大井浩明 POC[Portraits of Composers]2015 第22回~第26回公演+関連公演
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一周まわってドナトーニと言ってることが同じ twitter.com/FruityTs/statu…
2015-10-05 09:09:27先日八代亜紀さんのトークで、歌に気持ちを込めてはだめなんだと言っていて、その理由に納得。聞き手が感情移入するためには自分が主観で感情をこめてはだめだという旨。銀座のクラブ歌手時代、感情を込めないで歌ったらホステスさんたちが急に感動して泣き出したのが原体験なんだそうです。
2015-02-25 11:44:56先日八代亜紀さんのトークで、歌に気持ちを込めてはだめなんだと言っていて、その理由に納得。聞き手が感情移入するためには自分が主観で感情をこめてはだめだという旨。銀座のクラブ歌手時代、感情を込めないで歌ったらホステスさんたちが急に感動して泣き出したのが原体験なんだそうです。
2015-02-25 11:44:56【10月11日】フランコ・ドナトーニ(歿後15周年)全ピアノ作品(大井浩明さんPOC今シリーズ第1回) bit.ly/1PkQ920
2015-10-09 22:34:21本日18時~です。【10月11日】フランコ・ドナトーニ(歿後15周年)全ピアノ作品(大井浩明さんPOC今シリーズ第1回) - おたくらしっく app.m-cocolog.jp/t/typecast/247…
2015-10-11 13:50:26大井ドナトーニ全曲、前半は劣化コピーとオリジナルの差異を考えさせられ、後半は書法の安定とルーティン化は切り離せないことを考えさせられた。私的ピークはRima。アンコールのシェルシ:アクション・ミュージック#4でモヤモヤはスッキリ。
2015-10-11 20:45:20大井浩明POCドナトーニ 本日の白眉は作品、演奏共に「フランソワーズ変奏曲だな。変奏曲と言っても、音楽的にどこがどう変奏されているかなど私にはわからないが、全体的に泣き笑い的な感性が一貫しており、何処と無くプーランクを連想して愉快な気分になった。
2015-10-11 20:37:48自分が書いたオーケストラのドナトーニ個展の批評など読んで大体批評の骨子は固まった。12時までに上げましょう。
2015-10-11 21:58:53はい、酒飲まずに書きました。大井浩明POC#22ドナトーニ個展の批評です。ちょっと寸詰まりな気もします。 d.hatena.ne.jp/MOGURAmaru/201…
2015-10-11 23:03:31もぐらだってそらをとぶ
齋藤俊夫さん(音楽批評)のブログ
http://d.hatena.ne.jp/MOGURAmaru/20151011
冒頭のおそらくセリー技法を用いたと思われる二作品の時点で、それがプログラムに載っている作曲者の言葉を裏切るような音楽であることに興味を抱いた。作曲者に言わせれば「四楽章の作品」は「擬似ウェーベルン」であり、「3つの即興」は「ブーレーズ第2ソナタの醜悪なコピー」だそうだが、筆者の耳にはそうは聴こえなかった。ウェーベルンとブーレーズの作品にある結晶的な透明性はドナトーニのこの二曲では薄く、つまり透明ではなく濁っているように聴こえたのである。濁りとはすなわち音楽における人間的な何かとも言えるかもしれないが、しかし濁りイコール人間性とするのもまた早計である。ドナトーニにあるのは(SFの古典)「ソラリス」的な人間性と非人間性の域に位置するナニモノカであり、それは常に人間を装いつつも根本において人間ではないのである。
ドナトーニ後期の作品に位置する「リーマ」を聴けばドナトーニの「ソラリス性」は明らかとなろう。弱音でしゃっくりをっずっと続けているかのような反復音型に始まったかと思うと強音で下行音型が雪崩をうち、かと思うと逃げ消え去るような速い音型が高音でキラキラと輝くといった八面六臂のこの作品に「人間的な軸」は存在しない。「美しい」という「人間的」な感覚、感情の介入なしに自律・自立して音楽としての生命力を勝ち得ているのがこの作品である。
そして後半の大曲「フランソワーズへ」「フランソワーズ変奏曲」「レンゾとマルチェラへ」「レオンカヴァッロ」(これらは全て連続して演奏された)に至ると、ドナトーニのソラリス性を否が応でも味わわざるを得なくなる。超高速の半音階的上行と下行を原曲(フランソワーズへ)のモチーフとし、それを延々と変奏していくその不気味な作業は、「ソラリス」原作小説のエピソードにある、ソラリスの海が人間の赤ん坊をコピーしてそれに「人間ではありえないような動き」をさせている、という場面を想像させるのである。ドナトーニの音楽としての「濁り」はどこか人間的である。だが、ドナトーニが自分の音楽を構築・作曲(コンポジション)するとき、その構築作業は人間性と非人間性との域にあるナニモノカを呼び覚ましてしまうのである。その音楽は面白いものであるのは確かだが、しかし同時に恐るべきものであるのも同様に確かである。ドナトーニの音楽は歪んだ鏡として歪んだ人間の姿を映し出すのである。
今年も始まった大井浩明の本領発揮の場たるPOC、まずは大満足のいく音楽であった。これからまた大変な荒行になりそうだが、またこれまで同様に楽しませてもらえそうで安心である。現代音楽とは何かを知りたければまずはここに集うべし。きっと答えはここにあるであろうから。
昨日は大井浩明さんの弾くDonatoniへ。苦手作曲家。だからこそ聴いてみる、という不思議な習性。初期の習作は、ああ、この人もこんなことしてたか、であったが、Rimaとフランソワ変奏曲は思ったより普通に聴ける。そして、特徴と弱点も少しつかめたような。やはり体験してみるものだ。
2015-10-12 09:28:25Donatoniは、僕の印象では「具材の少ない万華鏡」。万華鏡を少しずつ回すと、しばらくは同じような世界。その間は、機械的な繰り返しではなく、作為のない変化。ときどき具材が崩れて景色が変わる。でも具材が少ないので、何回かやってると似たような風景がやってくるのであった。違うかな。
2015-10-12 09:34:31Donatoniのあとに音楽的に真逆のScelsiがアンコールで演奏されたのが、実はいちばん印象に残ったかも。あまりにも真逆すぎて、それぞれの作曲家の世界観の違いについて考えさせられる。
2015-10-12 09:39:27イタリアの現代作曲家でいうと、Maderna、Castiglioniあたりはもっと取り上げられてよいのにな、という気がしている。
2015-10-12 09:54:43関西公演 2015年8月28日(金)フランコ・ドナトーニ 主要ピアノ曲集 (没後15周年)
8/28(金)ドナトーニ 主要ピアノ曲集+湊真一新作初演 杉山洋一氏寄稿 ooipiano.exblog.jp/24558797/ すみませんねまたぞろ変なジフ画像貼り付けちゃってさすがに自分でも目がチカチカしちゃって読みにくいけど10/11(日)の東京公演(3曲追加)のときはもう少し落ち着
2015-08-16 09:01:34芦屋の山村サロンに着いた。今夜は大井浩明さんのピアノリサイタル。プログラムはドナトーニのピアノ作品集。ワシのお目当てはフランソワーズ変奏曲だす。 pic.twitter.com/y2pgyFf82Q
2015-08-28 18:26:25大井浩明さんのドナトーニ @芦屋山村サロンおわり。 フランソワーズ変奏曲聴けて良かった!今日は軽やかに終わって、アンコールなし。
2015-08-28 20:57:58