「かんこく」は何故「韓」と書くのか? 三国志の歴史書『魏略』が語る「冒姓韓氏」の意外なルーツ 古代中国の植民地から「韓国」はこうして生まれた!?

前漢に降伏した旧朝鮮国の官僚の韓陰らは、権力を保全され、中国の植民地「楽浪郡」の役人として、はかなくも強かな”韓”伝説をつくり上げた!「韓国」(新羅などの三韓)の民族自立以前の歴史
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“韓”は現地語の発音を写した可能性もあるが、中国から見ると

巫俊(ふしゅん) @fushunia

「韓」というのは、当時の朝鮮国の現地語で何かの意味がある言葉だった可能性もありますが、中国と付き合うという外交上の必要性、必然性からは、中国に連なるという意味での「韓」の解釈が求められていたはずです。

2015-09-18 03:39:52

“韓”は中国の最果ての植民都市の名前として歌にうたわれていた

巫俊(ふしゅん) @fushunia

さて、中国の西周春秋時代の歌を収録する『詩経』という古典には、「韓侯受命」という語句をふくむ歌が出てきます。紀元前1000年頃の王朝の西周王朝が、周からはるか遠い土地に植民都市「韓」をつくるという歌です。

2015-09-18 03:42:56
巫俊(ふしゅん) @fushunia

その歌には、「溥(ふ)たる彼の韓城は 燕師(えんし)の完する所」とあり、遥かに遠い植民都市の「韓城」は、燕(河北省)に駐屯している周軍(師)が工事を手伝って完成させた都市(城)だとあります。

2015-09-18 03:46:54
巫俊(ふしゅん) @fushunia

この韓城は、現在では山西省だとされているのですが、「燕師」が出てくることから、のちの戦国時代の燕国の最大勢力圏に位置している朝鮮半島では、その当時に中国式の城郭都市に住んでいた、箕氏朝鮮の人の中国系と混血の人たちにとって、自分たちと結び付けるのに、都合がいい国名だったと感じます。

2015-09-18 03:51:23

始祖伝説は「生まれる」

巫俊(ふしゅん) @fushunia

また、「箕氏」という、これも中国からの移動と結び付けられる古い伝説も、やはり中国(燕)との外交関係のなかで、生まれた伝説のように思います。(殷の王子の箕子を祖先とする箕氏朝鮮王朝)

2015-09-18 03:53:14
巫俊(ふしゅん) @fushunia

実際に西周時代の「箕侯」の青銅器が遼寧省や山東省から出土していまして、海を移動していたと考えられるこの「箕侯集団」は、西周の拠点の燕に属していたようです。

2015-09-18 03:55:06

漢代の朝鮮系楽浪官人がつくった“韓”伝説

巫俊(ふしゅん) @fushunia

つまり、前漢に降伏した韓陰らは、自分たちを箕氏朝鮮と結び付ける伝説をつくっていき、南の「韓地」に逃げていった「韓王」という言葉もつくり上げ、おそらくは中国の植民都市「韓城」にあたる存在だと自負していたのではないかと思われます。

2015-09-18 03:57:10
巫俊(ふしゅん) @fushunia

楽浪の韓氏などの中国系官吏は、このあと五胡から南北朝時代にかけて、中国が分裂したことで、その力を失っていきます。つまり、高句麗、百済、新羅などが出てきたことで、彼らは表舞台から去ることになり、「韓」の当時の解釈もまた、民族自立の動きの中で失われていったように思います。

2015-09-18 03:59:11
巫俊(ふしゅん) @fushunia

この『詩経』の韓侯の歌については、日本語訳をした詳しいサイトもあるようです。blogs.yahoo.co.jp/raccoon21jp/40… この歌の中に出てくる「貊」(ばく)という異民族名、見覚えがないですか?

2015-09-18 04:03:11

文化の“韓”VS野蛮人のワイ・バクたちという構図

巫俊(ふしゅん) @fushunia

「貊」はもともとは中国北方の族名だったのでしょうが、漢代には半島南部の「韓」と対になる「穢(わい)貊(ばく)」(半島北部)という異民族名になっています。「韓」が中国風の名前なのに対し、かつて韓に隷属していたケモノ的な貊族が我々に従っているぞ、楽浪の韓氏がそう言っている気がします

2015-09-18 04:05:01

偽のルーツ作り(冒姓)はさいしょのさいしょから

巫俊(ふしゅん) @fushunia

戦国時代に朝鮮国を服属させていた「燕」すらも、周室に連なる姫姓の国(周の王族の国)だと冒姓自称した国でした。

2015-12-26 14:51:55

倭人のルーツも・・・

巫俊(ふしゅん) @fushunia

『翰苑』が引用していたので今に残っている『魏略』の逸文によれば、倭人のルーツを「聞其旧語自謂太伯之後」としています。その旧語(倭人の古老の話)を聞くと、倭人は自ら呉の太伯の子孫だと言っているとあります。

2015-12-26 15:22:16

「呉」は実は冒姓の国でした

巫俊(ふしゅん) @fushunia

呉の太伯とは、春秋時代に江南の「呉」という国が中原の国際社会に参加したとき、「私の祖先は、周の王室の庶兄の呉の太白です。太白は弟に周の君主の位を譲って、遠く野蛮なこの土地に移ってきました」と自称したものです

2015-12-26 15:25:38
巫俊(ふしゅん) @fushunia

しかし、これも実は「冒姓」であることが分かっています。もともとこの始祖伝承は、陝西省の周からすぐ近いところにあたる山西省南部にあった虞(ぐ)国のお話でした。虞と呉は音がつながっていて、呉とも書くことがありました。

2015-12-26 15:30:24
巫俊(ふしゅん) @fushunia

『左伝』僖(き)公五年の条に、その本来の伝説の方の「大伯・虞仲の虞国」の説話が出てきます。春秋時代中期に中原の晋と南方の楚があたかも米ソ対立のように争うようになると、楚の裏側にあたる江南の「呉」への軍事援助が始まります。

2015-12-26 15:35:46
巫俊(ふしゅん) @fushunia

この軍事援助を受けた呉国が、中原社会と外交関係を結ぶときに、先述した「神話」を持ち出して、デビューしたのでした。それまで、呉国では南方の楚の系図を使っていましたが、これを廃棄したのでした。

2015-12-26 15:38:09

冒姓のはじまりは西周時代