#tsukusu

尽くすこと。
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Fumitoshi Kato @who_me

残酷なシーンが多くて、見ちゃダメ…と言われた。ブームなのか、運動なのか。「タイガーマスク世代」として印象に残っているのは、強いタイガーではない。優しいヒーローでもない。なぜか、とても孤独なタイガーの記憶。エンディングの哀しい歌を思い出す…。

2011-01-13 00:15:33
Fumitoshi Kato @who_me

だから、匿名の寄付は良いことだと思いつつ、孤独なタイガーのイメージが重なる。人に何かを贈るのは、じつは寂しさのシグナルなのではないか…と。じぶんの置いたランドセルの行方を確かめることによって、人との関わりを実感しているのではないか…と。

2011-01-13 00:20:04
Fumitoshi Kato @who_me

人のためになること・良いことをしたい。その気持ちは清らかだ。でも、そう考えて行動してきた人は、これまでにたくさんいるはずだ。ぼくには、閉じ込められていた寂しさ/孤独感が、「伊達直人」の名前を借りて、一挙に噴き出てきたように見えてならない。

2011-01-13 00:30:32
Fumitoshi Kato @who_me

じぶんが放ったメッセージは、確実に(誰かに)「届く」のだという実感。その手応えへの欲求。承認。

2011-01-13 00:40:46
Fumitoshi Kato @who_me

「タイガー」世代のぼくたちは、どちらかというと豊かな(豊かさに向かう)幼少期を過ごしたはずなのに、考えてみるとアニメは哀しいものが多かった。ネロもハッチも。もちろん、飛雄馬もがんばった。黙って孤独に戦う。やせ我慢の美だ。流行らないだろうな。

2011-01-13 23:12:13
Fumitoshi Kato @who_me

このあいだの日曜日、シブヤ大学の「プロボノという働き方」に行ってきた。プロボノ体験をした3人からの話題提供。そして、参加者どうしの意見交換。3時間ほどの講座だったが、飽きることはなかった。やはり、直接的な体験の話は面白い。 #tsukusu

2011-01-19 23:34:48
Fumitoshi Kato @who_me

プロボノを「これぞ天職」だと熱く語るひとから、面白そうだったからやってみて「また、やるかも(つまり、もう、やらないかも)」というひとまで。仕事のスキルを活かしたボランティアのやり方、関わりかたの温度差にも、幅があるようだ。 #tsukusu

2011-01-19 23:38:02
Fumitoshi Kato @who_me

日曜日の午後。来ていたのは(見たところ)大部分が20代後半〜30代半ばくらい。関わりかたはともかく、やはりネットワーク社会にとって重要な価値は〈尽くすこと〉なのだと感じた。社会貢献への関心は、じつは承認欲求を満たすため? #tsukusu

2011-01-19 23:42:33
Fumitoshi Kato @who_me

〈尽くすこと〉は、それだけで良いことだと思う。それには、異論はないはずだ。でも、誰かの〈承認〉があってこそ、報われた気持ちになるのもたしかだ。何らかの〈承認〉が欲しくて、その実現のために貢献をしようということなのだろうか。 #tsukusu

2011-01-19 23:45:43
Fumitoshi Kato @who_me

みずからのアクションが、どのような結果をもたらしたのか…。それを、わかりやすい形で、かつ直接的に感じることができるから、プロボノはいい体験だった…というのが、話題提供者たちの共通の感覚のようだ。たしかな手応えというやつだ。 #tsukusu

2011-01-19 23:50:07
Fumitoshi Kato @who_me

ぼくたちが〈尽くし=尽くされる〉という関係性を求めているのなら、お互いを認め合う(見留め合う)ことが基本だ。優しくて脆い。(ボランティアだから)金銭的な見返りは期待しない。その分、結果/手応えを感じたくなるのかもしれない。 #tsukusu

2011-01-20 00:13:39
Fumitoshi Kato @who_me

ぼくたちが標榜する「キャンプ」では、〈尽くす〉という意識は持っていないかもしれないけど、直接、現場で手応えを得ることの大切さ(そして面白さ)は実感してきた。象徴的なのは去年の冬。ある学生の〈作品〉を見て泣いたひとがいた…。 #tsukusu

2011-01-20 08:32:31
Fumitoshi Kato @who_me

おそらく、プロボノにかぎらず、じぶんの行動の〈手応え〉を実感するための状況(条件)があるのだろう。たとえば、相手が近くにいる(見える)こと。そして反応がすぐ返ってくること。もちろん、集まりの規模や道具立ても大切なはずだ。 #tsukusu

2011-01-20 08:37:46
Fumitoshi Kato @who_me

懲りずに、ふたたびプロボノの話。話題提供者の温度差はあったものの、 みんな「やらないより、やったほうがいい」と口にした。「やってみなければ、わからない」ということなのだろう。プロボノは、〈きっかけ〉として考えてみるといい。 #tsukusu

2011-01-22 08:15:07
Fumitoshi Kato @who_me

〈きっかけ〉になるためには、敷居が低いことが大事だ。関わりかたを「見える」ようにする。たとえばSさんたちによる〈きっかけ〉は{週に5時間, 6か月, グループワーク}で提供される。これがあるから、がんばる(あきらめない)。 #tsukusu

2011-01-22 08:21:00
Fumitoshi Kato @who_me

バリエーションはあるにせよ、わかりやすい〈きっかけ〉があれば、参画するひとは増える。話題提供者の一人が「プロボノって、ふつう」と言っていた感覚が、わかる気がした。まずは「面白そうだから…」ではじめるのがいいのかもしれない。 #tsukusu

2011-01-22 08:43:05
Fumitoshi Kato @who_me

ちょっと気になったのは、〈身近なきっかけ〉は、〈気軽な撤退〉でもあるという点だ。まずはやってみる…。そして「また、やるかもしれない」し、「もう、やらないかもしれない」というボランティア活動。そんな感じで、いいのだろうか。 #tsukusu

2011-01-22 08:46:48
Fumitoshi Kato @who_me

なんとなく、ブーム。「骨盤体操はじめました」と「プロボノやってます」が、同列に並んで語られてしまうのだろうか。〈社会貢献する私〉に、異論はない。「ふつう」に、はじめるのもいい。でも、〈尽くすこと〉に飽きてもいいのだろうか? #tsukusu

2011-01-22 08:53:56
Fumitoshi Kato @who_me

「伊達直人」のことは、10日間ほど?メディアを賑わせ、もう、あまり聞かなくなってしまった。前からランドセルの寄付はおこなわれていたし、いまでも「伊達直人」から、プレゼントが届いているはずだ。続ける/続くことの価値を考える。 #tsukusu

2011-01-22 08:57:51
Fumitoshi Kato @who_me

つづきは、あとで。きょうは、これから墨東大学に行って、編み物をします。 → http://bit.ly/h1b3eT #bokudai #tsukusu

2011-01-22 09:34:41