秦の実力と始皇帝は何故「統一」を目指したのか

純朴なる敬仲子さんの疑問から始まった会話です
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巫俊(ふしゅん) @fushunia

この話こそが、焚書の故事で有名な秦の始皇帝が、征服した六国の歴史書を焼いて、秦に対する不名誉な記述をこの世から消したという、その内容のひとつだと思われます。

2015-09-26 02:50:45
巫俊(ふしゅん) @fushunia

西周末の混乱期に、周の貴族たちは洛陽周辺の東方の所領に逃れることができましたが、戦争捕虜として連れて来られた人たちから生まれた「秦」という集団には、逃げる場所もなかったはずです。王朝の命令で西方の最前線に移送されていって、そこで戦って武功を挙げることで出世するしかありませんでした

2015-09-26 02:59:40
巫俊(ふしゅん) @fushunia

そうした彼らだからこそ、踏みとどまってその場所で勝ち残り、秦というちっぽけな国(集団)を、関中平野を支配する大きな国に成長させました。これが西周末~春秋前期の秦の歴史です。春秋中期から戦国中期にかけての秦は、東方の中原の強国と互角ないしは優勢になることを目指し、始皇帝に至る訳です

2015-09-26 03:08:31