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平和と安全保障 ~とある中国人国際政治学者の主張~

中国の著名な国際政治学者である閻学通(えん・がくつう)教授の安全保障戦略論の一部を紹介しました。 国家が追求すべきは平和より安全である、という主旨です。
政治 安全保障 国際関係論 戦争 閻学通 平和 国際政治学
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ハスノ @Morgenthau0217
【こくち】 国家にとって第一義的関心である「平和と安全保障」の問題。これに対する、中国・清華大学の閻学通(えん・がくつう)教授の議論を今夜9時くらいから紹介したいと思います。ヒマな人は御笑覧下さいませ。
ハスノ @Morgenthau0217
閻氏は極めてラディカルでリアリスティックな視点から切り込むので、人によっては嫌悪感、拒否感を覚えるかもしれません。ただ中国を代表する1人のリアリストの考え方として十分に聞く価値はありますので、閻氏の見解に同意できない方々も、批判の対象として聞いて頂ければと思います。
ハスノ @Morgenthau0217
さてさて。連ツイ始めましょうか。ヒマな人は見ててねー。
閻学通「国家は平和ではなく安全を追求すべきである」
ハスノ @Morgenthau0217
中国の閻学通氏は、「国家は平和ではなく安全を追求すべきである」と主張するわ。なぜなら、侵略的な国家に対し抵抗せず降伏することも、平和を維持する一つの手段だから。でもその結果、国家の尊厳を傷つけ体制を危うくし、守るべき価値を損ないかねない。平和のために安全を犠牲にしかねないのよ。
キリン @Kirinndede
@Morgenthau0217 ここでいう「国家の尊厳」とは何でしょうか?
ハスノ @Morgenthau0217
@Kirinndede おそらく閻は、権威(他国と対等な地位)や国家の中心的価値を意識しているものと思います。ここで言う国家の中心的価値とは、「共産党体制の維持」であったり「民主主義」であったり「天皇制」であったり、個々の国家に特有のものを指します。
閻学通教授の語る「平和と安全」
ハスノ @Morgenthau0217
今回の連ツイでは、閻学通(えん・がくつう)氏のこの主張について詳しく説明します。「平和より安全を追求すべき」とは一体。題して 【平和と安全 ~閻学通教授の主張~】 閻氏(以下敬称略)は偏りのある人物ではありますが、この議論は示唆に富むので、耳を傾ける価値はあると思います。→
ハスノ @Morgenthau0217
その前に閻学通についてちょっと紹介。閻は北京の清華大学教授。極めてラディカルなリアリストで、またラショナリストです。そしてかなりの対外強硬派。私は勝手に「中国版ミアシャイマー」と呼んでいるのですが、米国のネオコンとかけて「ネオコム(ネオコミュニスト)」と呼ぶ人々もいるそうな。→
ハスノ @Morgenthau0217
参考にした文献を一応紹介しておきます。閻学通、楊原『国際関係分析』北京大学出版社。もるたんはそこまで中国語が得意な方ではないのですが(大学時代に一生懸命勉強しました)、この人の中国語は大変読みやすいです。→ pic.twitter.com/OCjMQjG8he
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本題
ハスノ @Morgenthau0217
では本題。まず閻は、「平和である」と「安全である」とをまったく別の概念であると区別します。前者はある国家が戦争に巻き込まれていない状態のことを指し、後者はある国家の周辺に脅威や恐怖、不安定要素のない状態のことを指す、とします。→
ハスノ @Morgenthau0217
したがって、ある国家が「平和ではあるが安全ではない」という状態は十分に想定できるわけです。ここで閻は、平和を一国、または二国間の単位でしか考えていません。つまり国外で戦争が起きていても、中国が巻き込まれていなければその状態は「平和」と見るわけです。→
ハスノ @Morgenthau0217
この定義の仕方に拒否感を覚える方もいるでしょう。しかし、この考え方は皮肉なことにある程度は日本人と通じるものだと思います。「戦後日本はずっと平和だった」なんて発言がまかり通っていますから。これは、「戦後世界中で紛争が起きていたけど、日本はそのどれにも直接巻き込まれなかった」→
ハスノ @Morgenthau0217
ということでしかありません。 さて、平和とは「国家の置かれた状態に関する概念」であり、安全とは「安全性のレベルに関する概念」です。「国家の置かれた状態」は平和、平和でも戦争でもない状態、戦争状態の3つに区別できます。 pic.twitter.com/vXrV4eKOTd
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ハスノ @Morgenthau0217
さらに、「安全性のレベル」を比較的安全である、あまり安全でない、安全でない、の3つに区別します。→ pic.twitter.com/v8S4IVIdWf
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ハスノ @Morgenthau0217
平和でも戦争でもない状態というのは、休戦状態や停戦状態と理解しておけばよいでしょう。また、理念的には比較的安全の上に「絶対的安全」というレベルを設けて4つに区別できますが、アナーキーな国際関係ではどの国家も「絶対的安全」を享受することはできないので、このレベルは退けられます。→
ハスノ @Morgenthau0217
一見、この図1と図2を同じことを言っているように見えます。戦争状態ならば安全ではないし、平和であれば比較的安全なのではないかと。しかし、状態の概念とレベルの概念とはまったく違うものです。3つの異なる国家の状態において、どの3つの安全のレベルも起こり得るのです。→

【訂正】
誤)図1と図2を
正)図1と図2は

ハスノ @Morgenthau0217
ですので、3つの「国家の置かれた状態」と3つの「安全性のレベル」により、3×3の9マスのマトリクスに分類することができますね。→ pic.twitter.com/J4GEzJPiaK
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ハスノ @Morgenthau0217
例えばイラン。イランは88年以来一度も戦争に巻き込まれておらず、「平和」な状態にあります。しかし、21c以降、核開発問題のために米国からの軍事的脅威に晒されてきました。図2においては「安全でない」レベルにいた、つまり「イランは平和であるが安全でなかった」というわけです。→
ハスノ @Morgenthau0217
翻って米国を見ると、91年以降、湾岸戦争、ソマリア、アフガンやコソボなど各地で戦争をしてきましたが、米国本土は一度も他国からの軍事的脅威に晒されていません。つまり「米国は常に戦争状態にあったが、(米国本土は)ずっと比較的安全なレベルにあった」と言えるわけです。→
ハスノ @Morgenthau0217
以上の前提を踏まえ、閻は「国家は平和より安全を追求すべきである」と言います。国家が軍隊を持ち、国防を怠らない理由は、平和を維持するためではない。国家の安全に対する外国からの脅威に対処するためである、と。平和を維持する方法は至極簡単です。他国からの軍事的脅威に晒された際、→
ハスノ @Morgenthau0217
すかさず屈服し、迅速に降伏すればよいのです。一方が抵抗を中断するか、あるいは最初から抵抗の意志を示さなければ、平和は容易に達成できるわけです。これを考えると、1938年のミュンヘン会談におけるチェンバレンの宥和政策は、確かに平和を実現したものと言えるでしょう。→
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コメント

斉御司 @saionji1942 2015年9月15日
アメリカの「戦争をしながらも本土はなんら被害を受けてない」状態を戦争と平和の両立と考えていたけど、なるほど確かに、平和とは別の軸を考えるとすんなり理解できるな。
moheji @mohejinosuke 2015年9月16日
平和と安全は軸が違う、か。国内でこういうリアリズムの話はなかなか聞かないけど人がいないっていうわけでもないよね?
言葉使い @tennteke 2015年9月17日
閻学通という人が何者であるか以前に、閻学通という人の「中国の平和と安全」という言葉を日本語訳する人は、「中国共産党の平和と安全」とするのか、「中華人民共和国の人民の平和と安全」とするのか、そこをはっきり書いて欲しい。
Hoehoe @baisetusai 2015年9月17日
安全だが平和ではない、ってありえるのか、と疑いながら読んでたけど、なるほど本土から遠いところで参戦してる状態のことか
吊り人 @_cjaih 2015年9月17日
中国が現在、アジアの盟主としての立場(領域警備に当たるアメリカに取って代わるもの)を目指している以上、アジア世界の「平和」を中国の名の下に実現するというもののように思えました。確かにそれだと安全かどうかまでは担保されませんね。
カモメ93 @shunchiba99 2015年9月19日
おもしろかったです 勉強になりました
欠点’s @weakpoints 2015年9月23日
では「平和」の担い手は誰であるか?、「安全」の担い手は誰であるか?、という考え方もできるね。
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