バタフライ・エフェクト(草稿)
- kagachi_ecm
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よく、熱田神宮関係の資料というと「古いモノは「熱田宮寛平縁起」しかみるべきはない」というような言われ方をしますが、日本最初の神話『古事記』や、太安萬侶も編さんに参加したとされる『日本書紀』、
2015-12-27 15:55:30その後に『日本書紀』を補助するようなカタチでつくられた『古語拾遺』や『先代旧事本紀』にいたるまで、古代(律令期)を通じて、熱田系のテキストは、つねに中央の神話世界に、コミットしていたと考えられます。
2015-12-27 15:56:04そして、熱田神宮の資料が原型だと思われる神話の特徴は、例えば『日本書紀』のような原典に、そくして、それを補助するような資料を提供するのではなく、それ以前のテキストとは明確に異なる内容をふくんでいることです。
2015-12-27 15:57:02『熱田の深秘』の内容・荒筋
神代(1)
まずは以前は「神道由來の事」と呼ばれていた、「神代(1)」の内容について。一般に、日本の神話として知られていている、アマテラス(音読みでテンショウダイジンと呼ばれます)、スサノヲ、イザナギ・イザナミの登場する、少し変わった物語です。
2015-12-30 15:10:29注意しておくことは、海幸彦・山幸彦で知られる『日本書紀』で「神代下」と呼ばれる日本神話の後半がまったく語られず、天岩戸が変質したと思われる、〈第六天魔王譚〉までで終わっています。
2015-12-30 15:11:06最初に天神7代・地神5代と語るが、地神については、天照大神が登場するだけで、そのほかは割愛されています。天神も名前が見えるのは伊弉諾・伊弉冊だけです。
2015-12-30 15:11:46伊弉諾・伊弉冊の指しおろした天逆鉾によって葦原国が誕生し、大日如来が座っていたことから大日本国と名付けられました。(天逆鉾・国号の由来(1−1))
2015-12-30 15:11:59熊野権現・天照大神・白山権現・恵比須・出雲大社という、現在、おがまれている神様は父子であるとされます。その理由は、伊弉諾・伊弉冊がセキレイという鳥の動きをみて4人の子供を、お産みになりました。天照大神、月読 = 丹生大明神、蛭子、(素盞烏 = 出雲大社)がそれです。
2015-12-30 15:12:25素盞烏は不満をつのらせて、天照大神と夫婦となろうと考えたのですが、天照大神は大蛇になって逃げてしまいます。素盞烏は戦をしかけますが、丹生大明神を大将軍にした天照大神の軍勢に敗れてしまいます。「ちはやぶる」という枕詞がうまれました。(天岩戸・和歌の初め・高天原と出雲(1−3))
2015-12-30 15:13:09天照大神は、垂仁天皇の時に伊勢神宮の内宮としてあらわれました。皇太神というのは外宮で、天照大神の親方であります。内宮・外宮は両界(曼荼羅)の心持ち・場所で、天照大神と大梵天王であります。(伊勢神宮、内宮・外宮のいわれ(1−4))
2015-12-30 15:13:41熊野権現は伊弉諾で、天照大神に国土を譲ってから、天竺の摩訶陀国の大王におなりになってから、紀伊国音無川のそばに迹をお垂れになりました。白山権現は伊弉冊で、山野を三輪明神に譲ってから、百済国の大王となった後、北陸道の白山権現になりました。(熊野権現・白山権現(1−5))
2015-12-30 15:14:26ヤマタノヲロチとは語られないのですが、大蛇が登場して、素盞烏が手名槌・脚名槌と出会って、娘の稲田姫と結ばれます。十束剣を使って大蛇の尾から、取り出したのが天村雲剣です。
2015-12-30 15:15:11用明天皇の時に、空から芥虫がふってきました。最初は鉄を喰っていましたが、そのうち人も喰うようになり、結局、朝敵になりました。人間では、どうしようもなく、ツキメ・カシキメを宮へ使わすことで、天照大神に助けをもとめました。芥虫の骨が磁石だといわれます。(芥虫(1−7))
2015-12-30 15:16:04第六天魔王が日本に仏法が広まるのを恐れて、その間は大紅蓮でした。天照大神が「仏法のぶの字も言わない」と約束をして、第六天魔王から日本を取り戻しました。日本の絵地図と、そこに押した判印を神璽というのです。
2015-12-30 15:16:58皇代
「あつたのしむひ」は前半の皇代(2)と後半に分割しました。まあ、歴代天皇の治政をならべて記述しているのではなくて、熱田宮の縁起としての日本武尊(ヤマトタケノミコト)の物語に、八幡大菩薩の記述が付け加えられているようになります。
2015-12-31 14:08:30神武天皇は最初の天皇です。仲哀天皇が新羅のために亡くなられると、后の神功皇后は新羅を攻めようとします。その時、八幡大菩薩は神功皇后のお腹の中にいましたが、3年間、お腹の中にとどまられました。伊勢大神宮から魂と魄という荒御前をさづかりました。(八幡大菩薩(胎中天皇)(2−1))
2015-12-31 14:09:02景行天皇の時代、東国の夷が乱れていました。天皇の皇子の日本武尊は宣旨にしたがって東国へ行かれました。伊勢大神宮で剣をいただき、熱田の松后嶋で3年とどまられ、東国を平定してからも3年間とどまられ、ミヤズ姫に剣をさずけて、尊は都へ戻られました。(日本武尊・東征・ミヤズ媛(2−2))
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