「戦争/ガンダムはかっこいい」か? ~安彦良和さんインタビュー記事感想など(修正再構築)
続)現実の戦争を直接モデルにして漫画やアニメで描く事は避ける様になった替りに、歴史の過去も現在もなるべく連想させない「SF」の方向に逃がしたのが「ヤマト」「ガンダム」。ならばどう描くべきか、と言うところに「ガンダム」の監督・富野氏と作画監督だった安彦氏には深い確執がある。
2015-12-08 16:44:44続)アニメブームも中で個人的な作家性が露にされる中、富野氏と安彦氏の確執は深い哲学の領域と言うべきで、だから"共闘"出来た部分も深くまであった。"現場感覚"を等身大に描くようなところから始まったガンダムは、最後はニーチェ的な”超人”の物語に変容していく。「ニュータイプ」。
2015-12-08 16:51:57続)富野氏の"闇の深淵"を覗く様なニーチェ哲学的人間観は「イデオン」で徹底して展開される。とても刺激的な内容で"SF"にもピッタリだけど、このスケールだともう人間一人などゴミクズみたいなもの。その証明として登場人物も「皆殺し」にする。「ニュータイプ」とは、それも"アリ"と知る人。
2015-12-08 16:57:34この辺は、宮崎駿氏の漫画版ナウシカでも深く追及されているところだと思います。"闇の深淵"も登場します。「念話」の様なニュータイプ的超能力もある世界。未整理メモとして書き足せば「超能力SF」の嚆矢はV・ヴォークトの「スラン」。ヴォークトは戦後ブームになった"一般意味論"を言わばそのまま絵解きした「非Aの世界」の作者でもある。禅ブーム、スピリチュアルと繋がっている流れ。その極端化例には「オウム」も入ります。
*「スラン」は竹宮恵子「地球(テラ)へ…」の言わば元ネタ。エスパーのサーガ「超人ロック」。石森漫画にも「ミュータント・サブ」。
続)「ニュータイプ」と言う語はあたかもアニメファンの自画像の様に取られた所があって、アニメ雑誌の名にもなり、アニメに関心があるのか無いのか分からない様な世間まで自分(アンノ監督と同い年)世代を「新人類世代」と呼んだ。少なくとも「70年代の文脈から切れた世代」、とは言えるかも。(続
2015-12-08 17:07:20続)しかし安彦氏は弘前大学に入学した時には民青に入りそして抜け、無党派で運動を続けて最後には放校になり、上京して虫プロに入り、アニメの仕事をしながらも近くの秩父困民党事件の資料調べを”生きる支えにしていた"人。当時の氏の人間観が鮮やかに描かれているのは、防災アニメ「火事と子馬」。
2015-12-08 17:17:25上映会終了。今回初めて観た『火事と子馬』は素晴らしかった。個性的な面々、生き生きとした動き、細やかな生活描写、安彦良和さんの魅力に溢れた短編だった。こんな豊かな表現の手描きアニメーションを、現在作ることができるだろうか? pic.twitter.com/dILVTUQXZD
2015-05-23 16:49:25安彦氏は「秩父事件」を、漫画『王道の狗』の一部として描いています。
*一方で安彦氏は同じ頃に「さらばヤマト」にも深く関わっています。初代では絵コンテのみ担当だったが、既に「ライディーン」等でのキャラファン人気もあり、西崎Pにラストシーンの作画を依頼されて請け、また松本氏と西崎氏の間に既にあった確執絡みで広告の絵に松本画を使わず、古代と雪の絵を安彦氏が描いている。ファーストヤマト原理主義(笑)の自分は「さらば」を見ていなかったので、後で知ってびっくりしました。広告イラストも安彦氏が描いたと言われないとなかなか気づかない。虫プロ出身同士、とも言える西崎氏と安彦氏。いわば何かの”義理”を返したのか。また、この頃サンライズで「ろぼっ子ビートン」の作画監督を務めるが、後半で"只野安彦"と言うPNを使い始め、続く「ザンボット3」ではキャラデザインだけで作画監督をしない、と言う"抗議"をしている。この辺は安彦氏の作品歴のディープな部分だと思います。
本日の多々買いその一ー♪アニメージュ昭和56年12月号付録安彦良和デザインノート!冒頭のテラホーク地球奪還司令の企画書案やデザイン表、勇者ライディーンを含めたデザインが最高〜 pic.twitter.com/bGTWOEZuxe
2015-11-29 22:32:58続)安彦氏が”火事と子馬”で描いた様な人間観からは、社会の多くの人はニーチェ的な「超人」にはなれないし、生活の安定に乗っかってただの人がそんな錯覚を持つ事も、錯覚させる様な表現をする事も不可と言うより「犯罪」。なんとか宣言イベントでは「実体の無いイベントは犯罪」とまで言ったとも。
2015-12-08 17:27:56続)安彦氏はアニメの「ガンダム」本編では、富野監督の現場叩き上げの様な優れた人間観察表現を「ステレオタイプでない個の人間」として絵にするために"共闘"していた感があるけれど、話が"ニュータイプ"と言う「個の独立でない話」になると、それはもう違う話だと言う事だったのかも知れない。
2015-12-08 17:37:48続)宮崎駿氏は高畑監督の「ハイジ」と言う、アニメ日常表現と言う新しい挑戦に共闘するが、話数半分に届く前に「ハイジで僕らがやるべき事はもう全部やった!」と叫んだとか。「三千里」ではもう、画面設計(レイアウト)の職人に徹した。富野氏と安彦氏にもそう言う「分かれ道」はあったのだろう。
2015-12-08 17:50:27続)しかし「ガンダム」の職分はあくまで富野氏が監督で安彦氏は作画。外から見ると意に沿わなくなった部分は部分で放っておけばいい気もするのだが、「オリジン」で独自に語り直しを試みたのは、やはりアニメ界にも留まらなかった安彦氏の「個人」としての作家性、そして政治的な誠実さかも知れない。
2015-12-08 17:56:15元来"Zion"と欧文表記され、ディアスポラからの帰還のテーマともども某国を示唆していたはずの国名が"Zeon"に変更になり、制作者側からも「モデルはナチス」と断言される経緯に高度な政治の様相を見る。 / “「戦争はかっこいい」…” htn.to/EgQGaS
2015-12-10 06:01:19続)富野氏も戦争のステレオタイプでない"実相"を描こうと試みを続けている人で、「Gレコ」でパイロットシートにトイレをつけたと言うのもそんな。しかしトイレ完備の綺麗な機体が貰えて「"有志国"の兵士でよかった」と思うだけでは。カタロニア讃歌の「従軍とは野糞の山」にはなかなか届かない。
2015-12-08 18:08:05続)宮崎駿氏は"ミリオタ"でありながら、アニメではリアルな戦争表現をしない。「アニメでは描けない」とはっきり言っている。生理を伴いかつ観客が受容出来る表現は「政治的ウソ」。ただしアニメでは描かない表現も漫画版ナウシカや漫画「泥の豚」ではする。「動かない」から描けるものもある。
2015-12-08 18:16:48「だまされるな」。誰に。
安彦氏は”(安保法制)採決の過程について「多数決が議会のルールとはいえ、納得できない」と主張。与党が圧倒的多数を占める状況には「国民にも責任がある」と指摘した。”(2015年7月)