてるか、などなど。
2015-07-31 11:36:33そのさなかで、会田一家の領域であるパビリオンに達したとき、しばらくして一部展示のなかに会田先生自身がやってきたので、軽く会釈をしてお話したのです。 いや、不思議な文章だけど言ってる事ホントです(汗 作品に鑑賞者が入る作品もあれば、作品に作者が入ってくる展示もあるんですw
2015-07-31 11:37:57