「その川には河童が住んでいるからだと考えれば説明できる」という論法
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とりあえず、「……と考えれば説明できる」ということと「……は事実である」は違うと言っておく。どんなに上手く説明できてても、実証がなければ無意味。「フェミニストがオタクを憎むのは恋愛市場のズルやダンピングだと思われてるから」 togetter.com/li/897474#c227…
2015-11-09 10:24:11@930_jp @hirorin0015 川で次々と人が溺れる事を「その川には河童が住んでいるからだと考えれば説明できる」と言っているのと変わらないですね。 pic.twitter.com/jpFODsk66v
2015-11-09 11:16:50@ROBOmito @hirorin0015 とてもよくできた仮説に「見える」のだけど、事実かどうかはきちんと確かめなきゃいけないだろうし、仮に一部事実でも、全体を説明はしないでしょうね。
2015-11-09 11:19:56@930_jp @hirorin0015 どうやら人は説明されないものが一番不安の様で、それが例え何の解決になっていなくとも何らかの説明された状態にされると取り敢えず落ち着くと。
2015-11-09 11:57:08@930_jp フェミニスト「全体」を説明する必要も無いでしょうし、単に「この矛盾はどこから出るのか?」について対象が生理的な差別ではなく有る程度の論理性があると仮定した考察でしか無いと思うのですよ。 勿論「仮説への批判」はされるべきですが、ではどのような説明をするべきか
2015-11-09 12:03:23@boguscorey そうですね、必ずしも全体を説明する必要はないかもしれません。一部にそういう解釈が成り立つ余地というのは、ありうるかもと。しかし、説明が一種の内心(価値観)を前提している部分で、その評定はどうなの?と思ったんです。それは象徴や物神に関わる解釈学とどう違うのか
2015-11-09 12:15:13@930_jp そもそも、纏めでも出ているように「上野先生」などは『オタク男子は勝手に死ね(興味ない)』的な論調ですし、全体を論じてもしょうがないかと。 ただ「実在に被害を与えにくい代替」に対して実在の権利を主張するはずの立場の人が不快感を示す事例が見られる現象への解釈は(続
2015-11-09 12:19:10@boguscorey 実際、初見時はなるほどなと思ったものです。そういう説明もあるか、と。しかし、この仮説をもって心情的な矛盾が説明されたというのは、精神分析学で内心の力動が説明できるというのと同じにおいを感じ取ったわけです。
2015-11-09 12:19:39@930_jp その代替を愛好する人間にとっては防衛戦略上も必要なのではないかと。 仮説に過ぎず実証が無いのは確かですが、仮説であるとして棄却するのではなく実証・反証の手段を考えていくべきではないかと。
2015-11-09 12:20:31@930_jp 実際には矛盾しているのは「心情」ではなく『論理』なのですよね。 そこで考えうる一つの解は「対象が愚かだから」なのですが、それを避けた結果ではないでしょうか。
2015-11-09 12:21:50@930_jp @boguscorey 僕も安心感を得て終わってしまう人を良しとはしないです。江戸時代じゃないのですからその説明を検証する材料(情報)は沢山あるはず。川の例えでいうならば河童は注意喚起にはなっても根本の危険が解決した訳ではありませんから。
2015-11-09 12:24:51@930_jp @boguscorey みもふたもない
2015-11-09 12:28:19@boguscorey んで、コメント欄でも、「直接的な嫌悪感を所与のものとして解釈に踏み込まない人」と、「論理性を優先して解釈に踏み込む人」との構図にもなっているわけですね。ただ僕は、この解釈の論理性というか、妥当性や検証性って高くないなと。だからダメとは言いませんが。
2015-11-09 12:29:59@930_jp @boguscorey 途中送信しちゃった。身も蓋もないですがそのとおりですね。
2015-11-09 12:30:23@ROBOmito @930_jp 「注意喚起すらしない」のも問題ですけどね。 河童だと思っても何でも弱いものが淵を避けるようになり「まずは水難事故が減る事」があれば一つの成果でしょう。(勿論、そのままで良いとは思わない)
2015-11-09 19:12:08@930_jp それでも「あいつら馬鹿だから」よりも前進だと思いませんか? (私は馬鹿ではなくもっと別のことも疑ってしまいます)
2015-11-09 19:20:27@boguscorey @930_jp だからこそ昔の人はとりあえずの脅威のかたちに河童と名付けて危機回避したのでしょう。
2015-11-09 19:27:21@ROBOmito @930_jp そう、現代の知見があるのに「河童が出た」と騒ぐのは滑稽なのですが、それをもって江戸時代の人を笑ってはいけないのですよ。
2015-11-09 19:35:32@boguscorey @930_jp 勿論です。 僕が最初に想定した「河童と説明して理解したつもりになった人」は現代人です。決して情報が限られた江戸時代の人々ではありませんから。
2015-11-09 20:06:25@ROBOmito @930_jp この場合「あの状況はどの段階にあたるのか?」ですね。 仮に「河童と説明して理解したつもりになった人」とするならば(その時代で使いうる)別の説明を用意できなければ不誠実ですし、説明ができないならば無責任です。
2015-11-09 20:24:22@boguscorey @930_jp 自分が納得できる説明が必ずしも真実ではないという話ですから連続して溺れる人が出た川を未確認の妖怪の仕業にする前に川の流れが以前と変わっていないか、元々そういう伝説があるのか等々考慮熟考すべき事はあるでしょう。
2015-11-09 23:04:27@ROBOmito @930_jp 考慮すべき点を具体化できないで例えを用いても仕方がないかと。 私はあの案件については「主語が大きすぎ」とした上で「一部のそのような行動を取る方」については纏めの説明のほかに「愚かである」「認知障害である」のいずれかと思っております。
2015-11-09 23:11:13@boguscorey @930_jp コーリーさんの意見に異議がある訳ではないですよ。
2015-11-09 23:21:05@ROBOmito @930_jp 「河童のたとえ」を出した以上は、あれらを河童として一蹴するだけの高度な「現代人としての」見解を持っていたと思うのですよ、それを是非伺いたいのです。 私はあの辺の領域は「まだ江戸時代の面がある」と思っています。
2015-11-09 23:23:11