.@_akisato というか,科学はこういうものを対象に扱いますよっていう宣言というか約束事ですよね.科学でない枠組みで議論するなら,任意のものを妥当とみなす立場は存在すると私は思います.
2011-01-23 02:39:19RT @_akisato: こんな感じで、24時間-睡眠時間365日、思考実験を繰り返している。Twitterは、その思考実験のログになりつつある。そのログを整理して、clean dataを作ることで、僕の思考パターンをマイニングで取り出せるだろうか。
2011-01-23 02:41:33「公理の妥当性の判断は何に拠って立つのか?」をトゥギャりました。 http://togetter.com/li/92181
2011-01-23 10:35:45@_akisato 疑似科学の「公理とやら」と数学の公理を同一線上で扱おうとしてることに抵抗ありますが……(苦笑)。一部の基礎論な人以外には、数学の公理は演繹の開始地点として「無矛盾の体系」であればよいものです。数学が全員同じ公理に基づいているわけでもありません(選択公理とか)。
2011-01-23 10:56:11@_akisato もちろん同じ公理に基づいていなければ互いに議論は出来ませんけど、その人を排斥するとかそんなことはなく、ほとんどの数学の人にとって違う公理の人=違う島に住んでる人、という程度の認識かと。
2011-01-23 10:58:50@_akisato まあそういうのを宗教と呼びたいなら別に宗教でもいいんですが、それにはまず宗教の well defined な定義を(ry
2011-01-23 10:59:38@shuyo 仰る通り、ここでは疑似科学の「公理」と数学の公理とを同一線上で扱っています。もっと俗な言葉で言えば「常識」と言えそうです。常識という言葉で書き直すと、途端にその信頼性が失われるような気がしませんか?
2011-01-23 11:11:34@shuyo 公理なり常識なりが演繹や理解の開始点になっていて、公理系が無矛盾であれば良い、という意見は私もまったくその通りだと思います。ただ、その公理なり常識なりが妥当かどうかを(数学は必要ないと思いますが)再度見直すことも必要なのかもしれません。
2011-01-23 11:16:34.@shuyo 実は、私が公理だ常識だとか言っていたのは、まさにこの問題意識から来ています。ある事象を説明するためにどんな言葉を使うか、ある言葉がどんな事情を説明できるのか、それによって我々が何を理解できるのか。ある意味で常識的なことなのですが、本当の共通の常識なんだろうか、って
2011-01-23 11:22:49shuyo さんと _akisato さんのツイートをROMっているが,公理と常識は本質的に違うものだと思うけどなぁ.公理は,演繹体系の根.常識は,単に多くの人がそう思っているというだけで,演繹体系とは関係ない.「恋愛感情」というものが存在することは常識だが演繹体系とは別次元の話
2011-01-23 11:27:56@_akisato うーん、とりあえず「常識」は well defined ではないので、その言葉を使う限りは議論と呼べるものにならない気がします。
2011-01-23 11:28:37@shuyo 公理ってwell-defined なのですか?公理自体がdefineするものだと思っているのですが.常識がwell-definedでないことには異論がないのですが.
2011-01-23 11:32:41.@shuyo そこも重要なポイント。言葉も事象も well defined じゃないんです。でも僕らは、言葉や事象から何らかの意味を理解しようとして、普通にできているかのように思っているわけです。その根元にある共通認識が、一般的な言い方では常識、科学的な議論なら公理かな、と
2011-01-23 11:35:34@niam ええともう少し言い添えると、「公理」と呼ぶ対象が満たすべき条件が明確だから、その言葉を使って例えば「公理の妥当性」などの議論をすることができますよね、ということです。一方「常識の妥当性」とか、なんか聞いただけで笑っちゃう。
2011-01-23 11:37:38@shuyo @niam 僕の勉強不足だと思うのですが、公理は学術界で認められた結果として多くの人間が認めるようになった常識、のようにしか思えず、公理と常識の区別がつかないでいます。
2011-01-23 11:44:45@_akisato @shuyo 僕の認識では,A⇒B_1, A⇒B_2, ...という演繹関係が証明できるときに,できるだけ多くの有意味な定理Bを生み出すことの出来るAを見つけてきて,それをみんなで公理と呼ぶことにしましょう,と決めていると思っています.
2011-01-23 11:48:19@_akisato であればなおさら、あえて「常識」という言葉を使ってメタな議論や思考実験をする必要性は感じないし、そもそも無理があると思うのですがどうでしょうかねえ。個別論ではダメ?
2011-01-23 11:42:27@shuyo という議論から得られることは、事象(画像・音楽・環境 etc.)を認識する汎用機械は作れない、semantic gapはどこまていっても解決不能、ということなんだろうと思います。やっぱとてつもなく難しい問題をやろうとしているんだなぁ、と。
2011-01-23 11:49:28@shuyo @_akisato さんのおっしゃりたいことは,人間原理に近い感じがします.公理も常識も言語で表現されるものであり,言語は人間しか理解しないので人間が消えればどちらも存在しなくなる.結局,公理も常識もそれを認める人間がそう信じているだけではないのか,という議論では?
2011-01-23 11:54:15@_akisato もし常識に「平行線常識」とか「選択常識」とか名前が付いてて、もちろんそれぞれの内容が誰にとっても明白で、それぞれの人が「どういう常識を採用しているかを明示」できるんだったら、「公理」と「常識」を対応づけた議論にも意味があるかもしれません。
2011-01-23 11:56:16@shuyo ちょっと戻りますが,先程の「公理」という言葉はwell-definedだという指摘は,なるほど,と思いました.「常識」という言葉は何を指しているか分からないので,シニフィアン(signifier)として機能していないという事ですね.
2011-01-23 11:58:06@shuyo @_akisato そうです.人間原理を持ち出すと, @shuyo さんのおっしゃるように,公理とか常識とかに限らず,ほとんどすべての言語でしか表現されない概念が対称になってしまうので,あまり有意義な議論は出来ないと思っています.
2011-01-23 12:01:19