確かに、wikiには引用文献が最後に書いてある場合はあるんだけど、これも言ってしまえば「~~を引用したよ~」という点自体に保証が無いんじゃないの??って。 考え過ぎかもだけど、土台を築くのに欠陥工事してしまっては意味が無いしねって。(図書館いけとか言わないの♥)
2015-11-22 00:09:42@sg1bones 最初の点で、「コピペが可能であるのは問題」(は=が?)は、大丈夫だと思います。私の意見ですが、最初は真似から始まるのだと言われています。認めないのもあるでしょう。私はコピペしてもいいけど、自分で噛み砕いてわかるようになってから使ってほしい。(続
2015-11-22 00:04:48@sg1bones 続きです。 次の点で「wiki誰が書いてるかわからない。根拠に使用するな。」これは、ごもっともです。見たりするのは、いいとは思いますが文として抜き出す。または編集・引用は適さないと思われます。
2015-11-22 00:08:49やっぱりwikiさんは信ぴょう性が低くて引用出来ない文なんだから当然べんきょの土台としての知識を仕入れるデータベース的使用にも耐えられないとするべきなのか・・・
2015-11-22 00:20:25wikipediaの著述についてその信ぴょう性が疑われる主な理由。 1,匿名制により誤った情報を発信した場合の著者の社会的地位の瓦解というペナルティが課されない。 2,引用文献の記載という行為自体が、内容の担保足り得ない。(引用したという事実を読者側が追えない)
2015-11-22 00:40:32そのうち、2に対しては「自身で引用文献を入手して引用箇所を探す」という解決策が採られうるが、その場合、不明単語のすべてにそれを行っていたのでは、明らかに非効率的であり現実的でない可能性が過分に含まれる。
2015-11-22 00:42:16なぜなら引用文自体が、引用している著者の主張のために用いられているという点でその著作の中に”含まれると述べても過言ではない”文として扱われると考えられる。
2015-11-22 00:46:49@sg1bones 1.「匿名性による無責任」性があることは真だと思うんだけど、記名されているから責任があるというのも微妙で、仮に目の前の本が記名のもので、誤っていた時にその人が社会的地位の瓦解に至るまでには時間がかかるってことを考えると、
2015-11-22 01:08:53@sg1bones (cont.) 今目の前にしている情報について信憑性があるかどうかという部分については微妙にも感じる。(匿名性による無責任を否定しているのではなくて、それは束縛条件であって、情報の信頼性の差はそこまでないのではないかという話)
2015-11-22 01:09:23@sg1bones (cont.)2.参考文献の記載が「匿名性による無責任」をリカバーするかという部分は微妙。引用されていればある程度のリカバーは出来ていると思うけど、参考文献に従しているかは担保できない。
2015-11-22 01:09:50@sg1bones (cont.) この点については、査読の入る書籍や論文に勝つことは出来ない。ただし、主張を補強するにあたって「その著作の中に”含まれると述べても過言ではない”文」は書籍にも含まれるので、この事実だけ見れば微妙という意味での微妙。
2015-11-22 01:10:12@sg1bones コレは別の話なんだけど、wikipediaのある記事で、仮に第1版から十分に長い時間経った第n版(編集者は随時変化しているとする)に最初の記述と同様のものがなされていたとしたら、これは情報として信憑できる?(皮膚感覚なので、根拠がなくてもいい)
2015-11-22 01:18:33結局、すべての単語を一対一対応で訳するというのは、形骸化したエビデンシャリズムなんですよ。ちゃんとすべての元のものにエビデントに対応してます、だからよいのです、というのは、「見えない」判断によって圧縮したり略したり噛み砕いたりすることの「不潔さ」から逃れる簡単な方法ですから。
2015-11-22 01:21:57@sg1bones あ、いや、そういう意味ではなくて、もし長い間その情報が保持されていれば信憑する理由になるのであれば、編集履歴が初版から丸々残ってるので確認できますよ、という意味。ただ"長い"がどれくらいか等々直感的なものなので、あくまで皮膚感覚という意味で。
2015-11-22 01:31:09