【邪悪の樹――三ツ牙】エピローグフェイズ

断片を拾い集めたのは、誰
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氷づけの女神像――『無神論』

【無神論】アシーズモス @toe_atheis

神様に愛された街だという。 この街で産まれた者は皆、幸運の女神に愛されているのだという。 少年はそれを無邪気に信じていた。疑わなかった。 母も父も誰も彼もが神様に愛され、守られているのだと信じ込んでいた。 産まれてから、ずっと。

2015-08-28 13:47:22
【無神論】アシーズモス @toe_atheis

それが違うと気付いたのは街が無くなった日だ。 何か恐ろしいものが街に攻め込んできて、一日にて街は無くなってしまった。 潰れた教会の、材木の隙間に小さくなって身を隠していた少年は辛うじて生き残った。 けれど、必死になって這い出した其処はもう街ではなかった。母も父もいない。

2015-08-28 13:47:43
【無神論】アシーズモス @toe_atheis

幸運の女神の像だけが綺麗に残っていた。 少年は悟った。幸運の女神は一人しか愛さない。そして、その女神に愛されたのは自分ただ一人だけだったのだ。 ——神様の手など、高が知れている。

2015-08-28 13:48:02
【無神論】アシーズモス @toe_atheis

拾われ、戦う力を得、斬り、断ち、砕いて生きてきた。アレは神様に愛されない物であると、自分とは違う生き物ではない動く何かであると、自分に言い聞かせて、臆病と卑怯を軽薄と浅短で覆って目を逸らし続けた。死にたくない。生きていければいい。その為に何が無くなっても良いとさえ思った。

2015-08-28 13:48:09
【無神論】アシーズモス @toe_atheis

それが変わったのは、『彼女』に会ったからだ。丁寧なくせに偉そうで、落ち着かなくて、可愛げの一つもない。面白そうだと思っただけの『彼女』に、『彼』は気まぐれに手を貸すことにした。「俺は幸運の女神に愛されているから博打するんだよ!」そう言って。

2015-08-28 13:48:18
【無神論】アシーズモス @toe_atheis

『彼』は『彼女』と共に生きた。『彼女』の指示を一応聞きながら、好き勝手に振る舞って生きた。『彼女』の隣は心地良かった。呼吸がしやすく、心が軽くなった。『彼女』と共に生きたいと思った。『彼女』の大切にするものを共に守り、『彼女』が『彼女』であることを守りたかった。

2015-08-28 13:49:28
【無神論】アシーズモス @toe_atheis

『彼女』が隣にいることを守りたかった。幸運の女神は愛してくれる。神様は微笑んでくれる。そう信じていたかった。 それを砕いたのは『彼』だ。襲い掛かってきた魔物の群れの中、それは人の擬態をしただけの生き物だと分かっていた。分かっていたのに、子供の姿をしたそれに、『彼』は手を止めた。

2015-08-28 13:49:58
【無神論】アシーズモス @toe_atheis

彼は臆病だった。卑怯だった。自分が傷付きたくなくて必死だった。 ……そして、過去の精算を幸運の女神に求め続けていた。《幸運の女神など何処にもいない》、《幸運の女神になど誰も愛されていない》という事実を、求めていた。

2015-08-28 13:50:27
【無神論】アシーズモス @toe_atheis

自分一人が生き残る理由など、何処にも無かったはずなのだと、『彼』はずっとその精算を求め続けていた。 ……だから死んだ。『彼女』を捨てて、『彼』は自分一人救われたかった。「やっぱり神様なんていない」そう言って、死んだ。 なんて臆病。なんて卑怯。なんて最低な男か!

2015-08-28 13:50:37
【無神論】アシーズモス @toe_atheis

大広間に鍵が現れてからもしばらく、『無神論』は館に留まった。それは『彼女』にやられた足を治す為であり、ぐらぐら揺れる精神をなんとか復帰させる為の期間だった。多分、『無感動』もそうだったのではなかろうか。直接聞いたわけではないから、分からないのだけれど。

2015-08-28 13:51:03
【無神論】アシーズモス @toe_atheis

足が治るのには二ヶ月ほどかかった。自身も治療に専念しながら、ついでに歩けない『無神論』のサポートをしてくれていた『無感動』はもういない。少し前に館を出て行くのを見送った。『無神論』の両足が久しぶりの床の感触に感動した時、彼は館に一人であった。

2015-08-28 13:51:12
【無神論】アシーズモス @toe_atheis

怪我ってこんなに治りが遅いもんだっけな、と久しぶりの感覚に苦笑いを浮かべ、両足をしっかりと地につけて立ち上がる。治ってもなお動きづらさは残っていたが、問題は無さそうだった。

2015-08-28 13:51:39
【無神論】アシーズモス @toe_atheis

右だけになってしまった腕は、当然のように二ヶ月経っても右だけだった。腕が一本しかないというのは、存外に不便である。あの戦いが終わった後も、館の特性が変わらなかったのは僥倖だったと、目の前に当然のようにして現れた出来たてのパンを食べながら他人事のように思った。

2015-08-28 13:51:48
【無神論】アシーズモス @toe_atheis

足が治った後、『無神論』が最初にやったのは大広間に落ちたままになった五枚の肖像画を並べて、誰が『物質主義』だろうかと首を傾げることだった。 金色の髪のおっかないのが『醜悪』。クリーム色のふわふわしたのが『不安定』。茶色の髪の可愛くないのが『貪欲』。

2015-08-28 13:52:05
【無神論】アシーズモス @toe_atheis

残る二枚のどちらか片方が『物質主義』で、どちらか片方が『残酷』だ。 さてどっちだろう。考えて、考えて……結局分からなかった。『無神論』はポケットに押し込んだまま出す機会の無かった『不安定』のリボンを取り出し、少し困ってからリボンで輪を作り、黒青の長髪の方の肖像画にそれを掛けた。

2015-08-28 13:52:19
【無神論】アシーズモス @toe_atheis

「……よし、返したからな」 直接は渡してやれなかったけれど、まあ良いだろう。 次に、最後まで共にいることの出来なかった三人の部屋を覗き込んだ。入るのは躊躇われたから、扉を開いて入り口に立ち、其処から眺めただけだったが、それでも『無神論』は満足した。

2015-08-28 13:52:30
【無神論】アシーズモス @toe_atheis

それから自分の部屋に戻り、剣を探した。生前使っていた剣だ。この館で初めて目が覚めた時にはあったそれを、何処にしまったかなと探し回って、ベッドの下から見つけ出した。なんでこんなところにと首を傾げ、何かを突かれているような気分になるから見たくなかったのだと、思い出した。

2015-08-28 13:52:40
【無神論】アシーズモス @toe_atheis

剣に積もった埃を払い、鞘から抜いて刃を確認し、腰に下げる。そうして『無神論』はようやく館の玄関扉に手をかけ、振り返る。 「——行ってきます」 『色欲』も『拒絶』も『愚鈍』も居ない。『無感動』は『無神論』よりも早く館を出てしまった。だから声は何処からも返ってこない。

2015-08-28 13:52:59
【無神論】アシーズモス @toe_atheis

そうと分かっていながら声を出したのは、ちょっとした確認だった。 ——『無神論』は誰の『同胞』か。 『無神論』は笑った。機嫌良く鼻歌交じりに玄関扉を開き、新しい世界へと足を踏み出した。

2015-08-28 13:53:13
【無神論】アシーズモス @toe_atheis

さて、これから何処へ行こう。何処へでも行けるし、多分、世界は『無神論』が思っているよりも広い。歩いていればいつかきっと、あの町に辿り着くこともあるのだろう。

2015-08-28 13:53:27
【無神論】アシーズモス @toe_atheis

——さて、これから何処へ行こう。『無神論』は、きっと何処へでも行ける。何処にでも行けるし、多分、 振り返る。館は見える。 ——何処にも行けない。 『無神論』は歩き出す。

2015-08-28 13:53:36
【無神論】アシーズモス @toe_atheis

さて、これから何処へ行こう。未来は幸福に満ち溢れている。『無神論』は幸運の女神に愛されている。 さて、これから何処へ行き、何をやろう。腰に下げた剣を撫で、『無神論』は笑った。

2015-08-28 13:53:45

雨降る町にて彼は――『色欲』

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