つまり、アタッチメントとは、安心感のケアを受けるための子どもの養育者への結びつき、だと言えます。だから、親が子どもに愛着を持つということはアタッチメントの文脈からはありえません。それは、親が子どもに安心を求めることになるからです(こういうのを役割逆転と言います)。
2015-09-12 23:07:56教科書的な定義よりもこちらの方が使い勝手が良いのは、子どもが行動上の問題を示した時に、そこで求められているのは子どもがどう意識していようとも、生物学的システムとして安心感なのだということを支援者が思いつきやすいからです。それは身体のケアと並行して、同時に、でも別物として必要です。
2015-09-12 23:09:54子どもがケガをして近寄ってきた時に、「大変だ」「いたかったね」「大丈夫」と声をかける時に、私たちは身体的なケアと安心感のケアを同時に提供しているわけです。「ケガしたの、見せてごらん、消毒するよ、はいもう平気」と淡々とこなすことは身体のケアはしていても安心感のケアはないわけです。
2015-09-12 23:14:33アタッチメントの観点をとるということは、そのように子どもの行動の中に、不安や恐れ、苦痛のサインを読み取ることです。そのことにどんな応答を返すか、ということが私たちの仕事であるわけです。極端なことを言えば、あとのことはまあ、放っておいても子どもは育っていきます。極端に言えばですが。
2015-09-12 23:16:12こういうケアを求める人のことをアタッチメント対象といいますが、主要な養育者といった時はだいたい同じ意味です。一般にそれは母親になりやすいのですが、母親でなくとも良いし、家族外でも良いわけです。虐待があって主要な養育者とのアタッチメントが安心なものでないこともありえます。
2015-09-12 23:17:44でもこの時に代理となる人、それは父親かもしれないし、おばあちゃんかもしれないし、幼稚園の先生かもしれないし、そういう人が1人いるだけで、虐待的な体験から生じるリスクというものをずいぶん和らげてくれると言われています。それを探すこと、施設であればそれを作ることも私たちの仕事ですね。
2015-09-12 23:19:19みたいなことを映像を使ったり、もうちょっと細かく話したわけですが、そこで1時間半、その後休憩中に質問をもらって回答しているうちに1時間経ってしまいまして、無秩序・無方向型の話も、関係を破壊する虐待の再演の話も出来ませんでした。いやはや。質問の中でちょっとは触れたりはしたけど。
2015-09-12 23:21:24いやあ、喋ってると意外に時間って立ってしまうもののようですよね。ちなみに、うちの施設での様子を事例として取り上げるんですが、これがなかなか共感を呼ぶようで、そうか、難しい子ども達を抱えているところでは非行少年達との間で起こるようなことが起きているのだなと毎回思わされるのです。
2015-09-12 23:23:17ちょうどいい塩梅にアタッチメントの連ツイートが。 不安や恐怖感を感じて、特定の養育者に近づいてきたときに、安心感をどう与えるか。
2015-09-13 10:27:27ただ、自閉症特性がある程度ある子だと、饒舌で冗長で情緒的な声かけは逆効果にもなりうる子もいるんじゃないかとは思う。 淡々とした対応や、儀式的な対応(10カウントや「いたいのいたいのとんでいけ」)、子どもが要求するエコラリアでのやり取りのパターンに乗っかっていくほうが安心になる子。
2015-09-13 10:29:14具体的には、たとえば「いつものケガの処置をはじめます。①患部をよく洗い流します。②ガーゼで水を拭きます。③バンドエイドを貼ります。ケガの処置はこれでおしまいです。はい、大丈夫。」というような声かけを繰り返しするほうが安心する子も、いるかもしれない。
2015-09-13 10:34:56あ、バンドエイドや包帯は、「手当て」をしてくれた安心場面を思い出すこと、キズ跡自体を隠して見えなくすること、(さらに好きなキャラクターものなら、それで気持ちを高めること)なんかの心理的効用も大事ですね。
2015-09-13 10:36:51そうだな、安心感のケアとか言うと、また愛着用語論争のような、情緒的に密着したことを良しとする話になっていってしまうかもな。アタッチメントシステムへの介入と言っても良いのだけど、その辺の感触はどうかな。わりとドライで行きましょうというのが愛着システムの観点なのだよな。
2015-09-13 12:25:27