「背中の傷は臆病者の証、ってヘンでしょっ」…みなもと太郎「風雲児たち」での問いと、その反響
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佐久間象山もこの手で死後に藩からおとしめられたような……。 RT @gryphonjapan: みなもと太郎「風雲児たち」最新回で「背中傷は臆病、というけど乱戦でそうなる事もある筈!ヘンでしょ?」 pic.twitter.com/YfCD23GYKc
2015-11-28 01:22:50@k_hisane @SagamiNoriaki @gryphonjapan @baritsu @h_rokuyou こんばんは。そもそも文化慣習の話なんで、武技的観点からおかしいとかどうのとか考察すること自体あまり意味がないような…。 もちろん共通する因子はあるでしょうが。
2015-11-28 01:21:35@k_hisane @SagamiNoriaki @gryphonjapan @baritsu @h_rokuyou 強いて一言あげるなら、一対一での刀同士の尋常勝負なら、「動き回っている間に背中に傷ができる」ことなんてまずないんじゃないでしょうか。あるとすれば決着後ですかね。
2015-11-28 01:22:58@ttswordfish 実際、例を探すにしても戦の記録の方になるよなーとは思うので、あんまり武術関係なさげといえばその通りですが、一応、ご指名でしたのでので。 @SagamiNoriaki @gryphonjapan @baritsu @h_rokuyou
2015-11-28 01:26:32そう、あたしが思いつきで指名したがゆえ(笑)。 @k_hisane @ttswordfish @SagamiNoriaki @baritsu @h_rokuyou
2015-11-28 01:31:23@ttswordfish …やっぱその辺を踏まえても、後付の産物なんじゃないかなあって気がしてきます喃>「背中の傷は臆病傷」 まあ、調べてみないとなんともですが。@SagamiNoriaki @gryphonjapan @baritsu @h_rokuyou
2015-11-28 01:31:29@gryphonjapan まあ、「言われてみると、なんか変じゃね?」というポイントがまた出てきたって意味では、面白いので個人的には無問題ですよー。 @ttswordfish @SagamiNoriaki @baritsu @h_rokuyou
2015-11-28 01:34:10近松「曽我扇八景」初演・宝永3年 1706に 「…後疵、逃疵なりとぞ知られける」とあるようなので忠臣蔵当時に知られていたと取って良いようですね @gryphonjapan @k_hisane @SagamiNoriaki @h_rokuyou
2015-11-28 01:34:39後傷、逃傷の問題は武士の理念が絡んでくるんで、というかそっちが主問題になりそうなので難しいな。とりあえず18世紀初頭にはすでに臆病な事とされてたらしいので、これ以前の軍記物で出て来るかだなぁ
2015-11-28 01:43:041st ゾロ/背中の傷は剣士の恥だ youtube.com/watch?v=V5R1o2…
2015-11-28 01:44:23#11月11日は世界一の大剣豪になる男が生まれた日 #背中の傷は剣士の恥だ #ゾロ生誕祭2015 #11月11日は三刀流天然記念物迷子毬藻の誕生日 pic.twitter.com/iSbLFO8F3t
2015-11-11 12:14:33@gryphonjapan @baritsu @SagamiNoriaki @h_rokuyou @k_hisane 武道系でもなんでもないですが、これシェイクスピア「マクベス」の最終場面でシワードが同じことを言ってましたね。
2015-11-28 01:42:05えっ、そうなの?? QT @yuri_no_meikyu シェイクスピア「マクベス」の最終場面でシワードが同じことを言ってましたね。 @baritsu @SagamiNoriaki @h_rokuyou @k_hisane
2015-11-28 01:42:58@gryphonjapan 「マクベス」第五幕第八場です。 SIWARD:Had he his hurts before? ROSS:Ay, on the front. SIWARD:Why then, God's soldier be he!
2015-11-28 01:46:40自分も検索 【…息子の死が伝えられる。さすがに一瞬たじろぐのだが「あやつの傷は向う傷であったか?」との問いに「はい、真正面からのものでした」との答えを受け「ならば、あやつは神の兵士となってくれよう」といい、シーワードは息子の最期を敢然と祝福…】 @yuri_no_meikyu
2015-11-28 01:51:42あっ、思い出した!! たしか自分が読んだ少年読み物の三方が原の戦いの描写の中で、完勝した武田信玄が「三河武士ども、死体はみんなこっちを向いておる。逃げた奴がいない勇敢だのう」と褒め称えるシーンが。 まあ神君の話だし、当時というより江戸時代に脚色されてても自然でしょうけどな。
2015-11-28 01:54:52@gryphonjapan まだざっくり探った段階ですが、どうも出典のはっきりした逸話ではなさそうですね>背中を見せなかった三河兵の話 講談初出の可能性もありそうとの由。
2015-11-28 02:11:31そういえば、重装歩兵のファランクス戦法は横一列に並び「自分の盾は、隣の兵を守る」仕組みだから、1人が逃げることはそのまま全軍崩壊につながる。だから臆病者は絶対に許されないし、そういう「鉄の規律」がないとそそもそもこの戦法は取れない、と。@baritsu @dudugoog
2015-11-28 08:10:01http://www.issj.net/mm/mm09/05/mm0905-pg-pg.pdf
…この映画(※「300」)の当時のギリシアの精神的背景が、プラトンの訳者、岩田靖夫さんの『ヨーロッパ思
想入門』に、わかりやすく紹介されています。
勢揃いしたペルシア軍の陣容に満足したクセスクセス1世は、スパルタからの亡命者であるデマラトスに対し、このペルシア軍を前にしたらスパルタを含むギリシア軍は戦う前に降参するのではないか、と問います。
≪デマラトスは祖国での処遇に不満をいだいてペルシアに亡命した、いわば裏切り者である。
そのような者は、クセルクセスの諮問に対して、とうぜんギリシア人の弱点を語り、ペルシア人を賛美するはずだ。
ところが、クセルクセスの期待は外れた。
ク:はたして、ギリシア人どもが余に刃向かい、抵抗するかどうか申してみよ。
デ:ギリシアでは昔から、貧困は生まれながらの伴侶のようなもの。 しかし、私たちは知恵ときびしい法の力によって勇気を身につけました。
どれほどの大軍が攻め寄せても、彼らは1000人でも戦うでしょう。
ク:ギリシア兵の一人が二十人のペルシア兵に匹敵するというのか。
しかし、彼らは自由を好むという話だ。わが軍のように、一人の統率下にあれば、 指揮官を恐れる心から実力以上の力も出し、鞭に脅かされて寡勢をも省みず 大軍に向かい突撃もしよう。だが、自由ならそのいずれもしないだろう。
デ:スパルタ兵は一人一人の戦いにおいても何人にもひけはとりませんが、 団結すれば世界最強の軍隊です。なぜなら、彼らは自由ですが、法という主君を戴いている。
彼らが法を恐れることは、ペルシア人が大王を恐れる比ではありません。
この法の命ずるところはただ一つ。
いかなる大軍を迎えてもけっして敵に後ろをみせず、あくまで自分の持ち場に踏みとどまり、敵を倒すか、あるいは自分が滅びよ、ということです。
このことは、人間的生の基礎としての自由の自覚と、その自由が人間の権威ではなく、法の秩序にしたがうことによって可能になったのだ≫
と、解説されています。
「然らば汝何万の軍に逃疵をば蒙りけるぞ、後疵にはあるべからず」逃疵と後疵が違う感じで書かれてる…。「改正三河後風土記」だけど江戸期の物ではあるから言葉の用例としては有効としていいよなぁ
2015-11-28 04:18:51