『中途の家』と後期クイーン的問題

中途の家と後期クイーン的問題に関する考察
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@quantumspin

まとめを更新しました。「スペイン岬の謎と後期クイーン的問題」 togetter.com/li/911663

2015-12-20 12:52:03
@quantumspin

【中途の家 (創元推理文庫 104-17)/エラリー・クイーン】国名シリーズで意図の探究に取りつかれたクイーンは、しかし本作で犯人の意図の謎――被害者の二重性の謎――を回避する巧妙な手法を用い、旧来の... →bookmeter.com/cmt/52897675 #bookmeter

2015-12-28 09:54:05
@quantumspin

『中途の家』は、『スペイン岬の謎』に続く、挑戦形式を中心に据えた作品であり、『スペイン岬の謎』で国名シリーズを打ち切った作者クイーンは、本作で挑戦形式をも打ち切ってしまう事になる。なぜ『中途の家』は国名シリーズになりえなかったのか。クイーンはこれについて、本作冒頭で言及している。

2015-12-27 07:48:40
@quantumspin

『トレントンのしずが伏せ家(中途の家)はオムファロス(宇宙の中心)なのだ、生存の中枢、集団の中心なのだ。あそこで、あの男はフィラデルフィアやニューヨークの旋回運動によって作りだされた渦から完全に離脱して、一定の距離を保ち、固い足場と、ものの実体と、休息と、停止とを見出し得たのだ』

2015-12-27 08:20:01
@quantumspin

『論理的見地からいって、あの男が≪中途の家≫で、途中の駅場で、オムファロスで、停止の場所で殺された事実は、なにを意味するだろうか。いかなる論理的問題を提起するだろうか』『犯人にあてはめたとき≪中途の家≫は公式のなかで、なにを代表するか』と、クイーンは本作タイトルの由来を説明する。

2015-12-27 08:28:33
@quantumspin

たしかに本作を読めば、『この題名の完全な美しさ』をつかむことはできるが、同時に、本作を『スウェーデン燐寸の謎』としなかった作者の意図は、実は別のところにあったかのように思わせられるのである。そうであるならば、なぜ作者は、国名シリーズと、挑戦形式とを、あえてずらして完結させたのか。

2015-12-27 08:35:42
@quantumspin

法月は『初期クイーン論』のなかで、本作について次のように分析している。『(自己言及的な形式体系が根源的にはらむ「不均衡」と直面する)こうした問題のありかをクイーンが十全に把握していたことは、一種の<戦略的撤退>を行った『中途の家』(1936)のような作品をみれば明らかである。』

2015-12-27 08:43:40
@quantumspin

『この小説では、「決定不可能性」の問題が二重生活を行っていた被害者に対象化され、いわばそのパラドックスを巧妙に回避する形で、かつての<読者への挑戦>方式が回復される。クイーンはその気になれば、こうした作品をいくらでも書き続けられたはずだ。』

2015-12-27 08:46:31
@quantumspin

『しかしいうまでもなく、こうした方法はタイトルにも示されているように、中途半端(halfway)なものでしかない。『中途の家』を最後にクイーンの長編から<読者への挑戦>の頁は姿を消し、ロジカルタイプの「あいだの扉(The Door Between)」が徐々に開かれていく事になる』

2015-12-27 08:49:31
@quantumspin

法月にとって、『中途の家』における「決定不可能性」の回避(挑戦形式の回復)は、『その気になれば、いくらでも書き続けられた筈』の『中途半端(halfway)なものでしかない』。類似の主張は神命明にも見られる。『本書においては、クイーンはさらに工夫を凝らし、新たな試みを行っている。』

2015-12-27 09:04:53
@quantumspin

『「被害者」に二重性を付与し、名前の奥に潜むアイデンティティそのものを問題とした。即ち、彼は一体「誰として」殺害されたのかという問いを発する事で死者の匿名性に切り込んだのである。かなり斬新な手法であり、この主題が犯人特定の論理性と結びついて展開していれば、本書の価値を更に高めた』

2015-12-27 09:10:26
@quantumspin

『残念ながら結果的には、やや手つかずとなった感があり、材料を提出したままで未消化となってしまっている。』作品が〝中途半端(halfway)〟であるという点で、両者の意見は一致しているのだ。しかし彼らは、本作の最大の特徴と言える、国名シリーズと挑戦形式の完結のずれについて言及しない

2015-12-27 09:23:26
@quantumspin

ダネイは本作を、自作ベスト3に選出している。『できの悪い子ほど可愛い、という俗っぽい受け取り方もできなくはないが、ダネイの回答の真意はそうした安直なものではなかった筈である』。また、法月の理論では、『チャイナ橙の謎』『スペイン岬の謎』における挑戦方式の回復についても説明できない。

2015-12-27 09:50:45
@quantumspin

これらを踏まえると、法月や神命の考える『中途の家』の評は、『何か根本的な読みちがいをしている』ように思えるのである。以上を踏まえ、『中途の家』を読解していく。その為には、当然の事であるが、『チャム双子の謎』から『スペイン岬の謎』に至る、挑戦方式の再検討のプロセスを無視できない。

2015-12-27 09:58:11
@quantumspin

クイーンはまず、『シャム双子の謎』において、人工的手掛かりの意図の探究が挑戦不可能となる事を明らかにする。続く『チャイナ橙の謎』における挑戦形式は、読者に〝犯人当て〟ではなく〝あべこべ〟の意図の謎の解明を要求し、読者を意図の迷宮に誘う。最後の『スペイン岬の謎』では、前作を反復する

2015-12-27 10:10:29
@quantumspin

『スペイン岬の謎』により、クイーンは、意図の探究の問題を、単作で見れば挑戦可能であるかのように提示しながら、読者への挑戦の背後に、メタレベルの〝読者への挑戦〟をさし挟む事によって、かつて『シャム双子の謎』で主題をなしていた、意図の探究の挑戦不可能性を反復的に暴露していくのである。

2015-12-27 10:21:00
@quantumspin

国名シリーズ後半で示されたクイーンの一連の試みには、経験的手掛かりから意図的手掛かりへ、自然発生的手掛かりから人工的手掛かりへ、自身の挑戦形式を拡張せんとする、作者の真摯な姿勢があったと言えるのだ。では、『中途の家』において、作者のこうした態度はどのように継承されているだろうか。

2015-12-27 10:27:33
@quantumspin

『中途の家』における主題は、法月、神命の指摘するように、被害者の二重性であるだろう。彼は一体「誰として」殺害されたのかという問いは、魅力的な謎であるし、この主題が犯人特定の論理性と結びついて展開していれば、本書の価値を更に高めた、とする神命の主張も、一見すると自然なものに思える。

2015-12-27 10:40:29
@quantumspin

しかし、容易にわかるように、被害者が「誰として」殺害されたのかという問いは、犯人の動機に関する問いであり、この主題を犯人特定の論理性と結びつける事は、探偵に対し、犯人の意図の分析を要求することに等しい。つまり、国名シリーズ後半におけるクイーンの主題は、『中途の家』にも姿を見せる。

2015-12-27 10:45:04
@quantumspin

ところが『中途の家』においては、この被害者が「誰として」殺害されたのかという問いを、犯人特定の論理性と結びつけ展開させないのである。法月の言うとおり、クイーンは被害者の二重性の問題を巧妙に回避し、そこから経験的手掛かりを抽出する。これは確かに、かつての挑戦形式の回復であると言える

2015-12-27 10:51:20
@quantumspin

神命は『中途の家』に関して、『本書の論理性はまさに従来型の本格推理小説の典型である。現場に残された(物的な)手掛かりから推理を発展させ、犯人を特定していくプロセスは、その論理構造が極めてシンプルな分、クイーンの他の諸作にも増して印象深い。』として、挑戦形式としての本作を評価する。

2015-12-27 10:57:48
@quantumspin

神命は、『物証が暗黙のうちに示す「消去法的」な条件を容疑者に当て嵌めていくという論理の説得力と展開の面白さは、国名シリーズでも屈指の名作『オランダ靴の謎』に十分比肩しうる出来である』という。本書の挑戦形式の完成度を高く評価する神命は、しかし被害者の二重性の謎の取扱いに不満を抱く。

2015-12-27 11:03:01
@quantumspin

神命の意見は、多くの読者の抱く意見を代表していると言えるだろう。それほどまでに、犯人の意図の探究の問題は、読者を引き付けるのである。たいていのミステリ作家は、読者の欲求を満足させる為、意図の問題を、それがあたかも論理的であるかのような巧妙な詐術を用い、探偵に推理させてきたのだった

2015-12-27 11:12:44
@quantumspin

しかし、経験的手掛かりに基づく挑戦形式を確立したクイーンは、その高度な論理性ゆえ、意図の問題を正面に据えた挑戦形式の拡張を試み、この不可能性を暴露してしまう。こうして『中途の家』に辿り着いたクイーンは、意図の問題の解明欲求に、従来の挑戦形式が敗北する様を描こうとしたのではないか。

2015-12-27 11:27:23
@quantumspin

国名シリーズで意図の探究に取りつかれたエラリーは、しかし『中途の家』では、犯人の意図の謎――被害者の二重性の謎を回避する巧妙な手法を用い、旧来の挑戦形式の回復を果す。この、旧来の挑戦形式が重視した心理的要素の排除が、しかし中途半端(halfway)なものと読者に判断されるのである

2015-12-27 11:53:13