【蝉川夏哉】『狸の時代』

化け狸の化け狸による化け狸のための語られざる近代史。 後作『狸の世紀』→http://togetter.com/li/885511
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蝉川夏哉 @osaka_seventeen

讃州へ狐の帰ってきたとき、宿敵の狸はもう殆んど居なくなってしまっていた。拍子抜けというよりは、何だか異様なことでさえある。

2015-10-06 20:11:14
蝉川夏哉 @osaka_seventeen

阿州予州讃州土州から狐がいなくなったのは狸の奸計に因る。詳述は省くが、本州と四国との間に鉄の橋が架かるまでは狐の立ち入りは霊的に出来ぬことになっていた。そんな馬鹿な話のあるはずがない。つまりは永久追放だった。

2015-10-06 20:15:03
蝉川夏哉 @osaka_seventeen

狐のいない四国の津々浦々では狸が大いに栄えた。他所では狐のするような悪戯も皆、狸がやったのだ。憎まれもしたが愛されもした。狸もそれに応え、日露戦争では兵士に付いて出征までして見せた。

2015-10-06 20:17:21
蝉川夏哉 @osaka_seventeen

それが今や、どうだ。いざ帰り来んとする狐の前に、狸はいない。どこにもいない。いても、言葉すら解さぬ禽獣のごとき知恵しか持たぬ若造だ。

2015-10-06 20:19:20
蝉川夏哉 @osaka_seventeen

「皆、食われたよ」丸亀の旧い家の屋根の梁の模様の如くになっている家守が言った。嘘だ。あの狡猾な狸がただただ食われるはずがない。食って掛かる狐に家守は眠たげな声で語り始めた。「そもそもの発端は予州宇和島伊達藩にあった」

2015-10-06 20:23:11
蝉川夏哉 @osaka_seventeen

「蒸気船を作らねばならぬ」誰が言い出したか知らぬが、日本中がそういう空気になりつつあった。鍋島の殿が既に拵えたという噂が出てくると、宇和島も負けては居られぬということになる。独眼の家祖からして、この家は負けん気が強い。

2015-10-06 20:28:09
蝉川夏哉 @osaka_seventeen

若い藩士たちが密かに長崎へ飛んだ。何としても蒸気の秘技を極めなければならない。野望と焦り、そして功名心が若者を突き動かした。そういう時代であった。

2015-10-06 20:29:49
蝉川夏哉 @osaka_seventeen

しかし、難しい。太平の世が二百と五十四年。新しいものを禁じられていたがために積もり積もった遅れは如何ともし難い。藩主をはじめ、藩首脳部の怒りにも似た期待は若者を苦しめた。

2015-10-06 20:31:55
蝉川夏哉 @osaka_seventeen

一計を案じたのは、下士の家の出の者であった。名は伝わっていない。彼の案は時間稼ぎであった。「本物の蒸気機関はもうすぐ出来るが、殿を待たせるのは限界だ。狸を蒸気船に化けさせよう」

2015-10-06 20:34:12
蝉川夏哉 @osaka_seventeen

「……妙案やも知れぬ」若者たちは追い詰められていた。早速、狸に使いを立てることになり、色々の土産が選ばれた。酒も菓子も手に入る限りの上品が用意された。

2015-10-06 20:37:06
蝉川夏哉 @osaka_seventeen

狸は驚いた。いつも邪険にするだけの侍が、貢ぎ物を持ってきたのだ。「罠に相違あるまいよ」歳を経た古老が笑う。「精々吹っ掛けて追い返そう」

2015-10-06 20:39:00
蝉川夏哉 @osaka_seventeen

藩士と狸の会談は古寺で行われた。夏の夜のことである。とろりとした夜気に、提灯と狐火ならぬ狸火が連なった。

2015-10-06 20:40:44
蝉川夏哉 @osaka_seventeen

「化けの依頼、委細承知した」狸の言葉に安堵が広がる。「しかし」「しかし、何か」「土産が足りぬ」「何が足りぬか」狸が下卑た笑いを浮かべる。「そこもとの娘を、嫁に貰い受けよう。さすれば蒸気船にでも鉄の鳥にでも化けてしんぜよう」

2015-10-06 20:44:09
蝉川夏哉 @osaka_seventeen

「話にならん!」若者たちは激昂したが、当の娘を請われた侍だけは泰然と瞑目していた。刀を抜こうとする同輩を静かに制し、呟くように、しかし強い語調で尋ねる。「約束を違えることはないな?」

2015-10-06 20:46:31
蝉川夏哉 @osaka_seventeen

事ここに到っても狸はまだ罠だと固く信じていたから余裕の笑みを擬して頷いたが、熊野の誓紙が広げられるに及んでついに事態を把握した。これはとんでもないことになったのではないか。

2015-10-06 20:48:53
蝉川夏哉 @osaka_seventeen

血判が捺され、契約はなった。慌てる狸の元に幼い娘が送られてきたのは僅かに半日後。この素早さに、狸たちは覚悟を決めざるを得なかった。

2015-10-06 20:50:40
蝉川夏哉 @osaka_seventeen

宇和島湾に蒸気船が浮いたのはそれから半月ほど後の事だ。試製ではあったが、確かに海を走った。藩主は若者たちを労ったが、一人数が足りない。纏め役をしていた藩士はその前の晩、介錯なしに腹を切っていた。家督は娘が婿を取って継ぐこととされたが、婿は遠国の出らしく、誰も知らない男だった。

2015-10-06 20:54:37
蝉川夏哉 @osaka_seventeen

「蒸気船の国産化、成る」この報は直ぐ様、日本中へ伝わった。我も続けと各藩はしのぎを削ったが、技術の壁は高い。肥州鍋島家は最新式の砲を作ったが、後はなかなか上手く行かなかった。宇和島の技師は俄に崇められ、弟子もできた。

2015-10-06 20:58:55
蝉川夏哉 @osaka_seventeen

漏れぬ秘密はない。狸のことは、各藩の耳聡い者たちの知るところとなった。彼らは、宇和島と同じことをしようと思い付いた。

2015-10-06 21:01:08
蝉川夏哉 @osaka_seventeen

幕臣勝海舟は攘夷の愚かさを説く為に自著の中で「日の本の海防には軍船が一二〇〇隻は必要である」と嘯いた。さすがの攘夷論者もこれは用意できるはずがない。志士たちよ賢くあれ、と思っていたある日のこと、報告を受けた。「国内には一二〇〇隻の蒸気船がございます」

2015-10-06 21:05:36
蝉川夏哉 @osaka_seventeen

四方の海は狸に埋め尽くされた。太平の世を三百回は目覚めさせられるだけの大艦隊だ。こうなると黙って居られない国がある。露西亜だ。

2015-10-06 21:06:52
蝉川夏哉 @osaka_seventeen

露西亜にとって、俄かに現われた大艦隊は恐るべき脅威であった。樺太どころかシベリアまで奪われてしまうのではないか。そうなれば不凍港など夢のまた夢である。かくて、日露戦争が勃発することになる。慌てたのは、松前藩だった。

2015-10-06 21:08:25
蝉川夏哉 @osaka_seventeen

蝦夷狸は、化けぬ。故に松前藩は蒸気船を持たなかった。至極当たり前の事である。東北諸藩から続々と応援が蒸気船に乗ってやって来るに従い、戦いは避けられないと知った。ならば決戦である。海軍力が高ければ、取るべき戦術はある。五稜郭だ。

2015-10-06 21:10:13
蝉川夏哉 @osaka_seventeen

函館に籠城することを決めた松前藩に、長岡藩の河合継乃介が助力した。ガトリングである。函館山はロシア兵の血に染まった。無論、ガトリングも狸であった。

2015-10-06 21:11:55
蝉川夏哉 @osaka_seventeen

狸に乗ってやって来た侍が狸を銃座に据えて戦う。ロシア側がたった一つの丘を落とせず、ついに函館攻略を諦めるに至った。この事は欧米諸国を大いに驚かせた。極東のあの国は、なんだ。しかし彼らの明晰な頭脳をもってしても、よもや狸が関わっていたとは見抜けなかった。

2015-10-06 21:14:20
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コメント

リリカル宮ミヤ@9/20~9/22函館 @miyanoki_miya 2015年10月7日
いいショートストーリーでした。面白かったです
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三十郎 @sanjuro2 2015年10月7日
上手いなぁ。四国の狸といえば日露戦争に出兵した話が好きだ。
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酔宵堂 @Swishwood 2015年10月7日
いやはや、スチー狢・PONクとでも申せましょうか。
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tenpurasoba @tenpurasoba4 2015年10月7日
togetterで読めるとても面白い小話!
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