スマナサーラ長老との問答(善行為と智慧/殺生戒と輪廻の矛盾・等)

2011年1月18日ゴータミー精舎で開催された初期仏教教室(質疑応答の会)でのスマナサーラ長老と参加者との問答を控えめに実況しました。
3
佐藤哲朗(nāgita) @naagita

#jtba スマナサーラ「殺生はよくないのだから、私は殺生をやめる。それで終わりにする。スーパーで切り身を買ったからといって殺生にはならない。でも私に動いているカニを買いなさい、と言われたら殺されても買わないでしょう。(海に返せるなら買うかも知れませんが)」

2011-01-18 20:10:44
たカイまもるくん(「金魚すくいは金魚にとって救いにならない」Amazonより発売) @muromav

母によると生きたカニの自動販売機があるそうです。金を入れるとカニが這い出してくるのではなく、入れ物に入って出て来るそうですが。RT @naagita スーパーで切り身を買ったからといって殺生にはならない。でも私に動いているカニを買いなさい、と言われたら殺されても買わないでしょう。

2011-01-18 20:28:40
爽やか太郎!あるいは、中川純一 @guapoysimpatico

@naagita すばらしい実況中継がつづいている。嬉しいなう!はいっ、次ー!

2011-01-18 20:11:28
佐藤哲朗(nāgita) @naagita

#jtba スマナサーラ「私は動物の死体(魚の切り身とか)を見ても慈しみで出てきて悲しくはなります。しかし一方で、動物の死体には皆大金を払うけれど、人間の死体にそれほど値段がつくだろうかと思う。でも結論としては生きるというのは大変なことだな、と終わる。」

2011-01-18 20:12:57
佐藤哲朗(nāgita) @naagita

#jtba スマナサーラ「殺生してはいけない。それで話が終わり。汝、殺生するなかれ、とは仏教はいけない。殺生許すマジと世直しに走ったら悪人そのもの。自分が殺生しない。 余裕があったら他人にも不殺生を進めてみる。「自分は殺生しないんだけど、それで心がとても穏やかだよ」と。」

2011-01-18 20:15:16
佐藤哲朗(nāgita) @naagita

#jtba スマナサーラ「我々はへんてこりんな思考で本人が困ってしまう。考えるのはいいけど、それで落ち込んでしまうのはダメ。「私は殺生しません」で終わります。買い物で干物を買ってもそれは殺生と関係ないんです。」

2011-01-18 20:17:42
佐藤哲朗(nāgita) @naagita

#jtba スマナサーラ「世の中で言われているように、我々が肉魚を食べるから、動物たちが殺されるんです。それは認めます。だったら人類の半分くらい、肉魚を食べるの辞めないと。その運動をするのは俗世間の仕事であって仏教の仕事ではない。菜食主義になっても、精神的に向上することはない。」

2011-01-18 20:19:33
佐藤哲朗(nāgita) @naagita

#jtba スマナサーラ「仏教の世界では、殺すことはとんでもない残酷な行為。殺生する人は、生命に対する慈しみが微塵もない。心が成長するためには生命への慈しみが必要なんです。だから殺生やめた方がいいと説いています。でも、肉魚を食べるなよとまでは言わない。それは管轄外です。」

2011-01-18 20:24:16
佐藤哲朗(nāgita) @naagita

#jtba スマナサーラ「これは答えが出てこない問題。卵についてはおっしゃる通り、卵を食べる場合は有精卵は命があるのだから、私も卵を買うときはそれだけは調べますよ。有精卵はぜったいに買いません。安売りの無精卵を買います。」

2011-01-18 20:26:07
佐藤哲朗(nāgita) @naagita

#jtba スマナサーラ「菜食主義といっても、人にはそれぞれ体質がある。肉魚を食べないと具合が悪い人もいる。死んだ魚の死体を大事にするか、生きている人間の体を大切にするかと言えば、私も生きている人間の体を大切にします。」

2011-01-18 20:27:51
佐藤哲朗(nāgita) @naagita

#jtba スマナサーラ「(植物を取るのも殺生か)野菜も食べるなとなったら、もう死ぬしかない。「そうです。だから何も食べないで死んで下さい」と言われたら嫌でしょう? だから余計な事を考えるなと。どこまで実践的に実行できるかを考えないといけない。」

2011-01-18 20:32:52
佐藤哲朗(nāgita) @naagita

#jtba スマナサーラ「(アビダルマ的な説明をすれば)植物は生命と同じプロセスで発生するが、感覚(こころ)がない。感覚がないものは殺生になりません。それでも出家は自分の命に関わらないかぎり、植物を取ってはいけないと戒律で決めています。でも在家には何も言っていない。」

2011-01-18 20:36:34
佐藤哲朗(nāgita) @naagita

#jtba スマナサーラ「肉体を持つ生命はどうしても他の生命を奪わないと生きられない。体が壊れてしまう。動物の誰かから部品を奪わないといけない。そのシステムはお釈迦さまが作ったものではない。肉体を持つことは、基本的に残酷なんです。我々が輪廻転生することに問題がある。矛盾がある」

2011-01-18 20:38:47
佐藤哲朗(nāgita) @naagita

#jtba スマナサーラ「肉を食べることではなく、輪廻することに問題がある。輪廻しながらいい人間ぶることはできません。だから輪廻を解脱しなさいと言うのです。肉を食べようが食べまいが、輪廻しているかぎり、矛盾だらけの存在であることに変わりはない。」

2011-01-18 20:40:18
佐藤哲朗(nāgita) @naagita

#jtba スマナサーラ「出家が食事をする時は、修行して輪廻を解脱するためには身体を維持しなければいけないから、命を繋げるためだけに食べるのだと、毎回念じるのです。」

2011-01-18 20:42:02
佐藤哲朗(nāgita) @naagita

#jtba スマナサーラ「出家する時は出家した時点で自由がなくなる。契約は一方的。私は輪廻を解脱するために出家したいのです、お願いしますと。ブッダの方には契約はない。だから出家は厳しい。「こんなのやってられん」という権利はない。出家を認められたから偉くなったとかあり得ない。」

2011-01-18 20:44:20
佐藤哲朗(nāgita) @naagita

#jtba スマナサーラ「出家に托鉢で生活しなさいと言うのは、食事することもどこかで微妙に他の生命に迷惑をかけることだから。出家はそういうことするなよと。残って腐るしかないご飯を貰っても誰の負担にもならない。托鉢の決まりは、調理されたものを頂く。調理された時点で運命は決まってる。

2011-01-18 20:47:19
佐藤哲朗(nāgita) @naagita

#jtba スマナサーラ「在家の誰かがあげないといけない。釈尊も最初は托鉢で生きてきた。あまりに素晴らしい教えだから、この人たちこそ食事を食べる権利がある(応供)、ということで普通に布施をされるようになった。出家が身体を維持することで、どれだけ社会に貢献するかということ。」

2011-01-18 20:50:22
佐藤哲朗(nāgita) @naagita

#jtba スマナサーラ「一般の人も食事をして生きているのだから、慈しみを育てること。自分が食事をするに値する人間なのかと。一切生命のことを心配する心を育てるならば、魚も幽霊になっても、「こいつに食われても仕方がない」と思うかもしれませんw」

2011-01-18 20:52:57
佐藤哲朗(nāgita) @naagita

#jtba スマナサーラ「水族館に行っても、この魚をどう食べれば美味しいか、ということばかり考えて心を汚さないことです。生命への慈しみを育てて、それぞれが懸命に生きている姿を喜ぶことです。いろんな形で生命が生きていると理解すれば勉強になるが、食う事ばかり考えるのはやめて欲しい。」

2011-01-18 20:56:13
佐藤哲朗(nāgita) @naagita

#jtba スマナサーラ「殺生について考えると、必ず矛盾にぶつかります。それは輪廻することの矛盾そのものなのです。」

2011-01-18 20:57:07
佐藤哲朗(nāgita) @naagita

#jtba スマナサーラ「仏教はもともと生きること(輪廻すること)をいい事だと思っていない。こういう話をすると時間がなくなるだけですね。自分ができる範囲は五戒を守って下さい。他人の心配まではしない。シーシェパードみたいに捕鯨船に体当たりしたりするのは悪行為そのものです。」

2011-01-18 21:03:50
佐藤哲朗(nāgita) @naagita

#jtba スマナサーラ「殺生戒の問題を考えると、輪廻の矛盾が見えてくるんです。

2011-01-18 21:11:21
佐藤哲朗(nāgita) @naagita

#jtba スマナサーラ「(無常について)有限論にせよ無限論にせよ間違っていると釈尊は述べている。瞬間瞬間変わり続けている「無常」ということだけ、我々が経験できる具体的な真理なのです。」

2011-01-18 21:15:06
ushinosuke @ushinox

ツイートを読み返すが二因三因が分からない。教えてください。RT @naagita: スマナサーラ「世間的にはすごいインテリで知識人と認められている人でも、二因者でやばい可能性もある。世間で阿呆とされている人でも三因者で智慧が働いている場合もある。…」

2011-01-18 20:05:13