竹中氏に関する考察

歴史考察というのは名ばかりの感想 (最終更新日:20161130)
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ゆぎ @yugi_w

ひい〜とりあえずwikiの秀次の頁から飛んだら前述のものとも違う新たな辞世の句が… dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid…

2016-11-27 00:03:38
ゆぎ @yugi_w

正直何があって重利の生年が30年も変わったのか知らんので、それを知れたらいいなぁ…

2016-11-26 23:33:43
ゆぎ @yugi_w

で、これを考えると兄の重利でも15歳でお長の生年となるので、色々と無理がありそうだなあと…何かしらが破綻しているのだろうけど、現時点では何も言えない…秀次周辺の関係資料を探りたい気もする…

2016-11-26 23:19:20
ゆぎ @yugi_w

ちなみに池内先生の本は単著の古い方のを見てるんだけど、情報が古いこともあって、いくつか疑問が。お長が1595年に18歳で処刑されたと書いてあるので生まれは1577年前後と仮定、なお同書では重利1533年生、重定1551年生となっている。ただ新しく定着している重利の生年が1562年

2016-11-26 23:14:43
ゆぎ @yugi_w

今日栗原あたりにいた竹中氏一族の話をされたとき、なんか美濃国諸家系譜に栗原出て来たきがするな〜と思っていたら、案の定、という感じ ただお長の生まれが栗原という話で、今親の重定(美濃国諸家系譜の重(弓矣))の所領を見たら「綾野」とあって、栗原ではないし綾戸でもないし、どこなんだろう

2016-11-26 23:03:30
ゆぎ @yugi_w

そこにあるお長の方の辞世の句と池内先生に掲載されているものとで違うということに気付いたんだけど、池内先生の方は何から来てるんだろう…竹中氏に直接関係するもの以外の資料がさっぱりだから分からん 探す先も膨大になりそう

2016-11-26 22:56:43
ゆぎ @yugi_w

竹中重定の娘で英次の側室のお長の方は、美濃国諸家系譜には出てくるけど、寛政重修諸家譜には出てこないんだよね 未だに美濃国諸家系譜の方は立ち位置というかどこからどう成り立ったのか知らなくて、どう扱っていいか分からないんだけども…で、今日美濃国諸家系譜ぱらぱら見てたら、

2016-11-26 22:44:27
ゆぎ @yugi_w

まとまりがないけど今日の話の中で気になったことを調べてるのでつらつらと…連理の榊で説明のあった竹中氏の説明は予想通りほぼ美濃国諸家系譜に拠るものだった

2016-11-26 22:28:57
ゆぎ @yugi_w

@tos 八幡神社絵馬の旅④ 竹中主膳重矩奉納「六馬図」|ブログ | 大洲領総鎮守 八幡神社 ozu8man.or.jp/blog/?p=480

2016-11-19 21:54:21
まとめ管理人 @1059kanri

#真田丸 で大阪の陣が始まりましたが、大河では描かれないであろう大阪の陣における衆道的一大事件といえばこちらですね。ちなみにこの前田隊が来週真田丸を攻めてエライ目に会います 前田利常、堀尾忠晴に一目惚れをする iiwarui.blog90.fc2.com/blog-entry-573…

2016-11-07 11:38:26
ゆぎ @yugi_w

刀祖「元重」作か 静岡県で発見、関市が購入へ - 岐阜新聞 Web gifu-np.co.jp/news/kennai/20… これその後何か進展あったのかな

2016-10-28 17:08:29
ゆぎ @yugi_w

平成11年に出た某所縁の品の調査結果は,その後見解が変わったりあるいは新しいことが判明したりしていないのだろうか…だとしたら一方の断言は何に依るものなのか…

2016-10-28 14:56:36
ゆぎ @yugi_w

ちょっと半兵衛関連で今まであんまし知らなかった事を知ったので,その出所と信頼性(?)を確認できる範囲でしてたんだけど,結果的に「あっ…(察し)」の領域に辿り着いてしまった…

2016-10-28 14:43:26
ゆぎ @yugi_w

実を言うと,重門16歳の元服の時に官兵衛が烏帽子親を務めたという話も聞いた(見た)ことはあるけど,出典は知らないんだよね 竹中氏側の資料類しか見ないから黒田氏側の資料類にあったりするかもしれん

2016-10-20 19:05:20
ゆぎ @yugi_w

いうて明泉寺文書も重門自筆と伝わるけど本当にそうなのかは知らんしなぁ…

2016-10-20 13:55:26
ゆぎ @yugi_w

ただ可能性として、重門が物心着く前に弟が生まれて病気などで亡くなり、母からその話を聞いたことがない場合は、重門が弟を認知していないということもあり得るとは思います。笹沢先生の小説がこれに近い発想です。作中では重門の兄にあたりますが…

2016-10-20 13:46:37
ゆぎ @yugi_w

重門に弟がいるとしても、年齢差は多くても6つくらいでしょうから、共に成長していれば互いを認知していると思います。母・得月院も重門より長く生きているようですので、兄弟を隔離して接触させなくする理由のない限りは、系図に名が出てもおかしくないと思います。

2016-10-20 13:42:26
ゆぎ @yugi_w

もしも弟がいたとしたら系図に名前なりがありそうですが、兄弟が書かれたものは見たことがないです。特に重門直筆と言われる明泉寺文書の竹中系図には半兵衛の子は重門しか書かれておらず、(成長した)弟がいるのにそれを認識していないというのは考えにくいかなと思います。

2016-10-20 13:33:03
ゆぎ @yugi_w

お相手さんが鍵の方なのと文脈を把握していないので見当違いのことを話してしまうかもしれませんが、ひとまず、これまでざっと書籍なりを見た中では、重門の弟が載ったものには出会ったことがありません。

2016-10-20 13:20:55
ゆぎ @yugi_w

あと、知る限りで唯一、半兵衛の妻の醜女説が載ってる本も買った pic.twitter.com/5rkifZw8zp

2016-10-19 20:13:51
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ゆぎ @yugi_w

この本の半兵衛の死去した日付が天文7年6月23日で享年51だ…

2016-10-17 14:41:19
ゆぎ @yugi_w

ちょっと面白いのは三木で「討死」って書いてあるところ

2016-10-12 22:57:58
ゆぎ @yugi_w

あ,本文はもっとちゃんと書いてあります…

2016-10-12 22:54:51
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