皇帝フリードリヒ3は無能だったか? +ハプスブルク家雑記まとめ

出典は「ハプスブルク家の皇帝たち」など 雑記なので繰り返して書いてるところ、関係ない話(皇帝選出についてや金貨など)がああります、読みにくくてすみません。
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各国の王侯情報紹介 (from はくえー:西方元老院)@12月11日に歴クラBAR(詳しくは固定) @tomoshibi6o6o

マシャール兵は勇敢に突撃するが、それは罠であり敵の陣営まで誘導され砲門により殲滅、残存兵は半月刀で討ち取られ、午後3時に始まった戦いはわずか1時間半で決着。

2015-12-13 02:27:05
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ラヨシュ2世王はいつの間にか戦場から消えており、側近2名と共に逃走していた。 とある河を渡ろうとしたとき王の馬が沼に足を取られ横転、ラヨシュ2世は落馬しそのまま馬の下敷きとなり、鎧で身動きがとれず、助けようとした側近ひとりと共に沼の中へと消えていった…

2015-12-13 02:29:43

フリードリヒ3世は無能だったか?【追記・新情報】

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「神聖ローマ皇帝フリードリヒ3世から学ぶ経済のノウハウ」みたいなサイトで、「フリードリヒ3世は優れた資本家(ポルトガルの王女)から金を得て、節約しながらそれを使っていった」って書いてあったんだけど あの、その、まず優れた資本家(ポルトガルの王女)に出会う方法...

2017-07-15 01:12:52
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フリードリヒ3世の書評、 《フリードリヒ3世の人生から、あなたも「強運」をつかむヒントを学んでみませんか?少なくとも、今のあなたより能力も人間性も劣ること間違いなし!読めば「あ~、オレはこの人よりは数段マシだな~」と自信が付くこと間違いなしです!》 と書いてあってひどい()

2017-07-15 01:16:34
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フリードリヒ3世の帝国運営に関しては、これまで多くの方が触れていると思うけれど、フリードリヒ3世の内面、人間的側面に迫った実像という点では、まだまだ未開拓だと思う。

2017-07-15 01:19:02
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「帝国運営に無関心であった皇帝フリードリヒ3世が亡くなり、マクシミリアン1世が新たに帝位に就き、帝国改造の機運が高まった。」 という文に笑った。

2017-07-29 12:57:29
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無血でローマに入城して戴冠し、「ドイツ帝国」を容認した皇帝フリードリヒ3世がボロクソに言われているのは、後世による歴史修正による弊害ではないか、という。

2017-08-09 15:37:28
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ブルクハルト《歴史的断篇》より 「フリードリヒ3世に対する憎悪は、今日の国民自由主義の表れにすぎない。四百年の後になって人々は、当時孤立無援だった一人の男の周りによってたかって、はるかに遠いあの時代のオーストリア家の苦痛と恥辱のすべてを思い浮かべて、くすくすと忍び笑いをしている」

2017-08-09 15:41:05
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「ハプスブルク家の皇帝たち」でもそうだったが、やはりフリードリヒ3世=無能説というのは考え直す必要がある。 かといって非凡な人物でもないが…政治的才覚が無かったのなら、アドルフ(ナッサウの)やヴェンツェル王のように廃位させられているだろう。

2017-08-09 15:44:59
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フリードリヒ3世の治世は断念と、それからくる怠慢を生み出した。 「オーストリアの軍旗は勝利に恵まれていない。余の祖先たちはこの軍旗のもとで3つの敗北(モルガルテン、ミュールドルフ、ゼムバッハ)を喫した」と手記に記したという。

2017-08-09 15:47:35

「ハプスブルク帝国」書評

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13世紀、金印勅書の前の時代、ドイツ王は「満場一致」による合意が必要だった。 ドイツ王も狙うボヘミア王オタカル2世がハプスブルク伯ルドルフに票を投じる訳がないから、他の選帝侯は「オタカル2世はチェコ系である(ドイツ人ではない)」と主張して、選帝権資格の無効を決定した。 無茶な話。

2017-08-18 17:56:36
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ボヘミア王オタカル2世の代わりに、ニーダーバイエルン公ハインリヒを選帝侯として七票を揃え、ドイツ王ルドルフ1世の選出なったと。 (つまりオタカル2世はハブられた)

2017-08-18 17:58:02
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なるほど! ルドルフが選出されたのは「貧乏伯」で凡庸、また高齢で治世は短く終わると思われたのではなく、ハプスブルク伯として30年の治世を振るった手腕があること、ドイツ西南部の有力諸侯であり、この2点からフランス王やボヘミア王に対抗しうる、またシュタウフェン派の支援も期待されると。

2017-08-18 18:02:02
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ボヘミア王オタカル2世はマルヒフェルトで「戦死」したのではなく、敗走したところを捕らえられて、怨嗟を抱いていたオーストリア貴族に「殺害」されたのか。

2017-08-18 18:04:48
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近年の資料再読により、皇帝フリードリヒ3世は「本心を悟らせないために静的な態度を装い、無為無策と見える裏で政務に精励し、粘り強く事に対処した現実主義者」という像が浮かび上がり、再評価が迫られている、とのこと。 なんだタヌキか…

2017-08-18 18:20:54
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また皇帝フリードリヒ3世は「帝国の司法機能の改善」の立役者だったという。

2017-08-18 18:23:18
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また、息子マクシミリアン1世の事績と考えられてきた事柄も、幾つかは実際には皇帝フリードリヒ3世のものだという。 ハンガリー王マーチャーシュとの講和のため、マクシミリアンはオーストリア東部の割譲を提案したが、フリードリヒはこれを阻止した。

2017-08-18 18:25:54
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チロル継承も皇帝フリードリヒ3世が関わっており、直情気味だった息子マクシミリアン1世に“苦労”していたという話があり、これまでの「凡庸な父フリードリヒ3世に代わって帝国を奔走したマクシミリアン」という価値観がひっくり返って面白い。

2017-08-18 18:28:03
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誰かかフリードリヒ3世を「自分の才能を分かった上で、自分に出来る限りで行動した」と言ってたけど、まさにそれだ。

2017-08-18 18:30:31
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「ハプスブルク家は神の地上における代理人である」 というのは皇帝マクシミリアン1世の皇帝理念(これ以降の皇帝にも引き継がれる)だけど、それより先に父帝フリードリヒ3世が 「ハプスブルク家は神からキリスト教世界の護持という使命を託された特別な一族」 という意識を抱いていたのか。

2017-08-18 18:34:23
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皇帝フリードリヒ3世は無能ではなく傑物だった…しかし非凡ではなかった。 自らの能力の限界を知った上で、出来うる限りで行動した。 自分の能力を知っている人間などそうそういないし、その上で行動できる人も限られる。 帝国運営に「無関心」だったのではない、そう装っていたのだ。

2017-08-19 09:49:55
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皇帝フリードリヒ3世こそ、フリードリヒ美王で絶えた(アルブレヒト5世で一時手に入れた)王冠を繋ぎ留めた「ハプスブルク中興の祖」であったと思う。

2017-08-19 09:51:56
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