アウラ-オーラ放課後←今ココ(地味に更新なう)
.@skmt09 「複製」ではないですが、ジミヘン自身の音楽と、ジミヘン的手法をそのまま使ったフォロワー達の音楽・・・あるいはチャーリー・パーカー自身の音楽と、それを形式化理論化したバークリー・メソッドを使った音楽とでは、「フォース」のあり方に違いがありそうですよね。
2011-01-24 08:51:05わたしは「スコラ」を見ただけで熱くなってしまいました。(^^; RT @skmt09: ぼくが言う「フォース」は作品に内在したものです。(…引用者により中略…)ぼくはその部分に関してはスコアを見るだけでも熱くなってしまいます。^^; #popuon
2011-01-24 08:57:13@tkmttkmt 模倣には形式化、方法化の意識が伴うことが多いですからね。そのような思考過程を経ずに、いきなりまるごとフォースを掴む、体感する、身体に取り入れる、というような荒技が必要かな。
2011-01-24 08:57:13やっぱり、弟子入りでもして直接教えてもらうしかないですかね(笑)。RT @skmt09:@tkmttkmt 模倣には形式化、方法化の意識が伴うことが多いですからね。そのような思考過程を経ずに、いきなりまるごとフォースを掴む、体感する、身体に取り入れる、というような荒技が必要かな。
2011-01-24 09:21:04えんえん続いている#popuonでのアウラ‐オーラ議論。専門知識のない自分には参加すべくもないが、音楽の深みを垣間見るようで面白い。
2011-01-24 10:20:28音楽の生演奏に存在して複製物に存在しないものという視点で考えると、アウラは「プレッシャー」に相当するかな、と思う。場の雰囲気、奏者の存在感や音の臨場感。それは生と複製物の明らかな差だと思った。ライブ感の一部ではあるけれど、それこそ現場にいないとわからない、モノ。 #popuon
2011-01-24 10:34:17一回性は実在するのだろうか。「アウラのように感じるもの」は受容の形態何かを乗り越えて、感ずることのできる「何か」の一部じゃないだろうか。その「何か」に上部構造下部構造的な説明をつけたのが技術進歩を通じてのアウラ概念では。 #popuon
2011-01-24 11:01:45「アウラのような何か」は、ベンヤミンの言うとおり受容の形式が変われば如実に知覚できるし、また聴きなれたアンビエントを5年後に聴く時に訪れ、CDを金銭で購入する時に訪れ、ustの一回性を通じて訪れるものな気がする。 #popuon
2011-01-24 11:06:36「アウラのような何か」は、ベンヤミンの言うとおり受容の形式が変われば如実に知覚できるし→如実にその多寡を知覚できるし #popuon
2011-01-24 11:14:32@skmt09 異なる部分も多いのですが「食べ物」に置き換えると解り易くなる所もあるかと思います。同じ味付けでも、食べる場所の雰囲気や温度、または食べる人の欲求や好み・コンディションや食文化の背景で受け止め方が異なりますし。(続く)#popuon
2011-01-24 11:22:30(続き)手作りと工場製には隔たりがあるけれど、工場で作った材料を用いて手作りすると柔らかさが異なるとか。その差を探ると、やはり目に見えない想念や込められた強い気をを感受するセンスが、魂にはどこか備わっているという事になるのかと思います。(続く)#popuon
2011-01-24 11:23:17(続き)演奏しそこに内在され、生成される想念自体が、これまでの人生経験や観客の呼吸などにより共振され得るというか。それらのオーラやフォースの豊かさや普遍性などと、岩塩や肉などからの旨味、そして「食べ物自体の調理・味付けの良し悪し」とが渾然一体となっているんでしょう。#popuon
2011-01-24 11:24:27いわば「気づき」のようなもので、芸術のもっているそれらしさというのは、脳がハタとひらめいた、その時々の状況がもたらしているに過ぎない気がする。 #popuon
2011-01-24 11:29:30@yuuuuuiiiii こんばんは、はじめまして。#popuon 拝見しています。@yuuuuuiiiii さんの勇気ある最初のつぶやきで始まったこの流れから、"twitterでできること"の新しい形を見せて頂いた気がします。これからも、勉強、がんばりましょう!
2011-01-24 21:23:47なかなか今後が期待されるな。教授のTogetterで音楽論談義があったけど、VOCALOIDについてはどう思っているんだろ?素直にDTMの延長と考えてくれそうだけど。#popuon http://t.co/tXEd3AY
2011-01-24 23:40:30@skmt09 たとえば『/05』収録の「Aqua」にはイーノ・コード的な瞬間が4箇所ほどあり、そこではまさに「『永遠の現在』に留まる」というか、時間が美しく凍りつくような感覚を覚えました。そして転調後にはイーノ・コード的な音のぶつかりはなく、何ともいえない解放感が感じられます。
2011-01-25 00:03:10@skmt09 もともとイーノ・コードという発想は、各パートをばらばらに録音してそれを重ねたときに偶発的に生まれるような機能和声からは外れているけれどもどこか心に引っかかる響きというところからスタートしていたように感じられました。
2011-01-25 00:04:31@skmt09 イーノたちの作品はそれはそれで非常に面白いですし、イーノ・コード的ある種の「間違い」を意識的かつ効果的に用いている教授の作品も心に響くものがあります。推進力が働かないという意味ではフォースではないかもしれませんが、ここに感じられる魅力を何と呼べばよいのでしょうか。
2011-01-25 00:05:21クセナキスが理論によって突き動かされているというんだったら、十二音技法も理論が先行してる一例だしむしろこっちのほうが現象としては色々起こってる気がする。でも違う話なのかな。 #popuon
2011-01-25 00:26:54