実験科学の作法と理論科学の作法
- ShinShinohara
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「科学者」と一口に言っても理論科学と実験科学では作法が全然違う。小保方氏のSTAP細胞の事件では、その事が如実に表れた。 理論科学の研究者は、「不確かなものがどうして論文になるのか、論文を載せる前にしっかり検証すべきだ」という。しかしこれはかなり勘違いが含まれている。
2015-12-07 22:58:09理論科学論文の場合、頭で理論を追うことで正しいかどうかを検証できる。だから、複数の査読者が間違いないと判定した場合、その論文は正しいと判断することができる。しかし実験科学の論文はそうはいかない。頭でいくら考えても、実験結果が本当かどうかは検証不能なのだ。
2015-12-07 23:02:00だから複数の査読者が「これは論文として妥当」だと判断したとしても、実験科学の場合、その論文の内容が正しいとは限らない。いざ同じ実験結果を再現しようとしても、うまく再現できないことがあり得るのだ。では、なぜ実験科学では、そんなあやふやな内容を論文として認めてしまうのか?
2015-12-07 23:04:33それは「論文を掲載し多くの研究者の目にさらして、興味をもった研究者が再現実験をすることを促す」ためなのだ。言い換えれば、誰も再現しようとしない論文は価値がないとみんなから見なされ、再現する研究者が続出する論文は重要だと見なされていることになる。「リツイート」に近い。
2015-12-07 23:06:53だから実験科学の論文では、査読者は次の点を重視する。「論文さえ読めば、誰でも再現実験をすることができる。」検証実験ができるよう、必要十分条件を揃えているかどうかをチェックする。もし論文に記載の内容で再現できなければ、その論文に書いてあることは価値がない、と見なされる。
2015-12-07 23:09:46「検証実験ができるよう、必要十分条件を揃えているか」
→「検証実験ができるよう、必要十分な記述がなされているか」
つまり、実験科学では、論文になっただけでは真の意味ではオーソライズ(本当だと確認)されていない。誰かがその論文を模倣し、再現できることを確かめなければ、まだ信じることはできないということなのだ。論文になった時点でオーソライズされる理論科学とこの点で決定的に異なる。
2015-12-07 23:11:42実験科学でも論文になった時点で間違いがないようにすべきだ、という話が理論科学から今も出ることが多い。しかし実験科学は論文にするのも検証実験するのも数ヵ月を要するものばかりで、他者による再現実験を義務化したら効率が悪くて仕方がない。再現実験するに値しない論文も少なくないから。
2015-12-07 23:14:29結局、論文としてまずは掲載し、多くの研究者の目にさらして、再現実験を試みる研究者が大勢出るようにすることが最も効率的で真偽の検証もしっかり行える。小保方氏の事件も、きちんと実験科学の仕組みが機能し、真偽が明らかになったケース。ただ、今回は政治問題化したからややこしい。
2015-12-07 23:16:53小保方氏の論文は、ただ論文化された時点では騒ぐのを控えるべきだった。再現されるのかどうかを待てばよかった。次々に再現できたというニュースが流れてくれば、それで真実だと分かるのだから。そして今回は、誰も再現できなかった。小保方氏の論文は価値がないと、実験科学はきちんと示せた。
2015-12-07 23:19:12理論科学と実験科学の作法の違いを無視すると面倒なことになる。この事は、意外と研究者でもきちんと区別できる人ばかりではない。科学と言っても分野により、作法が違うということはもう少し認知が広がってほしいところである。
2015-12-07 23:20:46