丹生谷貴志ツイートまとめ(2015年11月)

丹生谷貴志さんの2015年11月のツイートをまとめました。
人文 丹生谷貴志 武満徹 フーコー
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nibuya @cbfn
余談。それこそ起き抜け手当たり次第に手にした本の一行「〜の為には否定の否定といふ自覚が要せられ、すなはち主体が要せられるのであつて、また、このことは絶対無を自覚せる主体であるが故に天才の〜」とか言うのを読み、起き抜けだから遠慮せずに「このクソ馬鹿野郎!」と口にする・・・
nibuya @cbfn
余談。相変わらず起き抜けに美輪明宏『黒蜥蜴の歌』の一節が頭に流れ即刻ダウンロード、まあどう聞いてもヘンリー・マンシーニの『シャレード』のパクリと言われても仕方ないメロディーですが、ずっと「誰も知らないダイヤの心」と思っていたのが「誰も入れぬ」だったことを確認、意味なく微苦笑・・・
nibuya @cbfn
「願わくは、僕らのために、レーテーの水をしばし飲まずにいてくれたまえよ」というような古代ギリシアの追悼詩があった気がする。僕らを忘れないで、と、生者が死者に頼んでいるわけで・・・美しい倒錯・・・
nibuya @cbfn
・・・小林康夫さんが昔、クレマンス・ラムヌーの『ヘラクレイトス 言葉と物の人』をゆっくりと訳すのが夢だと言っていた記憶がある。是非とも、そうしてください。待ってます。ラムヌーはブランショらを瞠目させた古代ギリシア思想の研究者・・・驚くほど寡作で、もう一冊は『夜の娘たち』・・
nibuya @cbfn
僕みたいなのが言うのも変ですが、哲学や美術や小説や、それはひたすらどうやって研究者から奪い取るかが最重要なことだと昔も今も思ってます・・・メビウスの輪は生きられねばならないので・・・
nibuya @cbfn
某雑誌の浮世絵春画・枕絵の掲載で云々という話を聞きましたが、大学美術史の世界でも少なくとも僕が学生だった頃は学術雑誌(!)にも掲載不可だったので、結果日本には浮世絵の本格的な「学的研究者」が存在しないという環境があった。まあ「市井の愛好=研究者」でも充分だと言えばそれまでですがね
nibuya @cbfn
点鬼簿は嫌いだが、女優加藤治子さん逝。テレビなどで泣き腫らした後のような独特の瞼を見ると加藤道夫の自殺を思い出しそれを思い出すと三島由紀夫の加藤道夫の或る日の思い出を書いた妙に痛ましい文章を思い出す。初日に失敗した劇、向かいの料亭の閉じられる障子にあたった西陽・・・追悼文だった。
nibuya @cbfn
加藤道夫の自殺は昭和28年なので知るはずもないはずが、その閉じた障子のからからという音と光景が、そこだけ覚えている映画のワンカットのように浮かぶことがあり、かと言って実は代表作『なよたけ』すら読んだことがない。カミュの劇の翻訳だけ・・・相変わらず意味なく慌てて古書を探す・・・
nibuya @cbfn
ここのところフーコーのプレイアード全二巻が届くのだけを待っているような日々、全部持っている著作だが、プレイアードの何か墓碑を思わせる背表紙が結構好きなので・・・フーコーすらも墓碑になったと? いや、そんな単純なことでもないでしょう。死者の方がよほど活力に満ちているのが世界でしょう
nibuya @cbfn
「死せる○○生ける○○を走らせる」って・・・ま、そんなところで、それが世界の本体であることは「自明の事」。クリプキの「哲学」でこれを言い換えると・・・と、また愚かしいことを白想する(「白想」って誰の造語でしたっけね)。
nibuya @cbfn
相変わらずこの季節になると何故か、変な名調子につられて、「回廊 回廊 回廊下り 志賀の都は荒れにしを 昔ながらの誰か一人を求めて 冥府に降る 不安な気持ちは すなはち 聖」という、もはや誰のものであったか確認する気もない詩句がテロップのように左脳から右脳へあるいは逆にetc・・
nibuya @cbfn
余談。高校の3年制度をやめて昔のように5年制にしそれを基本的に最終学業にした方が教育体制として有効なんじゃないかと思うことがある。あらかたの大学はまず短大となって、それから高校に吸収、結果として5年生高校となる。残った「大学」は大学院大学のみにする。まあ、結果は同じか。退屈な話。
nibuya @cbfn
まあ、この時期「教育問題」とか、しがらみで退屈な話が頭を過るのを避けられない家業。僕は「若い人」が本を読まないとか何とかは一切気にならないのですが、自分が興味を持っていると自称する物事についてまで驚くほど好奇心の動きが狭窄している感じに驚くことはある。退屈じゃないんだろうか?
nibuya @cbfn
モーツアルトの交響曲ハフナー、アーノンクールの2012年演奏版が安かったので入手。以前に増して癖の強い演奏、そのせいなのか珍しくオーケストラの演奏アンサンブルが乱れ気味に聴こえるけれど・・・気に入った。枯れる気の一切ないかなり無茶振りなのに無理がないという一番好きな感じ。
nibuya @cbfn
・・・と言いつつ、相変わらず自分がまったく音楽好きではないことに変わりはない。未だ一体自分が「音楽」になにを探しているのか分からない。「何も求めていない」ことは確か。記憶とか慰安とか癒しとか、そうしたことは何につけ全く興味がないし、考えたこともないので。
nibuya @cbfn
例えば高速のPAの藪で、ペットボトルで作られた簡易罠の中で脱出を試みる雀蜂を見ていて、なぜこれほどに単純な罠から出る事が出来ないのか、この「出来ない」ということの単純でも微細でもある端的さ・・・が、僕が音楽に探す事に近いのかも知れないと、思いもし、要は一種の粗暴なメカニズム?
nibuya @cbfn
昔々、石田英敬さんが「デリダがユダヤ的ならドゥルーズはフリーメーソン的だ」と、放談の勢いだから深い意味はないだろうが、言った。だから何だというわけじゃないけれど、今でも妙に納得している。ドゥルーズ哲学がそうかはともかくその心酔者には「誰でも成れる秘密結社員」の匂いがあって・・・
nibuya @cbfn
・・・マニャックな話、フーコーの博士論文『狂気の歴史』の審査会、イッポリットとカンギレムが殆ど称賛に近い評を述べ、一方アンリ・グイエとガンディヤックが不快を露骨にした評を述べたという話を読んで・・・まあ、想像がつきそうな光景で・・・
nibuya @cbfn
今更アランでもないだろうと思いはしても、ふと、アランの教え子や知人にシモーヌ・ヴェイユやらカンギレームやらの名を見ると・・・しかし、日本でのアランは要するに「人生の智者」「智慧の陰性者」のような枠に収めれて、どうにも手が伸びないわけで・・・もったいないと言うべきなのか・・・
nibuya @cbfn
amazonを開く度に翻った「Solidarite」の文字と三色旗が、日本、中国、インド、ブラジル、メキシコ、オーストラリアのホームページから消えたようだ。だから何だという意見などないが、如何なる規制或いは判断で消えたのかはちょっと興味がある。
nibuya @cbfn
余談。何度読んでも飽きてしまう本に、ゲーテの『ファウスト』とニーチェの『ツァラトゥストラ』ってのがあります。まあ、ゲームやらアニメやらでそのパスティッシュを見せられ過ぎたからか、或いはこの手の本を「愛読する」と口にする「男」の風態が何故か私の周囲に限ってろくなもんじゃないからか。
nibuya @cbfn
例えばピンチョンをドゥルーズの誤読の成果として読み或いはエリクソンをデリダの誤読の成果とし、フォークナーをベルグソンの野生的誤読とか見る出鱈目は可能だが、日本の小説家にその程度の誤読の知性の野蛮さを仮説し得る小説は存在するか・・・中上? まさか埴谷さん? 陳腐なバタイユ誤読とか?
nibuya @cbfn
或る時期から日本の文学賞一般に疑念を感じるのは、選ぶべきじゃない作家にあげているなんてことじゃなくて、授与することが作家に対して迷惑じゃないかと感じることが重なったからだ。例えば円城さんの芥川賞は迷惑だったと想像できるし、阿部和重だってあの小説での受賞は迷惑でしょうし、或いは等々
nibuya @cbfn
「彼は全宇宙天体の誕生を目撃することは出来なかったが、その創生の起源として宇宙の誕生に寄与したのである」だったか、ヴォークト『イシャーの武器展』のラスト。今でもSFの中でもっとも見事な末尾だと思っていて・・・・
nibuya @cbfn
ある事態が起こると論評が現れ、その論評にさらに別の論評が加えられ、その分析にもさらに論評が加わりetc。要は連鎖・錯綜的に果てしない「手品のタネ明かし」の試みが行われ、互いのタネの暴露を試みつつ互いに手品をかけようとするという奇妙な世界が現れ、これ自体がまた手品なのであってetc
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