- gamonoriko
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@utubyou009 ヨハネ18:1イエスはこれらのことを語り終えて、弟子たちと一緒にケデロンの谷の向こうへ行かれた。そこには園があって… これはゲッセマネのことです。大昔、現地を訪れたことがあります。
2015-09-13 23:27:35@gamonoriko それこそ殺気だっている(ナイフ持ってる)弟子もいますから、どうしたって「そいつは誰なんだ?」ということになって、最後はユダが殺される、などのイメージしか湧きません
2015-09-13 23:29:10@utubyou009 大変失礼なことを申し上げるかもしれませんが、「いくら何でも、これで分からないなんて、常識的にあり得ないだろう」「何ボケっとしてるんだ! イエスは死ぬんだぞ!」というのは、同じような経験をなさったのでしょうか… twitter.com/utubyou009/sta…
2015-09-13 23:33:37@gamonoriko 全然状況は違いますが、何度かあります(内容は言えませんが)。だから、あり得ないことではない。だからかえってハラハラするのです
2015-09-13 23:35:59@gamonoriko 少なくとも、この場面で時間がたってイエスの言葉の意味がわかれば11人も分かるだろう。そうなるとユダの命さえ危ない。だから、そんなことが起こらないようにイエスは何らかの手をうったのだろうとは思います。それで急いでユダを外に出した。
2015-09-13 23:38:47@utubyou009 だとしたらそこが@utubyou009さんのお苦しみの原因の一つなのでしょう。こういうことはよくあることですが…被害を受ける身になってみればお辛かったでしょうね。でも、気がつかないだけで自分も違うことで同じようなトンチンカンをやってしまったりもします。
2015-09-13 23:39:28@gamonoriko まあ、おっしゃるとおり、そこが苦しみの一つなので、この場面を見過ごすことなどできなかった。だから、質問したのです。・・・問題は、この場面だけでは解決できないということなんですが
2015-09-13 23:42:03@utubyou009 そうするとこの場面にも整合性が出てきますね。それを受け入れがたくお思いになるのは、@utubyou009さんのお心にある思いが投影されていると考えます…
2015-09-13 23:43:13@utubyou009 イエスは彼らを赦した。同じように感じたかもしれないけれど、その罪を背負って十字架にかかって死んだ。ということですね。
2015-09-13 23:45:12@gamonoriko 自分で考えたら取り敢えずの解決はつくので、そこはまあいい。ところが、困ったことに、時間がたっても11人の弟子が裏切り者を分からなかったらしい、というところは解決不可能です。オリーブ山に登ったときは、ユダはいませんよね?
2015-09-13 23:47:04@utubyou009 後から兵士とともに来ました。18:1イエスはこれらのことを語り終えて、弟子たちと一緒にケデロンの谷の向こうへ行かれた。~18:3さてユダは、一隊の兵卒と祭司長やパリサイ人たちの送った下役どもを引き連れ、たいまつやあかりや武器を持って、そこへやってきた。
2015-09-13 23:49:46@gamonoriko イエスは私と同じようには感じなかったでしょう。最初から何が起こるか分かっていたのだから。
2015-09-13 23:50:15@utubyou009 人は誰もが成長過程にある未熟な人間です。私自身も時に思い出すと死にたくなるぐらいの間違いを犯して来ました。人に対してもしてはいけないことを沢山してきました。 イエスはそれを赦した。代わりに担ってくださったので私たちは悔い改めたらもうそれに因われなくてもいい
2015-09-13 23:53:45@gamonoriko 多分、平静だったのではないか? ユダが出て行ったとき、これで預言は成就される、とイエスは喜んだかもしれない
2015-09-13 23:52:28@gamonoriko 喜ぶというのは誇張しすぎですが、ユダへの許しはとっくにしていたのでしょう。何度も言いますが、イエスは何が起こるか知っていた筈だと思いますので
2015-09-13 23:58:49@gamonoriko ええと。ここで初めて、他の11人の弟子はやっと裏切り者がユダであることが分かった。それまでは分からなかった。そういう理解でよろしいのでしょうか? ここも大事なので
2015-09-13 23:53:57@utubyou009 そうなのかどうなのか…弟子たちはひたすら混乱していたと思います。ヨハネ福音書は推理小説として書かれたものではなく、むしろ神学的に書かれたものですから。
2015-09-13 23:57:39@gamonoriko 推理小説というのはたとえです。実際は弟子たちが見聞きしたことを記録したものだと思います。神学的に書かれていたのかどうかは分かりません。しかし、文字通りではないにしても、何かこのようなことが実際に起こったのではないでしょうか
2015-09-14 00:01:14@utubyou009 4福音書の中で、ヨハネ伝は成立年代が一番新しく、また雑多な記録としてではなく、後になってイエスの言動から導き出した神学に基づいて記載されています。 また伝統的にイエスの弟子ヨハネが書いたとされていますが、大きな疑問は残ります。
2015-09-14 00:05:37@gamonoriko ヨハネ伝が作られたのはかなり時間がたってのことだから、文字通りの事実ではない可能性がありますが、一応「礼儀」として、まず文字通りのことが起こったとして読んだわけです。ヨハネの名前も出てこないけれど、とにかく裏切りの予告の場面でイエスの隣に弟子がいたわけで
2015-09-14 00:13:13@gamonoriko とはいえ、何かこのようなことが事実として起こったのではないか?という感じはあります
2015-09-14 00:13:46