@NaOHaq 同じ岐阜県内における市町村合併も、飛騨地方は「飛騨市」と「高山市」にすんなりとまとまった。 しかし、東濃地方は集合離散を繰り返し、飛び地合併までしたのに全くまとまらなかったという「輪中根性」・・・
2015-09-11 23:28:05@javawaky13 とはいえ、飛騨地方と美濃地方では人口規模が違いますからねぇ^^;;; 合併の結果香川県より広くなってしまった高山市が人口10万人に対して、岐阜市だけでも40万人いますから
2015-09-11 23:33:13例)埼玉県志木市の農家の水害避難用「木舟」。 twitter.com/yuruhuwa_rikus… pic.twitter.com/n0YMDZGpHg
2015-09-11 23:46:451976年に岐阜県を襲った大雨による通称「9.12水害」。長良川の右岸が決壊し安八町一帯が水没した。写真の上方に東海道新幹線の高架、下寄りに名神高速の盛土が、そして一番下に浸水の拡大を阻止した輪中堤防が写る pic.twitter.com/vzC2ZzjQc8
2015-09-11 23:53:18この時の状況は親や祖母から何度も聞かされた。自分の実家は無事だったけど祖母の実家は水没して、柱には今でも痕が残っている。輪中地帯の人間としてどこの洪水であっても人事には思えない。明日は我が身
2015-09-11 23:56:02奇しくも(というべきか)今日は1976年に岐阜が9.12豪雨に襲われた日。 / 岐阜県 : 9.12豪雨災害 (1976年 昭和51年) pref.gifu.lg.jp/bosai-bohan/bo… pic.twitter.com/QXQEXE5enE
2015-09-12 00:51:40地元の歴史として学んできた人間からすると、「軒下に舟」ってのは過酷な環境を生き抜くための壮絶な努力の一部だったわけだけど、外部から見ると「素敵な習慣」と映るものなのだね。(皮肉ではなく事実の観測として)
2015-09-12 17:11:58本当は上げ舟の話と一緒に木曽三川の治水についてのツイートもまとめようかと思ったんだけど、それはあの「趣きのある舟」とは別の話になっちゃうからな……。
2015-09-12 23:21:48@naohaq @javawaky13 木津川左岸にある友人の生家(元豪農)も3mほどの石垣の上に建っていて土蔵はさらに1.5m積上げた上です。巨椋池という巨大な遊水池を失っていますからダムが決壊しようものならえらいことに。 suido-ishizue.jp/nihon/12/04.ht…
2015-09-15 09:21:07@javawaky13 @naohaq 宇治川右岸では一昨年決壊による洪水、前年も水害がありました。調べると秀吉の宇治川流路変更は左岸にしか堤防を作っていない。総合調査でないものの大学資料にあたると3川の洪水は16C末以降が多い。comox.co.jp/~ushisan/pages…
2015-09-15 09:38:43@javawaky13 @naohaq 木曽三川分流のデレーケは桂川の分流と巨椋池を遊水とすることを提言するも瀬田の洗い堰で流水調節はできるとし採用せず木津川の流路変更となりました。川と切断された巨椋池の水質は悪化し結果干拓、流水調節は天ヶ瀬ダムを建設することになります。
2015-09-15 10:06:40@day_sento @javawaky13 私の実家も、(今は建て替えてしまいましたが)元は1.5mくらいの石垣の上に建っていました。というのも、建てた当時は長良川支流の古川( asahi-net.or.jp/~mb5n-ini/sagi… )の河川敷だったそうで。
2015-09-15 10:19:24@day_sento @javawaky13 その後古川は埋め立てられて、実家の周りには普通の住宅が建っているんですが、1976年の9.12水害では実家が床下浸水、周りの家が軒下浸水になったと父に聞きました^^;;;
2015-09-15 10:22:02@naohaq 昔、山科区で固定資産評価の税吏をしてたとき、1階は駐車と農機具倉庫だけなのに天井高が妙に高くて聞いたら洪水が多かったからとのこと。すぐに堤があって越水したらなるほどな高さ。周りの新興住宅は沈んでしまうけどもう建ててしもうとるからしゃーないわとそこのおじさん。
2015-09-15 11:34:39@naohaq 両親が一時西岐阜の官舎に住んでたり京都の友人の親元が柳ヶ瀬にあったりで何度も行っているんですが全くの無知でした。古々川もあったんですね。島のつく地名が多いのも伏見と似てるし、周りの村々は水害に相当悩まされたんだろうと想像できます。
2015-09-15 21:38:36